2019年11月アーカイブ

 C-PTSD(複雑性外傷後ストレス障害)の概念は未だに米国のDSMには採用されていないが、国連のWHOの疾病分類では去年6月に発表された最新のICD-11から採用されている。
CIMG3058.jpg ジュディス・ルイス・ハーマンが『心的外傷と回復 』(1992)の中で初めて提案したC-PTSDのモチーフは社会生活に潜む継続的暴力によるものだが、それを押し進めた、彼女の影響を受けた英米カウンセラーによる、なんらかの人格障害の近親者からの被害としてのC-PTSDという最近のアイデアは、かなりドラスティックな衝撃を与える(じゃあ何でもありじゃないか的な意味においても)。
 C-PTSD概念の提唱者であるハーマンは女性であり、主張の中でも多く家庭内での(性)暴力の被害を念頭に置いているが、以前紹介したスティーヴン・ジョゼフの『トラウマ後成長と回復』でBPDとPTSDをつなげようとしていた勢力がフェミニズム方面の人々であったのも、元締めである彼女の影響が予想されるような気がする。ただ、日本語版Wikipediaではハーマン自体がラディカルフェミニストとして紹介されてはいるのだが、ソースはいまいちよくわからなかった。また記憶回復療法は(効果はともかく、また催眠術を利用せず対話によって引き出すものも含めれば)フロイトから今に至る一般的な方法のひとつであり、記憶の不正確性や事後的な改変が起こることも新しい知見ではまったくないので、日本語版Wikipediaでのこれらをひとからげに「ハーマン一派」に帰責する説明は誤っているか言葉足らずである(当時の訴訟の成り行きを根拠に過分なことまで否定しているように受け取れる)。
 最近のカウンセリング本が主張するようにC-PTSD概念を人格障害の二次被害のような領域にまで敷衍するということは、例えば、対象関係論(あるいはコフート)の原因論でよく出てくる「非共感的な母親」の振る舞い等もC-PTSDを構成するひとつのトラウマ足りうるということになるであろうが、私としては、所詮、対象関係論とトラウマ派で別のルートで同じ山を登っているだけという感じを併せ持たなくはない。ただトラウマ派が新しいのは、戦争とか刑事事件とか極端なDVの被害事例から遡行するような形で、既存の精神疾患のカテゴライズを破壊しつつ、むしろその本質により直接に到達しうる場合があるかのように思わせるところだ(本当にそうであるかどうかは留保する)。
 トラウマ派の好感を持てるところは、必ずしも「セオリー」を重視していないところかもしれない。フロイトのエディプスコンプレックスにしろ対象関係論の○×ポジションとかにしろ、精神分析の中核には必ず何らかの人間の精神発達に対する(大それた)理論化への意志があった。それらは当初かなりバカバカしい部分も多かったかもしれないが、一応時代を経てそれなりには穏当な概念に修正されてはいった。しかしそれら膨大な努力はどこまで行っても、あるいは今なお、仮説でありある種の申し合わせにしか過ぎない。トラウマ派は症状の向う側にある人間性の本質的「構造」を軽々に想定しようとしない。彼らは症状の実際的な現れ方により注目するからだ。
 振り返れば、カーディナーの頃はまだ巨人フロイトの影響が強すぎてトラウマ派がささやかにしか独自色を出せないでいた感じがする。今となっては、戦場の地獄を語るのにフロイトの概念を利用せざるを得なかったのはなんともちぐはぐな印象を与える。また、ハーマンの主張によると、フロイトは保守的な時代背景により患者の近親姦被害の訴えを嘘と決めつけたりして、PTSD的なものに深入りしないような学問的立場を選んだとされ、その意味でもフロイト理論は間尺に合わないということになるだろう。


追記(2019/11/18):
 まだ内容的にもやもや。
 記憶が部分的に失われることは解離でも抑圧でも起こる症状のはずで、医療はどうしたって何らかの対処をそれにするわけで、広義の記憶回復療法は滅亡しようがないと思われる。おそらくほとんどの精神療法は記憶回復的な要素を持っている。ハーマンが若い頃行っていたのは催眠による記憶回復でこれは催眠療法の一種と表現すべきものでもあろう。いずれにせよ、治療過程で「蘇った」記憶に裁判での高い証拠能力が認められないのは当たり前で特に驚くに値しない。ある記憶が患者にとって激烈な負の意味をもつ場合に、その記憶を意識の俎上に載せ、苦痛を取り除くことで当人が回復するということが治療にとって重大なことなのであって、記憶の真実性はもともとそんなに重要じゃない。当人がそう信じ込むなり、無意識に創造するなりして出来上がったフィクションだとしても、それを梃子に症状が治れば問題ない。
 また治療過程で不作為に醸成されたストーリーと、復讐や金銭目的等で意識的に捏造されたそれでは、さらに別の話であろう。

 フェミニズムの件はYoutubeにあったハーマンのインタビュー動画でかなりそれらしいことを言っていた。そのような内容に触れた自著もあるようだ。社会運動と専門分野の橋渡しを公言する彼女は、例えば、政治的意図のために患者の記憶を誘導したのではないかという疑いを持たれても仕方がなかったかもしれない。あるいはそのような不透明性が論敵に利用された面もあったかもしれない。
 精神科医たちが毎日人々の悲惨な体験を聞かされて社会的な発言をしたくなる気持ちはわからなくもないが、そのやり方はかなり注意を要するのかもしれない。


追記2(2019/11/25):
 日本語版Wikipediaのハーマンの項目がひどいのは、要は、彼女の最大の功績である『複雑性PTSD』の発見について何も述べていないところだと思う。このところ読んでいる岡野憲一郎の『新外傷性精神障害』の中でも、ハーマンは現代における拡張PTSD概念の端緒として叙述されている。しかも、後世の検証の進み具合によっては、力動精神医学から外傷精神医学への転換点としての、より大きな功績者として認識される可能性を持っていると思う。
 知識の入り口でWikipediaを見る人は多いのかもしれないが、最初にあの記事を読んでもし人物を納得してしまったとすると不運としか言いようがない。催眠療法によって引き出された記憶が裁判の証拠として不十分であることは当たり前かつ些末であり、それによって彼女の学問的価値が毀損されるものではない。

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