岩波文庫よ、お前は何を言ってるんだ?

 岩波文庫でカントの『実践理性批判』を読んでいたらあまりにも何を言っているのか分からない箇所があったので、ネット上にある英訳テキストと比較した。本来原語のドイツ語で比較するのがいいに決まってるのだが、私はドイツ語が得意でないので、次善の策として英訳で。一例として、以下に波多野・宮本・篠田訳による岩波文庫『実践理性批判』第一部第一篇第三章の冒頭付近の一文(p152)を挙げる。

「もし意志規定が、道徳法則に適っていても、それが感情を介してだけ――その感情がどのようなものであるにせよ、――行われるならば、従って〔道徳的〕法則のために行われるのではないとすれば、その行為はなるほど適法性(Legalität)をもちはするだろうが、しかし道徳性(Moralität)をもちはしないだろう、――尤も道徳法則が、意志を〔客観的に〕規定する十分な根拠となるためには、やはり媒介者としての感情が前提されなければならないのである。」(岩波文庫)
 これを初めて読んで何を言わんとしているのか即座に分かる人はかなり変わった人だと思うのだが、グーテンベルク内の英訳E-textの当該部分がこれ。
"If the determination of the will takes place in conformity indeed to the moral law, but only by means of a feeling, no matter of what kind, which has to be presupposed in order that the law may be sufficient to determine the will, and therefore not for the sake of the law, then the action will possess legality, but not morality."(英訳文)
 で、この英文に基づく私の拙訳を以下に。
「もし意志の決定が道徳規範に実際に適合して起こるとしても、それがどんな種類であるかに拘わらず、感情によってのみなされ、つまりは規範が意志を決定するのに十分なものでありうるために感情が前提とされる必要があるなら(それゆえ規範のためのものではないなら)、その時は行動は合法性を持つが道徳性は持たないだろう。」(私訳)
 しかしこうしてしまうと、表現の分かり易さという次元を超えて、意味そのものが岩波文庫訳とは違ってきてしまう。端的に言えば、文庫訳ではより十全な道徳法則のために結局は感情が必要であるとなっているように思うが、英訳文を元に"If"から"then"の直前までを一体的な条件節とする私の訳の理解だと感情の寄与はない方がいいものとなる。岩波文庫版訳者の波多野精一は「西田幾多郎とならぶ京都学派の立役者」だそうで、こちらとしてはネットの英訳(と言ってもE-textの英訳者もそれなりに著名な学者であるようだが)を和訳してみただけでは未だ心許なく、どっちつかずのままで欲求不満が募った。で、今日の午前借りていた視聴覚資料を図書館に返すついでに、カント全集第七巻の坂部・伊古田訳の実践理性批判を閲覧し気になる当該部分の訳をメモしてきた。それが以下。
「意志決定がたとえ道徳法則に適ってなされるとしても、それがどのような種類のものにせよ感情を媒介としてのみなされ、道徳法則が意志の十分な決定根拠となるために感情が前提されなければならないとなると、意志決定が法則のためになされるのではないということになるが、この場合には、行為は適法性を含むとしても、道徳性を含むことにはならないだろう。」(カント全集)
 どうやら坂部・伊古田訳は私の理解とそんなに遠くない。とりわけ「感情」の取り扱いについてほぼ同じと言って良いように思う。ただ、無論、これでもやもやが完全に収まったわけではない。本来ドイツ語原文で読まねば最終的に腑に落ちようはずがないのだ。訳をあちこち見て回る必要もドイツ語が流暢に読めれば初めからないわけで、まあこれは不徳の致すところとしか言いようがない。しかしドイツ語と英語の親和性からいって(英語の片方の親はゲルマン祖語である)、独文英訳は和訳に比すと格段に簡単な作業であるはずなのであり(翻訳そのものの歴史も長い)、訳を読むしかないのなら英訳の方が信用がおけるかもしれない。
 あと、僭越ながら岩波文庫の功罪ということを思わないでもなかった。今回取り上げたことは、岩波文庫の一般的な読者にとって起こりうる夥しい同様事例の内のほんの一例に過ぎないと強く思われる。岩波文庫が長きに亘り古今東西の古典の和訳を日本の人々に安く提供してきたことは紛れもない功の部分ではあるのだが、誤訳(本件がまだ誤訳と判明したわけではないとしても、他のケースに関しての指摘は多々あるようだ)や不必要に晦渋な表現をまるで標準的なものとして広く流通せしめてきたことは罪の部分かもしれない。無論罪より功の比率の方が大きいに決まっているけれど、日本語として破綻しているだけの訳文を何か難解な真理が表現されているに違いないとして、無知なる読者から時間と労力を奪い続けてきたことはそれなりに忌むべきことかもしれない。

以下参考としてグーテンベルクのドイツ語原文

"Geschieht die Willensbestimmung zwar gemäß dem moralischen Gesetze, aber nur vermittelst eines Gefühls, welcher Art es auch sei, das vorausgesetzt werden muß, damit jenes ein hinreichender Bestimmungsgrund des Willens werde, mithin nicht um des Gesetzes willen; so wird die Handlung zwar Legalität, aber nicht Moralität enthalten. "(原文)

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