2013年6月アーカイブ

 もとより、人は健常であってすら十全な現実検討能力を持ち得ない存在であるかもしれないが、メンタルに異状をきたした人などは、一時的な逸脱に加えて逸脱した後の補正能力の弱さも著しいなどとも言われる。ある意味で、現実検討能力の欠如のありかたのバラエティの上にさまざまな精神疾患(や個性)があるとも言えるのかもしれないが、やはりナルシシストの現実検討能力の毀損ぐあいというのは神秘的というか、なんとも言えない独特なものがある。
 ナルシシストがその情緒において語ることというのは、冷静な第三者が聞くと、たいていしょうもないか支離滅裂なものでしかない。彼らは、身体的・社会的な力関係や様々な原因から生ずる誤解により、盲目的に肯定してくれる他者(弱者)に依存して自己の誇大なファンタジーを保とうとするわけだが、私がかねてより不思議だと思うのは『なぜ彼らはそういう自ら設定している循環自体の虚構性に気付けないのか?』ということなのである。もし分かった上でだと言うなら、『なぜそのままに見え透いているはずのファンタジーに没入し続けられるのか?』ということなのである。何より、そういう制約的な状況に依存したり、人間関係等を囲い込んでいるのは彼ら自身なのである。
 確かに、ナルシシストは「自己」が肥大するにつれて自意識が薄らぎ、どうしても自己自身を客観的に見ることができなくなっていると説明できなくもないのかもしれないが、自分自身が特定の条件に依存しているという事実すら知覚できなくなっているほどではないはずだ。自ら種明かしを知りつつそのフィクションに耽溺し続ける光景は、やはり、そこそこ異様であり、安易な共感を許さない面がある。無理にたとえるなら、誇大感をくすぐる娯楽にどこまでも執着するような感じであるのだろうか?いや、しかし...、もっと根底からの虚実混同とそれによる快感が彼らのファンタジーを持続させる防御壁になっているような気がするのだ。そこがよく分からない。
 ナルシシストはいつまでも目覚めない。その点において、彼らの現実検討能力が恒常的にうまく機能していない可能性が低くないと思われるわけだが、一般論として以上に、興味深いところだ...。

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 日本語版Wikipediaに『自己愛憤怒』のページはあるのですが、やや物足りなかったので当該英語版を訳してみました。特に、自己愛憤怒は基本的にコフートの用語なのに、なぜかまったくそのことに触れていない...。
 今回は分量は少ないのですが、日本語にのらないセンテンスが多く、いつも以上に拙訳です。
 『自己愛損傷』およびそのエピゴーネンの訳名はだいたいで捉えてください。
 あとフロイトのところはおとぎ話みたいなもので特に読まなくてもいいかも。フロイトは現代でもなお再解釈の対象としての価値を持っているとしても、彼の解釈を今でもそのまま適用している治療者はほぼ存在しないのではないかと思われます。しかも再解釈はかなり高度な作業で素人が手を出す分野ではない?
 『自己愛憤怒』の概念は、人類が日々生み出している暴力における、ひとつの起源を提示している可能性があります。


自己愛憤怒と自己愛損傷

自己愛憤怒とは自己愛損傷へのリアクションのことであるが、自己愛損傷とはナルシシストの自尊感情あるいは自己価値に対する、感受された脅威のことである。自己愛損傷(or自己愛傷痕)はジクムント・フロイトによって1920年に使われたフレーズで、自己愛創傷および自己愛打撃は程度がそれ以上であって、相互にほぼ代替可能な用語である。自己愛憤怒はハインツ・コフートによって1972年に新作された。
自己愛憤怒は、超然としている場合や苛立ちや困惑の表出から、暴力的攻撃を含む深刻な感情爆発までの連なりの上に立ち起こる。自己愛憤怒反応は、人格障害に限らず、カタトニーや偏執性妄想および鬱病のエピソードの中にも見られる可能性がある。これはナルシシストが二層の憤怒を持っていることを示してもいる。憤怒の第一層は(ほかの誰かに対する)持続的な怒りとして考えられ、そして自己を標的とする怒りである第二層を伴う。

1フロイトと自己愛打撃
2さらなる精神分析的展開
3コフートと自己心理学
4完全主義
5セラピー
6批判
7文化的関連
8関連項目
9参照
10参考文献
11外部リンク

