あちらを立てればこちらが立たず

 私は昔、(諸事情により)多少メンタルヘルス系の書籍を読み溜めた頃に、ネット上にことさら偏った人物を見つけようとしていた時期があった。今はもうネット情報の断片性や不効率性に気づいて新規開拓はほぼやめてしまったのだが、まだpeercastが動画配信の中心だったような時期に、ひとりの統合失調症の診断を受けているという女性の動画でいわゆる「言葉のサラダ」「観念奔逸」のような症状を見て驚き感銘を受けたことがある。本に書いてあったのはこれのことか、というわけである。その女性は数年後にはかなり回復して、ツイッターか何かで理解者と結婚したらしいあるいは子供もできたというような情報を知ったのだが、年月を経ても大抵はあまり変化のない病者たちの中で、症状的にも社会的にもかなりの改善を達成したらしい特筆すべき人物として彼女を記憶していた。
 しかし、今年ルータ及びOSのポート開放ができるようになった関係で(前はマンション内の別スペースにフロアを一括して処理するルータがありそこから各戸にLANケーブルだけが敷かれる方式だったためポート開放は不可能だった)、多分10年前後の時を経てふたたび彼女の配信を視聴したのだが、浮気配信のような内容で非常にがっかりした。確かに、明らかに安定的に普通に会話できていたし統合失調症の症状的にはあの頃と比べるべくもないのだが、見れない間私が夢想していたのとは違い、ちっとも安定していない現実がそこにはあった。視聴者から注目されたいために浮気中継をしている感じもなくはなく、配信依存のような側面も危惧した。
 常識的には彼女はそれなりに円満たるべき環境にあったはずだが、やはりなにか過剰なものを背負っているということであろうか。


追記1(2020/05/03):
 ベイトソンのダブルバインド仮説は流行らないが、統合失調症者は意識の枠組みにおいてどこか二律背反的な構造を予感させる。何かが予めせめぎ合っている。集中力がないとか飽きっぽいとかいうのとは違う。深みにある矛盾によって土台そのものがねじれている。寛解しても(or薬で症状を抑えても)必ずしもそこから自由になり切れない場合があるのかもしれない。

 フロイトは一人の患者も治せなかったと言われるが、3つくらいのパターンが挙げられていたような気がする。①そのまま治らなかった ②一旦治ったように見えたがしばらくして再発した ③当初の症状は治ったが(反動と思われる)別の症状が発生した


追記2(2020/05/23):
 流行らないと言えば一昔前までの書籍には「プレコックス感」なるものが記述されていたが、ほとんど死語になったような気がしないでもない。要は統合失調症者から受けるいわく言い難い印象のことなのだが、追記1前段に示したような内実だったのか、あるいはもっと別のことを意味していたのか今となってはよく分からない。
 精神医療が独占していた病者たちの実像がネットによって暴露されて、彼らをことさら神秘めかす行為が野放しでいられなくなった面もあるのかもしれない。

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