「変容性内在化」のふたつの説明

 いわゆる「変容性内在化」に関する丸田俊彦と和田秀樹による説明なのだが、コフートのセオリーの文脈としてはどっちもそれらしいと言えばそれらしいのだが、以下に示すように両者はかなり言ってることが違う。あるいは、総体として複雑な概念に対して、切り口が違うだけでどちらかが間違っているというわけではないということもありうる。ネット上のテキストでは丸田派が多いのだろうか。
 私が'The restoration of the self'を購入して読んだときは、コフート自身による明確な定義付けの箇所はなく、「変容性内在化」とは、母親のリアルなイメージを換骨奪胎して(ある程度都合よく抽象化して)子供が取り入れる、みたいな理解だったので、丸田側なのだろうか。
 初めに「変容性内在化」が説明された『自己の分析』は邦訳を図書館で借りて読んで、複雑な上に訳文に閉口したイメージ(今読むとまた違った印象が得られるかもしれないが)。しかもコフートはその後(双子転移の取り扱いを含め)生涯をかけて自説をゆっくり修正・整理していったはずなので、その加減もある。
 もともと簡潔な定義があるわけではないのなら、解釈の余地として、和田説もありうるのかもしれないが。

『コフート理論とその周辺』 丸田俊彦 p111
 Transmuting Internalization:変容性内在化
 Kohutの用語。理想化された自己-対象idealized self-objectが内在化されて精神的構造となる過程。われわれが口にする異種タンパク(たとえば牛肉)が体内で消化、同化されて血となり肉となるように、自己対象が内在化される過程において(自己-対象がそのままの形で内在化されるのではなく)変容をとげるところから、変容性内在化と呼ばれる。すなわち理想化された対象に対する幻滅(それは多くの場合理想化された対象に対する正しい現実的認識でもある)がわずかずつ進み、最適量のフラストレーションoptimal frustrationが持続すると、理想化された自己-対象へのlibido投資investmentが撤回され、非人格化された特定の機能が内在化されることになる。この過程が自我理想を生み、超自我に理想化を行う特性idealizing qualityを与えるため、内在化された自己評価調節機能は安定し、自己は心的緊張の調節装置となる。Kohutはこの変容性内在化が正常発達過程として起こるばかりでなく、精神分析の治療過程としても見られると主張する。
『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』 和田秀樹 p141-142
 (注:フロイトの超自我に対して)一方、コフートのいう理想化自己対象とは、あくまでも外にあって自分の一部として体験される対象であり、心の中に取り込まれて完全に住み込むものではないのです。しかし理想化自己対象がそばにいなくても、その自己対象との関係がしっかりしたものであれば、ある程度は代わりとして心の中にいてくれます。ですから、ここではコフートは「変容性内在化」ということばを使っています。変容性とは完全には住み着かないという意味です。しかし、多少は内在化するので、自己対象がいつもそばにいなくても何とかやってはいけるのですが、あまり相手がそばにいないと、自己が不安定になったり、ばらばらになってしまうと考えます。あるいは非常に不安なときなどは、自己対象を求めてしまうというわけです。

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