2022年1月アーカイブ

 HDDの隅になぜかテキストファイルとして保存してあった、匿名掲示板の古い書き込みを発見。
 「優しい名無しさん」というのは旧2ちゃんねるのメンタルヘルス板のデフォルトネームみたいなのだが、私はメンタルヘルス板に行っていた記憶はあまりない。稀に見に行って、(保存してあるということは)よほど印象に残った書き込みだったのだと思う。
 今読んでも言っていることがかなり正確で当を得ており、2002年の段階でこんな認識に至っているとは相当に素晴らしい。この頃にNPD親について書かれた一般向け和書なんてあった気がしないので(今でもほぼ皆無かも)、この方は内省に加え基礎的なことを勉強してこのようなまとまった認識を得るに至ったのではないかと思われる。
 ただここに書かれているのはNPDに育てられた子供の一つのパターンに過ぎなくて、誇大感を(攻撃を伴うような形で)能動的に発露しようとするようになる場合もあるし、趣味的なことへの常軌を逸した逃避や社会的な孤絶に至るようなパターンもあるだろうと思われる。
 抽出したフレーズをクォートしてGoogle検索しても何もヒットしないので、この頃のデータはもはやネット上から消えている可能性があると思われ、気まぐれにここに補完しておく。

719 名前: 優しい名無しさん 投稿日: 02/08/26 05:54

自己愛性の親に育てられた子供の後遺症について調べた事をまとめて書きます。

親が自己愛性の場合、子供も自己愛性になる確率が高い。
主な原因は、1.ネグレクト(放任) 2.溺愛(過保護) 3.虐待
しかし、自己愛性の親による強力な洗脳のせいで自己愛性とは正反対の、
過剰に「利他的」な人間に育つ場合もある。
ここのスレの自己愛性被害者の人達で親が自己愛性の場合、後者が多いはずです。

自己愛性の親は自分の子供にさえ嫉妬し(自己愛性の嫉妬は無限で無差別なので)、
子供が正常なナルシシズムを持つ事すら許さず、ただ自分を輝かせる為だけの、自分
の延長線上の存在として育てる。子供が自分より幸福になる事を許さない。その結果、
自己愛性に育てられた子供は、大人になって親から離れても自己愛性の他者を輝かせる
存在として生きてしまう。

自己愛性の親に育てられた子供は、競争を嫌い、注目を嫌い、誉めらると居心地が悪く
なり(いい気になると親から罰せられるという刷り込みがある為)、自己の利益に
無頓着で、他人を喜ばせる為にエネルギーを消耗し、普通の人間なら嫌がる自己愛性
の人達といる事に不快感を感じにくい。むしろある期間は自己愛性の人達といると人生
に彩りがあるように感じエネルギーがわいて来るように感じる。自分は無価値だと
思っている。

自己愛性の親に育てられた人は子供の頃から親を幸せにし、まわりの人達を幸せに
する事に心を砕き、自分の幸せは後回しどころかそれを求めると親から罰せられると
いう刷り込みがあるので、自分を幸せにする術を知らない。幸せになると言う事は親へ
の裏切り行為だと思っている。唯一自己愛性の人達の世話をしている時に、自分の
役割があるような気がして一時的な、しかし後に苦痛を伴う、安定感を得る。親から
健康的なナルシシズムを抑圧されているので、自己愛性を賞賛し、理解を示し、
自惚れ鏡になってあげる(ミラーリング)事によって、代償のナルシシズムを得る。

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 いわゆる「変容性内在化」に関する丸田俊彦と和田秀樹による説明なのだが、コフートのセオリーの文脈としてはどっちもそれらしいと言えばそれらしいのだが、以下に示すように両者はかなり言ってることが違う。あるいは、総体として複雑な概念に対して、切り口が違うだけでどちらかが間違っているというわけではないということもありうる。ネット上のテキストでは丸田派が多いのだろうか。
 私が'The restoration of the self'を購入して読んだときは、コフート自身による明確な定義付けの箇所はなく、「変容性内在化」とは、母親のリアルなイメージを換骨奪胎して(ある程度都合よく抽象化して)子供が取り入れる、みたいな理解だったので、丸田側なのだろうか。
 初めに「変容性内在化」が説明された『自己の分析』は邦訳を図書館で借りて読んで、複雑な上に訳文に閉口したイメージ(今読むとまた違った印象が得られるかもしれないが)。しかもコフートはその後(双子転移の取り扱いを含め)生涯をかけて自説をゆっくり修正・整理していったはずなので、その加減もある。
 もともと簡潔な定義があるわけではないのなら、解釈の余地として、和田説もありうるのかもしれないが。

『コフート理論とその周辺』 丸田俊彦 p111
 Transmuting Internalization:変容性内在化
 Kohutの用語。理想化された自己-対象idealized self-objectが内在化されて精神的構造となる過程。われわれが口にする異種タンパク(たとえば牛肉)が体内で消化、同化されて血となり肉となるように、自己対象が内在化される過程において(自己-対象がそのままの形で内在化されるのではなく)変容をとげるところから、変容性内在化と呼ばれる。すなわち理想化された対象に対する幻滅(それは多くの場合理想化された対象に対する正しい現実的認識でもある)がわずかずつ進み、最適量のフラストレーションoptimal frustrationが持続すると、理想化された自己-対象へのlibido投資investmentが撤回され、非人格化された特定の機能が内在化されることになる。この過程が自我理想を生み、超自我に理想化を行う特性idealizing qualityを与えるため、内在化された自己評価調節機能は安定し、自己は心的緊張の調節装置となる。Kohutはこの変容性内在化が正常発達過程として起こるばかりでなく、精神分析の治療過程としても見られると主張する。
『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』 和田秀樹 p141-142
 (注:フロイトの超自我に対して)一方、コフートのいう理想化自己対象とは、あくまでも外にあって自分の一部として体験される対象であり、心の中に取り込まれて完全に住み込むものではないのです。しかし理想化自己対象がそばにいなくても、その自己対象との関係がしっかりしたものであれば、ある程度は代わりとして心の中にいてくれます。ですから、ここではコフートは「変容性内在化」ということばを使っています。変容性とは完全には住み着かないという意味です。しかし、多少は内在化するので、自己対象がいつもそばにいなくても何とかやってはいけるのですが、あまり相手がそばにいないと、自己が不安定になったり、ばらばらになってしまうと考えます。あるいは非常に不安なときなどは、自己対象を求めてしまうというわけです。

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CIMG3501.jpg
 今年は参道の屋台が復活していた。

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