日本の怪しい(?)精神科医たち

 これまで何冊かの原書を含め外国の精神科医が書いたメンタルヘルス系の本を読んできて、自分なりに思うのは、「人間にとって人間こそがまだまだ未知の存在なのだ」ということだ。あるいは精神医学という学問領域はちゃんとした科学と呼べる水準にはまだ達していないということだ。世界的に有名な医者でも「患者と二人三脚」や「精神科医は回復への補佐役に過ぎない」みたいな事を率直に書く。無論日本の精神科医でも誠実な人はそのように書くのだが、「引きこもりは必ず治せる」(斎藤環)とかわりと平気で書く人もいる。それらはセールストークのようにも聞こえるし、善意に取れば病者を励ましているようにも聞こえるが、基本的には虚偽であろうと思う。また厳密には医師法にも違反している発言かもしれない。
 日本には精神医学の領域にまともな学者は殆ど居ないのではないかと私は思っている。阿闍世コンプレックスの古澤平作や小此木啓吾などがいるが世界的には殆ど価値など認められていないと思うし、この仮説が人間の欲望の根源を捉えているとは到底思えない。フロイトのエディプスコンプレックス仮説の方がより正統だなどというようなことを言いたいのではない。フロイト以降は、こういったそれらしいような基底コードを設定する行為自体を乗り越えねばならないはずなのだ。日本の精神医学界は要は物真似のように欧米に追従しているだけなのであり、まともでオリジナルな研究など殆ど存在しない。しかし追従してる側の方が権威的で断定的な態度をとるのは一体どういう訳だろう?
 神戸の酒鬼薔薇事件のときのワイドショーで、犯行声明の文章をひと目見たあるマイナーな大学病院の精神科医が、「これは精神分裂病を装った成人だ」などと殆ど断定に近い口調で分析していたのを思い出す。無論真犯人は少年だったのであり、裁判に付帯する時間を掛けた正式な精神鑑定では行為障害その他と判断された。その準レギュラー的な扱いの精神科医氏は少年の逮捕後もしばらくワイドショーに出続けていたがいつしか見掛けなくなった。しかしおそらく今もこの国のどこかで医療行為を続けているに違いない。
 薬剤の未発達ということもある。SSRIに関する本をかなり前に読んだが、偽薬との比較においてのSSRIの自殺率の高さと症状改善に関するアドバンテージの低さはショッキングだった。最近ニュージーランドで抗鬱剤の効果を否定するような調査結果も発表されたようだ。しかしそれ以前に、精神医療の現場で多く流布している鎮静剤や覚醒剤は所詮表面的な症状を抑え改善するものでしかない。無論周辺の反応を矯正することで病んでいる本質が快方に向かう場合があるだろうことを否定しはしない。しかし、病気そのものに直接に効く薬などは現在存在しないというのが本当のところのはずだ。
 ネットラジオ等で個人放送をしている精神科や心療内科への通院者は少なくないが、たまに聞いていると、保険診療の点数稼ぎのためにでたらめな処方をして患者を廃人にするだけの精神科医の話が出てくることがある。例えばグループワークで出会った仲間が、最初は幾らか無気力で感情の水位が低いだけだったのに、いつしか支離滅裂なことを言い始め、異常な行動をとるようになり、そのまま元に戻らなくなるのだという。その人物の症状に相応しくない程多種多様の薬が夥しく処方されていることをずっと不審に思っていたこと、素人判断とはいえあれはまず薬以外に原因は考えられないこと、またこの種の出来事が案外珍しくはないこと、ある種の精神科医は患者を人間だと思っていないこと、等について彼らは憤り嘆く。
 一方で、精神医学という営為そのものを否定する人々もいる。しかし現在実態としてそれ以上に有効なものがないのに、「さかしらに」精神医学の未熟性や種々の仮説の非現実性ばかりをあげつらってこの営為のすべてを否定する態度は公正ではないように私は思う。やはり必要なことではあるのだ。過信・盲信は厳に禁物だけれども。

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