内省する力

 BPD方面の掲示板を見ていて、書き込みが生々しく、反省というか自分の認識をやや改めていた。
 やはり弱者同士が深く支えあうというのは美しい光景のようでかなり危険だ。なまじっか相手の気持が分かってしまうから、共感できるという意味ではどうしても引き寄せられてしまうが、羅針盤のない船の平和のようなもので、あとから大変なことになる。
 親子なら共依存もある程度仕方ないで済む場合もあるだろう。あるいは「育て直し」が功を奏する可能性すらあるのかもしれない。しかし、カップルの場合は所詮他人なので、多少は相手の親役をやってあげることがあるにしても、状況が本質的に異なる。双方が病んでいて悪循環の「純度」が高まってしまうと(どちらも別れればいいはずなのに別れられない)、エスカレーションが相当なことになるようだ。
 病者側の未熟さをやすやすとカバーしてなお余りあるような、経済的にもメンタル的にも知的にも強い健康優良児みたいなのと付き合うなら、共依存状態を完全に避けられるのかもしれない。しかし普通ですら難しいのにそういう少数の強者がわざわざ病んだ者をまじめな交際相手に選ぶとは思えないし、あってももはや保護者みたいな状態であり、成熟を前提とする感情の部分で相当通じ合わないだろう。
 掲示板の書き込みでは、多くの人が互いに傷つきながら関係を保ったり断ったりしているようだった。

 「BPDは内省できない」みたいなパートナーの方の述懐があって印象に残った。BPDのすべてが内省が苦手かどうかは症状の軽重や個性の関係もあると思うので留保するとしても、傾向として、自我や自尊感情や現実検討能力が弱いと自分というものの輪郭がはっきりしなくなると思われ、内省しようにもできなくなるのではないかと思われる。これは逆に誇大感によって自己の輪郭がなくなるNPD(不健全なナルシシスト)もその傾向があるのではないかと思う。
 内省ができているうちは、仮に悩んでいるとしても、ある程度自他の区別が適正に保たれている兆候かもしれない。内省ができず、手っ取り早く合致する解答をどこかに探すように、自分について「他人の頭で考える」しかないようだと好ましくない状況かもしれない。いろんな知識や考えを仕入れることはもちろん大切だが、それだけで自分が解決されることはないのだから。
 私は、弱い自我を強くすべきみたいなことをこのブログで書くが、これはわがままになるみたいな意味ではない。自他の区別がありながらも共感性を失わず比較的安定した自我のことを強い自我として指している。いわゆる自我脆弱や自我拡散に陥らない強い自我のこと。関連書籍に出てくる内容を私なりに噛み砕いて書いてるつもりだが、やや誤解を生むかもしれないと気付いたので。しなやかで強い自我。

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