今月初めに借りた四冊の感想

『電波利権』 池田 信夫
 政官業の腐敗構造に鋭く迫るとまでは行かず、基本的な事柄をなぞったような内容でやや物足りなかった。所詮素人なので基本を論じてもらっても一向に構わないのではあるけれども、自分としては地上波マスコミに具わってきたと思われる「古い問題」の方にどちらかと言うと興味があった。なぜ、電波帯域の空いていた時代に新規参入も入れ替えも全く行われず、電波利用料はただ同然の安さで、放送免許の保有資格に基づくような行政罰が史上一度も発動されたことがないのか、またなぜにケーブルテレビが発達しなかったのか、等々を知りたかったのだ。あるいは政治権力や大手広告代理店による支配or相互支配について。おそらくこちらの方にこそより本質的で深い闇があると思うのだが本書では殆ど述べられていない。地デジや携帯電話との帯域確保争いの喧騒に押し流され、つまりは新時代の到来とともに、古き澱は人知れず罪を問われることもなくただ消え去って行くのだろうか。そうであってはいけないような気がするのだが。

『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 有馬 哲夫
『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』 関岡 英之
 上記二冊はよくある陰謀論というほどには認識や論理が飛躍してもいないのだが、どちらもアメリカの日本支配について書かれた本であり、それ以上さほど強い印象もなかった。有馬氏の方は史料的性格が強いと思う。関岡氏の著書はなんか当たり前のことに対して殊更に驚いている感じが付きまとって、その点に関しては、かなり違和感があった。まるで日本が敗戦国だということを知らない人が書いたみたいだ。内政干渉はとんでもないと言うが、年次改革要望書なんぞより現日本国憲法がすでにアメリカによる内政干渉の最大の賜物の一ではないのか。日本が現在もアメリカの半属国であるという事実に大袈裟に驚いて見せることで日本国民に独立主権国家としての地位を回復させるよう促したいのかもしれないが、日本側にどれだけイニシアティヴがあるのか非常に疑わしく、誰かが声高に叫んだところでなるようにしかならない問題だと私は思う。

『良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖』 マーサ スタウト
 「サイコパス、譫妄なき狂気」というわけだが、思いのほか面白かった。
 サイコパスにとって、良心というものはどこまでも彼らの奇妙なゲームの一環に於いて演じられる対象でしかなく、またすべての他人は「もの」でしかない。非常識なほどの犠牲を払ってでもゲームに「勝ちたい」人格なのだが、この「勝つ」という概念自体が普通の人とずれている。すなわちすぐばれる嘘でもその一時に於いて他人を出し抜けられれば絶対的な勝ちなのであり、自分の惨めさを訴え同情を引くことに成功するのもなぜか勝ちなのだ。もしかしたら他人を良心の重荷に括り付けることが彼らにとっての勝利なのかもしれない。
 ある種の麻痺者が痛点を持たないように、サイコパスは良心というものを感じ取る力がない。そのことが社会内である種の自由さと言うか逆説的な優越性として作用する場合があり、彼ら自身もその点において倒錯した自負心を抱いている。ただし本来、生産的な能力を背景とするような優越性ではないため、何か外的な刺激に身を晒すときにだけ現れる一瞬の火花のようなものである。そのためかサイコパスはいつでも自ら外的刺激を求める傾向を持つ。
 著者はどちらかと言うと遺伝子異常にこの障害の主たる原因があると思っているようだ。
 超自我と良心は必ずしもイコールではないが、やや広く観て超自我に類縁するものなのだとすれば、それが健全に機能しないのは、例えば分離個体化の周辺で母親が父親を根底的に否定していたからかもしれないと思う。そのためちゃんと父性的愛情を伴って「禁止」や「抑制」がもたらされたとしても、母親が遮断してしまい、内部に取り込めなかったのではないか。乳児期の子供に対してちぐはぐな対応しかしない母親への不信が基底的な人間不信に及んでいるような場合、あるいは父親が何らかの内的事情で父性的愛情を発揮できないケースに於いてもまた子は自らの内に正しい超自我を育めない様に思う。

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