以前、私がウィニコットの偽りの自己がうまく理解できなかったのは、支配-被支配関係の逆説性(支配する側も実は支配されている)にこだわったからだと思うが、その後、偽りの自己を生み出す状況がまったく不作為にも起こりうることが納得できて、理解はややましになったかと思う。
しかし今になって、病的自己愛の世代間連鎖をめぐって、これは親も子も偽りの自己で生きているということなので、一周したような格好で支配-被支配関係が重要な要素でないわけではないと再び思い出すようになってきた。彼らは相互的に持ちつ持たれつのファンタジーを生きているからだ。
私の間違いは、偽りの自己の発生と維持とをある程度混同していたことと、権力関係を偽りの自己の必要条件として過大評価したこと、に原因があったように思う。
ただ、親側に作為なく子が偽りの自己を形成して、親がそれを本当の子だと誤認しているようなケースも気にかかる。
Elan Golombが古い方の著作の最後の方で「私が47歳の時に~」とか言い始めて驚愕していた(ということはこの時点でそれ以上の年齢)。博士号も持ったカウンセラーなのに、中年以上になっても病的自己愛の親からの影響に悩んでいることになるわけで、落胆せざるを得なかった。しかもそれから23年後の著作(当人70歳以上?)でも、結論部で『別の生き方は見つからなかった』という趣旨のことを仄めかしており、もはや三つ子の魂百までの再確認か。
ネット検索してみるのだが彼女の正確な年齢はよくわからない。
追記(2021/06/30):
一般にNPD母は子に合わせることに何らかの支障がある。
母親が自分とは非常に違った赤ん坊をもって見込みちがいをすることも本当におこる。赤ん坊が彼女よりもすばしっこかったりのろかったり、などである。このようにして、赤ん坊が求めているものと思ったことが実際はまちがっていたということがおこる。しかしながら、不健康や身のまわりからのストレスのために歪んでない限り、全体として母親は幼児の求めるものをかなりの確かさをもって知ろうとするし、さらに求められたものを好んで与えるのである。これが母親による育児のエッセンスである。
"母親からうける育児"によって、幼児は独自の存在をもつことができ、存在の連続性とでも呼べるものを形成しはじめる。この存在の連続性を基礎にして、生得的な潜在力は次第におのおのの幼児のなかで芽を出しはじめる。育児が適切でないと存在の連続性を欠くために、幼児は真の意味での存在とはならない。その代わり、環境からの侵害に対する反応に根ざした人格をつくりあげるのである。D・W・ウィニコット『情緒発達の精神分析理論』P54-55
NPD母は基本的に侵入的でもある。
母親は赤ん坊を彼女の個人的経験や感情に巻き込まない。彼女の赤ん坊は彼女が殺したくなるくらいまでに泣きわめくこともあるが、彼女はまったくいつもの配慮でもって赤ん坊を抱き上げ、復讐することはない―いや、したとしてもそれほどでもない。彼女は赤ん坊を彼女自身の衝動の犠牲者にすることを避けようとするのである。育児とは、治療することと同じで、個人の信頼度についての試練のようなものである。北山修『錯覚と脱錯覚』P30引用 D・W・ウィニコット『子供と家族とまわりの世界』原書P87
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