フロイトと自己愛打撃
1914年の『狼男』の症例研究でフロイトは、後期の大人になってからの神経症の原因を、『彼は、彼の淋病の感染が彼の身体の深刻な傷になると考えることを強いられた。彼のナルシシズムに対するこの打撃が彼にとって過大なものであり、彼はバラバラになった。』時点であると識別した。数年後、「快感原則の彼岸」においてフロイトは、幼児性欲への不可避的な退行から判断して、「愛の喪失やしくじりがそれらの背後に自愛に対する恒常的な損傷を自己愛傷痕の形で残す、...彼が『嘲笑』されたところの最大限の反映によって」と主張した。1923年に彼が付け加えたのは、「吸った後の母親の乳房が失われる経験から、また大便の日常的な引渡しからの、身体的喪失を通すことによって自己愛損傷の着想を獲得する」―喪失はその後「この喪失の着想が男性器に結びついた」時に去勢コンプレックスに流れ込む。一方で1925年には彼はよく知られているように、「女性が彼女のナルシシズムへの傷に気付いたのちに、彼女は傷痕のように劣等感を発展させる」とするペニス羨望に関して付け加えた。

さらなる精神分析的展開
フロイトが彼の最晩年の著書で『自己に対する早期の損傷(自己愛に対する損傷)』と呼んだものは結果的に幅広い様々な精神分析家によって拡大された。カール・アブラハムは大人の抑鬱のキーが、自己愛備給の喪失を経由したナルシシズムに対する打撃の幼児体験にあるとみなした。オットー・フェニシェルは抑鬱における自己愛損傷の重要性を確認し、境界性人格を包含するためにその分析を拡大した。
エドムンド・バーグラーは、ナルシシズムにおける幼児的全能感の重要性と、自己愛的全能感への何らかの打撃のあとにくる憤怒を強調した。また一方で、ラカン派は、自己愛創傷におけるフロイトを自己愛的鏡像段階におけるラカンに結びつけた。

コフートと自己心理学
コフートはその独創性のある論文『自己愛と自己愛憤怒に関する考察』(1972)の中で広範囲の見聞を調査した。彼は、自己愛憤怒が、成熟した攻撃性を伴うそれとは対照的な多くの形式の中のひとつの主要な形式であると考えた。まさに自己の構造それ自体がナルシシストの中では弱められているので、彼らの憤怒は現実的な自己主張には結びつかないのであり、自己愛憤怒をもたらす感知されるか想像されるかした自己愛損傷に対して、過敏になる傾向が彼らには残されるのだ。
コフートにとって自己愛憤怒は、情況に対するナルシシストの全面的なコントロールの欲求に結びついているが、「復讐、過ちの是正、あらゆる方法による苦痛の取り消し、への欲求」を含み込んでいる。これは、受動的な犠牲化の感覚を他者に痛みを与える能動的役割に替えるための、ナルシシストによる試みであり、同時に自身の(本当はいつわりである)自己価値の感覚を再建する試みである。これは自己防衛・保存をも包含しうるが、ナルシシストを脅かすものを破壊することでもたらされる安寧と力の感覚の、再生に寄与する憤怒を伴う。
あるいは、コフートによると、憤怒は失敗に直面したときの羞恥の結果とみなしうる。自己愛憤怒は、ナルシシストの自尊感情や自己価値への脅かしである自己愛損傷によってもたらされるところの、制御不能で予想外の怒りなのである。憤怒はいろいろな形で起こるが、すべてにひとつの重要な事項の「復讐」がつきものである。自己愛憤怒は、恐怖に基礎を置くが、脅威が去ったあとも持続するだろう。
ナルシシストにとって憤怒は、彼らを侮辱したと感じる人物に向けて方向付けられるが、他者にとっては憤怒はつじつまの合わない不当なものである。この憤怒は彼らの認知を損ない、それゆえ彼らの判断を損なう。怒っている間、彼らは叫び、事実を歪曲し、根拠のない批判をする傾向がある。著書『自己の分析』で、コフートは、思うようにいかないことの感覚を原因とする表現が憤怒に発展するのだが、ナルシシストは痛みや苦しみを和らげる方法を見つけるため、対立を捜し求めさえするだろう、と説明している。

