復讐と全能感

・Marc Tonkin, Ph.D., and Harold J. Fine, Ph.D. (1985) Narcissism and Borderline States: Kernberg, Kohut, and Psychotherapy 〔PSYCHOANALYTIC PSYCHOLOGY, 1985, 2 (3) 221-239〕
https://www.sakkyndig.com/psykologi/artvit/tonkin1985.pdf

 著者は、今の読者には唐突な感じで、トマス・クーンのパラダイム理論を紹介して(当時流行っていたのだ)前半の紙幅を費やすのだが、クーンの理論によれば、成熟した科学は説明をシンプルなものにするがクライシスの中にある科学はノイズや複雑さに満たされる、という。著者は、シンプルな理論としてコフートを、複雑な理論としてカーンバーグを紹介するが、カーンバーグに対してコフートの理論が同一線上でより成熟しているということではなく、伝統的なフロイト理論の限界域で格闘するカーンバーグと、新しい概念で理論を構築するコフートの間に、ある種の断絶があるということのようだ。

(p.229) Narcissism develops gradually throughout infancy and early childhood along two separate but parallel tracks of development that correspond to two precursors of later images of the self and the other person. The first track concerns an image of the self called the grandiose self, and the second track concerns a self object called the idealized parent imago. The development of narcissism moves gradually from an archaic state of fusion of the self and the other to the differentiation of the self from the other. The grandiose self and the idealized parent imago represent the first distinct differentiation and form of the foundation upon which further differentiation of the self is built.
(p.230) As the child experiences frustrations (e.g., hunger) in this state, he develops an ability to reconstruct the euphoria of the nonfrustrated autoerotic state by forming a grandiose and exhibitionistic image of himself (the grandiose self) and a perfect, omnipotent selfobject (the idealized parent imago).
 上2つは、コフート理論の、乳幼児の原初的な融合状態から誇大自己と理想化イマーゴに分かれる場面を説明した箇所からの抜粋だが、コフートは(カーンバーグと違い)誇大自己をもともと健康なものとして捉えている。空腹などのちょっとした苦痛が母親と自分が別の存在であることを予感させ、全体としては肯定感を保ったまま、自己と母親(イメージ)への分離が進む。別言すれば、これは誇大感の分担のようなものだ。この分担は現実を受容するに付随して差異化を繰り返しながらどんどん進行し、健康な大人になる頃には誇大感はほとんど世界全体へと雲散霧消してしまう運命にあると思われる。ナルシシストの異常性は、この文脈では、原初の分担の失敗が尾を引く誇大感の抱え込みにあると思われる。
 本稿によると、カーンバーグ理論による健康な発達では誇大自己や理想化イマーゴは生じないとしている(それらはスプリッティングの反映のように捉えられる)。そういうことなら、コフートは幼少期のある程度の欠損は当たり前のものと前提しているように見えるかもしれないが、一方でカーンバーグは病的な側面にのみ注目している感じもするのでもともとの視座が異なるのかもしれない。
 いわゆる「投影性同一視」は赤ちゃんの原始的防衛機制を表す場合と、BPDやNPD等の患者が示す病的な(原始的)防衛機制を表す場合に分けられるが、後者に関して本論文中に端的な要約があったので訳してみた。たぶんWikipediaよりもかなりまし。
(p.235) The term projective identification refers to the patient's tendency to defend against a dangerous object, which he has created projectively, by identifying with that very same aggressive object and "empathically" becoming aggressive himself toward the object. This is expressed by the patient attacking the object before it attacks him.
(私訳)「投影性同一視」とは、患者の投影的に創造する危険な対象への防衛傾向を意味しているが、患者がその攻撃的な対象に同一化し、その対象に向かって『共感的』に攻撃的になることによる。これは、対象が攻撃してくる前に患者がそれを攻撃することで表現される。
(p.236) Kernberg and Kohut differ in three major ways: They focus on diagnostically different patient groups, they have different etiological theories to explain the pathology with which they deal, and they use different therapeutic techniques.
1.カーンバーグは転移を起こさない分析不可能な患者を診たが、コフートは自己愛転移によって分析可能な患者を診た。
2.カーンバーグの考えるボーダーラインの原因は発達の病的な成り行きにあるが、コフートが考える原因は正常な発達のある時期における停止にある。
3.カーンバーグの治療は闘争的なトーンで行われ抵抗を利用し解釈を与えて患者の自我を強くしようとするが、コフートの治療は静かな雰囲気の中で自己愛転移を利用して患者の失われている構造を控えめな形で供給する。
 私はカーンバーグとコフートのどちらが正しいとも確信しないが、乳幼児が(不満や苦痛や恐怖などの)負の感情から誇大感を生み出すという機序について、改めて反芻せざるを得なかった。鍵要素となるomnipotenceは日本語では万能感とも全能感とも訳されるが、おそらく万能感というものは多幸感に近い。それに比べて、全能感はそれ自体なにか常軌を逸した異様なものだ。北山修も著書のどこかで両者を区別していた気がするが、私の語感と一致するかどうかわからない(多分しない)。説明を試みれば、満たされた乳幼児は万能感を持つが、全能感を持つのはむしろ満たされない乳幼児なのだ。外部を忘却するのが万能感、外部を妄想によって上書きしようとするのが全能感。(薬物によるような場合は別にして)前者は健全であり、後者は病的ということになるだろうか。
 空腹になってもいつもは泣けばすぐにお乳にありつけたのに、何らかの事情で今回はどれだけ激しく泣いても救済者(母親)が現れないという場合に、乳児は欲望の成就を阻止するこの世界を滅ぼすべき邪悪なものとして妄想しだすかもしれない。正義は我にあるわけだ。なんだかカルト宗教にありそうな理路だけど、そこでは、超越的な力が間違ったこの世界を正すことになるはずなのである。
 コフート的な誇大自己と理想化イマーゴへの分裂は、自然な万能感を破綻はさせず小さく揺るがす程度の危機によって生み出されると思える。しかし、この万能感の維持が致命的に失敗した場合、乳幼児は世界への復讐のための全能感(妄想)を生み出し、ひいてはそれが病的なナルシシズムとなっていく。

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