2012年12月アーカイブ

 英語版Wikipediaの"Oscar Janiger"項目の拙和訳です。LSDは1943年の発見から1968年に禁止されるまで、アメリカで「合法」だった期間があり、以下のジェニガーの実験もこの頃に行われたものです。実験や「治療」は彼によるもの以外にも当時多く行われたようですが、規模の大きいもののひとつとして、また芸術的創造性にも焦点をおいた一風変わった実験として、興味を持ったので訳してみました。
 訳文中のカチナ人形というのは、ネイティヴ・アメリカンの精霊信仰の対象を模した木彫りの人形で、それのまだ色付けしてないままを被験者に渡して思い思いに色を塗らせたようです。
 参照、出典については元記事からたどってください。


オスカー・ジェニガー

オスカー・ジェニガー(1918年2月8日-2001年8月14日)は、1954年から1962年にわたるLSD研究によって最もよく知られた、カリフォルニア大学アーヴァイン校の精神科医だった。

900名の人々が、LSD(通常、体重1キログラムあたり2マイクログラム)を摂取して、その体験を記録に残した。参加者には、大学生、ひとりの連邦保安官補、主婦、弁護士、事務員、カウンセラー、医療関係者、歯科医、エンジニア、があった。

ジェニガーの研究に含まれた下位の調査では、特に芸術家と創造性に対して焦点が当てられた。ひとりのジェニガー博士の患者であった、双極性でアル中の芸術家フランク・マードックは、管理された実験用のLSD薬を、後期アルコール中毒を治療する目的(彼のLSD実験のよく知られた目的ではないかもしれないが、当時としてはかなり一般的だった)で数カ月にわたって与えられた。ジェニガーはマードックにLSD服用時と平常時の両方で静物を描かせたが、これにはカチナ人形(他の70名の患者も描画したと伝えられる)が含まれる。

芸術家たちは、LSDを摂取したあとで、250もの絵画やスケッチを創造した。歴史家のカール・ヘルテルは1971年にその作品を分析し、LSDによらない芸術家の作品との比較を行った。ヘルテルは、LSD芸術はそうでない作品と比べて優れても劣ってもいないのだが、比較的明るく、より抽象的で再現的でなく、キャンバスいっぱいに描かれる傾向があった、ことを発見した。

ふたつの追跡査が行われた。ひとつめは、1968年頃にジェニガーによって行われたもので、オリジナルの患者の200名からアンケートを採集した。このデータのほとんどは、未分析のままで、限定された量しか出版されていない。

ふたつめの追跡調査は、オリジナルの実験セッションの40年後である、1999年にリック・ダブリン、ジェローム・E・ベック、ケイト・チャップマン、そしてモウリーン・アリオウトによって実施された。録音インタビューがジェニガーのオリジナルの患者45名とジェニガー彼自身によって完結された。この研究は、体験は総体的に建設的なものではあったけれど、追跡被験者の1/3しかLSD体験の長期的効果を報告しなかった、と結論づけた。

ジェニガーは、2~3の学術論文と『A Different Kind of Healing (ある特異なる治癒)』と題された一冊の本を1993年にフィリップ・ゴールドバーグと共に発表した。この本は、伝統的医療内での代替医療の利用に関する精神科医としての見解を詳述している。ジェニガーはまた、彼のLSD研究に関する『LSD, Spirituality, and the Creative Process (LSD、スピリチュアリティ、そして創造行為)』と題された第二の本をマレーネ・ドブキン・デ・リオスと共に著したが、これは(死後である)2003年にパーク・ストリート・プレスから出版された。ジェニガーは近しい友人たちからは親しみを込めてオズと呼ばれていた。

参照

(省略)

出典

(省略)

(Translated from the article "Oscar Janiger" on Wikipedia)

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 先日、ニコニコ生放送で選挙公示前の党首討論会なるものが開かれ、一説には累計140万人もの人々が視聴したらしいのだが、開始直後からサーバが重かったり、司会者が党首同士の自由討論部分をぶつ切りにしたり、ネットに具わる双方向性を軽視していたりで、やや微妙な印象も持った。しかし初期の試みとしてそれなりに意義深いという感じはした。(何年か前にストリーミング同時接続数の技術的な限界についてちょっとだけ読んだ記憶があるが、これほどの数の同時視聴をどのように実現しているのか不思議だ。擬似的な同時性なのかもしれないけど。)
 国内配信ポータルとしては、『ニコニコ』のみが国民的な水準において広く認知されつつあることに、漠然とした不安を覚える。親会社であるドワンゴの大株主はエイベックスらしいので、ライバルのソニー辺りが対抗ポータルを立ち上げればいいのにとも思うのだが。確かに、UstreamやJustin.tv、StickamにFC2、YouTubeLiveあるいはTwitcastingのようなものまで含めれば、ライヴストリーミングに関して、すでにそれなりに多様なオプションが揃っていると言いうるのかもしれないが、国家単位その他で利害がぶつかるような話題において、アメリカの私企業群が公正に差配する保証はない。
 今日築かれつつあるニコ生の国内的な独占情況に関して、不公正への危惧が湧く。
 ツイッター登場の頃がひとつの転換期だったと思うのだけど、『本物』たちがこぞってネットに参入してくると、それまでネットに逃げ込んでいた半端者たちは一瞬で表舞台から駆逐された。逆に、旧メディアが何らかの事情で飼っていた偽者をネット側があばきだすというケースもあったかもしれない。そういう既存メディアとネットメディアの相互作用は新しくよいものだったけれど、古い勢力への反動でありながらもその領野で突出して膨れ上がってくる者があるとすると、今度はその内部において退廃の花が咲き始めるかもしれない。
 ニコ生公式放送の番組表にざっと目を通すと、地上波TVの劣化版みたいな、あるいはほとんど同じような番組が増えてきたような気もする。ある種の退行?いろんな意味で、ニコ生には同じ分野における直接的な対抗勢力が必要であるように思われる。
 それ自体が虚構とまで言われることもあったネット世界も、もはや少なからずが実社会とがっちり結びついてしまった感があり、それは多分いいことなんだろうけど、なんだかちょっと寂しくもある。これからもどんどん根なしの情報は迫害(!?)されていくことだろう。本ブログもどうしたものか。ただ、充分に洗練された虚構はネットの芸術や芸能として生き残るかもしれないけれど。

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