完全主義
ナルシシストはしばしば見せかけの完全主義者であり、注目の的であることを求める。彼らは注意が向けられるシチュエーションを作り出す。完全であろうとする彼あるいは彼女の試みは、ナルシシストの誇大な自己イメージに結合している。もし認知される完全状態が達成されなければ、それは罪悪感や羞恥、怒りや不安を導きうる。なぜなら、もし彼あるいは彼女が完全でないなら、彼あるいは彼女は、他者からの賞賛と愛を失うだろうと信じているからである。
このような完全主義の背後に、自己心理学は誇大自己へつながる早期におけるトラウマティックな傷を見るだろう。

セラピー
アダム・フィリップスは セラピー治療は、常識による期待とは反対に、基礎的な『人生の現実』によって惹き起こされる全能感喪失の進行と折り合いをつけ、またそれを学びなおすために、患者が「自己愛の恐ろしい傷(その子供が持つ両親からの排斥の経験)」を再体験するよう仕向けられることを伴うのだ、と主張した。

批判
コフートのコンセプトの広い普及は、時にその陳腐化につながるかもしれない。ネビル・サイミントンは「あなたは人々がこんな風に言うのを聞くだろう。『ああ、私はとてもナルシシスティック』あるいは『私の自己愛に傷がついた』。このようなコメントは、たいして意味のない台詞であり、本来の状態に対する正しい認識ではない。現に自分の中の自己愛を認識するということは、深い苦悩を強いるものなのだ」と指摘した。

文化的関連
市民ケーンの主人公は自己愛憤怒を表出していると考えられている。

関連項目
(省略)

参照
(省略)

参考文献
(省略)

外部リンク
(省略)

(Translated from the article "Narcissistic rage and narcissistic injury" on Wikipedia)

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 この数日だけ(?)ひどい猫舌だった。沸かしたてのものは5分以上は冷ましていた。猫舌というか、厳密には下唇と口腔の境界線が割れた感じで熱に過敏だったのだが。口内炎?


 As Elizabeth's treatment wound down, she met less regularly with her doctor, yet still had to contend with other important people in her life. She fought with her brother, who refused to own up to his drug problem. He accused her of being "uppity" of "using her new psychological crap as ammunition." They argued bitterly over the lack of communication within the family. He told her that even after all the "shrinks," she was still "screwed up." She fought with her mother, who remained demanding, complaining, and incapable of showing her any love. She contended with her husband, who professed his love but continued to drink heavily and criticize her desire to pursue her education. He refused to help with their son and after a while she suspected his frequent absences were related to an affair with another woman.
 Finally, Elizabeth began to recognize that she did not have the power to change others.She began to accept them for who they were,love them as best she could, and go on with her own life. She recognized the need for new friends and new activities in her life.Elizabeth called this "going home."

 エリザベスの治療が終わりに近づいてきて、医師との定期面談も減っていたけれど、彼女は彼女の人生上の重要な人々と戦い続けていた。彼女は、そのドラッグ問題を認めようとしない兄[弟]と戦った。彼は、『新しい心理学のがらくたを攻撃手段として使う』彼女の『生意気な』態度を槍玉に挙げた。彼らは、家族内でのコミュニケーションの欠如について激しく口論した。彼は、彼女が全部の『治療』が終わったあとでもなお『ダメな』ままだと言った。彼女は、依然ガミガミ言って、不平を並べ立て、これっぽっちの愛情を表現する能力もない母と戦った。また彼女は、愛を公言しはするが大酒し彼女がさらなる教育を欲していることを非難し続ける、夫に立ち向かった。彼は彼らの息子の面倒を見ることを拒絶したが、しばらくして彼女は彼の頻繁な不在がほかの女性との付き合いと関係していることを疑った。
 エリザベスは、ついに、彼女が他者を変える力を持たないことを認め始めた。彼らをあるがままに受け入れて、できるだけ愛し、そして自分自身の人生を歩み始めた。彼女は、彼女の人生に新しい友達や新しい活動が必要であることを認めた。エリザベスはこのことを『帰郷』と呼んだ。

