愚者の愛

 肉まん一袋(四個入りかなんか)食べた日以来ずっと調子悪かった。賞味期限が迫っていたのとチューブからしがもう少しで使いきりだったシチュエーションで、わりと無理して食べたらあとがどんより。大食すると覿面に体調が悪くなるので(たぶん母もそうではないかと思う)、太りたくても太れない。
 飽食系のユーチューバーとかをどこか羨ましく見ている時があり、これはまだまだ自他の曖昧さが取れていない証拠であろうか。反省したい。

 このところのWindowsタスクスケジューラとの戦いが、ようやく終止符を打った感じで喜ばしい。一般にアップグレードしたWin10から元に戻すと様々な不具合が出るようだが、タスクスケジューラ問題はその中でもひどいもののひとつかもしれない。

 アマゾンに書いたレビューが反映されない。外部URLを記載していて『掲載できませんメール』が来たのだが、外部URLを削除して昨日再送したら今度はなんの音沙汰もない。タイトルを変えるべきだったかもしれない。星は3つで褒めてはいないが特に貶してるわけでもない。他にもなにか問題が???


 ウィトゲンシュタインは、人間は本当には「無限」を概念化し得ないというようなことを言ったと思うが、このことは人のナルシシズムの有り様と深く関わっているかもしれない。あるいは、人の持つ全能感の、現実とのズレを宿命として表現しているかもしれない。
 ナルシシスト、あるいは彼らに対する補足的ナルシシストたち(ファンとか信奉者みたいな人々)は、対象を全能視することがままある気がする。全能とはある種の無限であり、対象が有限的な存在者であることに本来いささかの疑義もないのであるから、これはシンプルな矛盾である。

 むしろ人間は何かを無限として概念化したがる存在なのかもしれない。あるいは未知と無限を混同しがちな存在なのかもしれない。未知からあらわになるのは恐らく「現実」以外の何者でもなく、例えばネットが露わにした新現実に旧式の夢(無限)が通用しなくなって、右も左も(政治的なやつ)七転八倒ということになったりする、のかどうか。

 いわゆる「無知の知」は、"I know that I know nothing."みたいなことが本来らしく、これだと「私は私が何も知らないことを知(ってい)る」ということになる。これ自体パラドクスなわけだが、自明性への懐疑に繋がるような退行は避けることにして、人が知と無知のあわいで揺れ動きながら生きているという健全ぽい解釈を選択することにしてみよう。また、そうして、知はいつかゆっくりと現実によりついていくのだ、と思いたい。

 「万人の万人に対する闘争」はトマス・ホッブスの言う人の自然状態のことだが、私は最近これは人の未来像なのかもしれないと思い直している。未開の人は弱くてむしろ支えあわなければ生きてゆけない。市民社会の暴徒のような状態も特殊な理由で一時的に社会秩序から逸脱したものでしかない。むしろ万人の万人に対する闘争が公正な(!?)ルールにのっとって行われるのが未来、てなんか寒々しい感じもするな。

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