生化学から見た現代精神医学の限界

・『精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構』 エリオット S.ヴァレンスタイン (著), 功刀 浩 (監修), 中塚 公子 (翻訳)

 本書は生化学的・薬学的な側面から見た現代精神医学の限界と問題点を述べた作品なのだが、原著は1998年に出版されており今となっては情報としてやや古くなっている部分もあるようだ。邦訳の出版年は2008年であり、故意に翻訳を遅らせているとは思いたくないが、ちょっと不自然なくらい時間が掛かっているような気もする。SSRIの副作用に関して『抗うつ薬の功罪―SSRI論争と訴訟』が有名だがこちらは2004年と2005年で一年程度しかタイムラグがない。
 鬱病におけるセロトニン仮説および統合失調症におけるドーパミン仮説の無根拠性、大手製薬会社と学会や学術誌や患者支援グループ等との癒着構造、その他について興味深い話が多く書かれている。この数十年に亘って躁鬱病に対し広く一般的に使われているリチウム剤(リーマス等)だが、これがなぜ効くのか科学的にはまだ分かってないらしい。
 以下、印象的だった箇所を少し引用。

「脳の活動に変化を与えうる化学物質は100以上あり、セロトニンはその一つにすぎないが、この物質がこれほど多くの特質の調整役であると考えるのが合理的なことか考えてみるべきであろう。それが正しいなら、脳の中に存在する他のすべての化学物質は何のためにあるのか。多くの人々がセロトニンのみが決定的な役割を担うという主張を確立したものと受け止めたいと願っているのは、複雑な問題に対して簡単な答えを人々が強く欲していることの証左である。」(p136)

「たとえば、統合失調症患者はドーパミン系の活性が過剰であるとか、うつ病患者はセロトニン濃度が低いといったたぐいの主張ならいくらでもある。このどちらの主張も、厳しい検証に耐えることができない。」(p290)

 やや専門的な内容だけれど十分に面白く、一定以上の予備知識のある人にはかなりお薦めという感じ。また、仮に予備知識が殆どなくても通読が困難というほどでもないかもしれない。

 監訳者の功刀浩氏のあとがきが巻末にあるのだが、菩薩や如来と監訳者が対話する小話が挿入されていてその内容にややぎょっとした。たとえば仏教の教義に関することとか教典の一部を引用とかではないのだ、この監訳者なる人物は創作とはいえ、菩薩や如来の名を借りて自己の医療態度の説明や原著への感想を語らせている(対話小話を書いているのは監訳者なのだから要はどちらもすべて当人の主張だ)。正直"Grandiose Self"という言葉も思い浮かばないではなく、非常に奇異だった。またこの監訳者は精神療法を殆どしないタイプの医師だと告白していて、このように生化学的な治療法の限界と問題点を縷々述べた書籍の後書きとしては唐突な感じがした。あるいは理論武装のために早くに「敵の主張」を取り入れようとしていただけなのではないかという疑念が、長すぎる翻訳のタイムラグのこともあり、湧いてこないでもなかった。いくつかの精神療法は医師の患者に対する真摯な共感を必要とする場合がある。日本の人格的に貧しい受験エリートの一部は、思春期以降の自他の区別の基盤を多様性の認識ではなく学歴等による差別意識によって発展させているケースが多くあることが想像され、精神療法患者への共感がその差別意識の浮上してくる地点で困難になることがあるかもしれない。その場合、その医師は精神療法をしないのではなくできないということになる。

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