2012年9月アーカイブ

CIMG1082.jpg 先日京都府庁舎(建築指導課)に行く機会があったのだが、ひしめく机と崩れてきそうな資料でぎゅうぎゅう詰めで、公務なんだしもうちょっとスペースを与えてあげてもいいのではとか思ったりした。普段身の回りのことはだいたい区役所で済むため、市役所にも府庁舎にもそうは行く機会がない。

 IE9でMT4の管理画面を利用する方法が遅ればせながらわかった。既にネットに出ているやり方をやってみて上手くいかないためにほとんど諦めていたのだが、久しぶりに検索したらあっさり解決。下記IE7モードとして解釈させる追加タグをtmpl/cms/include/header.tmplのヘッドタグ内のJavascript関連より上に記述すればいいというだけ。
<meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="IE=EmulateIE7" />
 追加が分かりやすいようにと同様タグをヘッドタグの終了直前に入れていたのが仇となっていたらしい。

 最近読んだピエール・ジャネの解離の症例集が印象深かった。
 解離の起源のひとつは、非現実的な(浅はかな・偏頗な・病的な)信念に、不幸にも生命や人生を全的にかけてしまった事態でありうる気がする。信念は誤っているがゆえに、現実と出会って破綻する運命に(大抵の場合は)あるが、幼少期から自己の全存在をかけて非現実的な信念を受容してきたような場合、破綻のショックに引き裂かれる程度も全的になると予想される。
 ちょっとした思い違いの露呈でも、めくらましに遭ったかのように、現実感覚がごく一時的に遠のくことが多分誰でもあるが、普通は程なく正常な感覚に戻るし再発したりもしない。解離は、そのような破綻が存在をより根底からかつ急激に引き裂くような場合に現象するのではないか。
 ジャネ以外にも新しめの解離関係の英語本を別に読んでいるが、その中に記されている妄想型統合失調症の母親に育てられた娘の症例にも、通底している気がする。母が恒常的な妄想にとらわれている場合、ごく幼い子供が、母親が話す妄想をどこまで信じないでいられるだろうか?悪いことに父性があまり機能していないような家庭で父親は防波堤になってくれない。少女が愛着する母親の異常性を自己から選り分け排除するまでには、おそらく相当以上に長い時間が必要かもしれない。その目処もおぼつかぬまま、思春期ころにやってくるある種の目覚めに際し、取り出し難く異物の混入した現実感覚がもはや全体として打ち捨てられてしまう。
 心的外傷と深いつながりがあるとされる解離関係の書籍は重い話が多く、読む側にある種の苦痛を強いる。しかし様々何かを考えさせないではいないかもしれない。

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