img177.jpg 私がメンタルヘルス方面に興味を持ったのは複合的な理由によるものなのだが、そのうちのひとつに特定の身近な人間がよく理解できなかったからというのがある。それについてここで詳しく書くつもりはないが、私が乏しい知識をもとに最初にある程度限定した形で疑ったのは境界例だった。境界例に関する和書は近くの書店や図書館にあまりなく、私は同時代の古典ぽかった"I Hate You, Don't Leave Me"を、稼動し始めてからまだそう年月の経っていないamazon.co.jpで買い、1ページに何度も辞書を引きながら読んだ。語彙力が乏しかったのでどこもかしこも書き込みだらけだが、昨日あたりそれをなんとなくパラパラめくって読み返していた。なつかしいようななつかしくないような。私の最初の思い込みは、今となっては、当たっていたとも外れていたとも言える感じだろうか...。とはいえ、昨今ある種の目覚めが到来した感じもする。
 自ら変わろうとしていない人を変えることはきわめて難しい。また仮に自ら変わろうとする人であっても、本当の土台部分はそうは変わらないかもしれない。三つ子の魂じゃないが、偏りのある人間は偏りのあるままどこまでも生きてゆく?
 画像の中に出てくるSETシステムというのは、Support(サポート), Empathy(共感), Truth(真実),からの頭字語で、境界性人格障害に対するもう何世代も前の素朴な対処法。今は当人に対する薬物療法に重きが置かれて、こういったことはあまり聞かれなくなったかもしれないが、どうなのだろう。
 それにしても、私の英語力は...。

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 別ドメインのCGIサイトをWEBスライスに対応させようとして立ち往生。スライス内のリンクは、内部リンクのようにしか機能しない仕様だったのだ。ほぼ完成というところまでそれに気づかなかった。外部リンクをまとめたものを小窓で表示できれば便利かなと思ったのだが、もともと機能しないのでは意味がなかった。厳密には内部というより単一ホストにしかリンクが利かないという感じなので、開発途上で一見うまく動作しているように見えたのが罠だった。その後マイクロソフトの仕様ページに、

「代替表示ソースを使用すると、Web スライス プレビュー内のすべてのハイパーリンクの移動先がプレビュー ウィンドウ内になります。」
の一文を発見...。
 Web スライスが普及しない原因はこのリンク制限ではないのか?

 某血液検査で白血球の値が少し高かったわけだが、これは何らかの炎症が起こっていることを示したりするわけだけど、私の場合胃炎であると思われる。過去の半日ドックでも慢性胃炎の診断を受けたこともある。内臓と皮膚はつながっているなどと言うが、思い返すと春に肌荒れがあったのも、原因はこれで(も)あった可能性が高い。風邪気味でずっと風邪薬を飲んでいたのと、カフェイン飲料。私はアルコールはもともとそう多量には飲めないのだが、つまみを食べない傾向があり、あの時もそんな感じだった気がする。
 それで現在カフェインとお酒を控えたりしている。生活習慣の改善。お酒を飲まないのは苦痛じゃないが、お茶・コーヒーは多少は飲まなきゃやってられないので、できるだけ同時に少し何か食べることにした。風邪は引いていない。

 'Kindle for PC'の出来がずっと良くない。基本的に通信部と表示部で成り立っていて、プロが作るアプリとしてはそんなに複雑・高度なことはしてないように思うのだが、いまなおバグだらけである。AMAZONのプログラマ達は特にハイライト機能やメモ機能で悩んでいるようである...??
 前々回までのバージョンはウィンドウの切り替え時に最大化してしまう謎挙動等があった。そして今年はじめの前バージョンではそれが緩和された印象はあったが、日本語(たぶん2バイト文字全般)によるメモ機能が著作によっては利かなくなっていた。で、今回6月3日にアップされた最新バージョンではそのメモ機能が利くようになった代わりにハイライト機能がダメになっている。
 この'Kindle for PC'をおそらくは世界の数百万だか数千万だかの人々が使っていると思うとめまいがする感じだが、なんでこんなに出来が酷いままなんだろう?Kindle本体を買わせようとする底意があるのでは、と勘ぐれなくもないが、Firefox等のアドオンとして動作する'Kindle Cloud Reader'はそこそこ完成度が高く、オンライン環境ではほとんど申し分ない動作なのである。だから事態の起源は、わざとソフトウェア系のKindleの完成度を低くしてハードのKindle本体を売ろうとしているからでもなければ、単にAMAZONのプログラマの低レベルによるものでもない可能性がある。
 むーん...。

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