2012年1月アーカイブ

 BPDの特徴でもある「白か黒か思考」というのは、それに対応する現実的・合理的な要請が存在する場合は病理の表れとは言えない。不合理にも極端な行動や思考を好んでしてしまうからこそ病たりうるのである。したがって逆に言えば、誰かが表面上激しい内容の意思決定をしているとしても、それだけでは未だニュートラルな現象でしかない。
 近頃、またぞろワイドショー付きの精神科医が、新しく大阪市長になった橋下徹氏(的なもの??)をBPDだと「診断」したらしく、げんなりしないではいられない。
 橋下氏の判断や考え方が、そのパーソナリティーに由来する道理なき極端さによって支配されているかどうかを、政治的各論における彼の主張内容から帰納して導くなどは到底不可能なことである。現に選挙によって信任されている橋下氏の主張内容を、事実的なレベルにおいて論駁しないまま極端なものと決め付け、更にその原因をパーソナリティーの偏りに決め付けることは、屋上屋を重ねるがごとく、かなり正常ではない。誰かのことをBPDであると結論するには、(外的要素の影響が強い)仕事上の言動を分析するよりも、一定期間にわたる面談等による直接の人物把握こそがまずもって必要であるはずだが、そのようなことは当該精神科医によっては全く行われていないようだ。
 橋下氏にはBPDの共通的な表現のひとつとされる感情のスゥイングが全然見られないように思う。些細なことで(あるいは理由なく)激高したり自罰的になったりする不安定な感情のありようのことなのだが、メディアを通した断片的な印象のつなぎ合わせにすぎないとしても、少なくとも私は橋下氏のそういう状態を目撃した覚えがないし、誰でも似たような受け取り方だと思われるのだが。
 無論、実際につきあってみると全然印象の違う人物だということはありうることであって、だからこそ医師は一定期間直接面談する必要があるわけだけれど、それ以前のこととして、件の医師は診察しないで診断書を出すことを一般的に禁じている医師法第二十条の「倫理」に離背しているようにも思われる。
 あと、政治家は公人であり諸権利において一般人よりも制限を受ける部分があるべきであって、憶測含めとやかく言われるのも仕事の内という面は確かにあるだろう。けれども、元々精神活動を作品として公開している芸術家・小説家等に対する精神分析的批評や、直接面談することが不可能で人権への配慮も異質なものになる歴史上の人物に対する方法的な精神分析を、そのまま彼らに適用するなら自ずと間違うことになると思われる。


 『稲の日本史』(柳田國男ほか)読んでいて、内容的にはすこぶる興味深いのだけれど、なかなか進まず。読み手側の力不足のせいなのだろう。

 気温が低いとなぜだかエアコンのリモコンが利かないので、まず電気毛布でリモコンを温めねばならない。なんだこれは。

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 「日本」という国号は天智天皇の即位時に定められたらしいが、日いずる処という意味であるなら、当時として何より唐から見て太陽が昇る方角にある国という意味に違いなく、そんなには誇らしい何かではないかもしれない。わが国全体から見れば、日いずるのは太平洋からであるし、太陽そのものがわが国から湧出するわけではないことは言うまでもない。
 日本海の呼称問題で、言葉の意味として、「東海」も滑稽だが元来「日本海」も微妙である。わが国から見れば、日本海は、能登半島の東岸域等の特定地域を除いては、日の沈みゆく海でしかない。
 長く固有名として使用された場合に言葉の原義が希釈あるいは歪曲されるということはままあることだとしても、国としての呼び名が卑屈かつ自意識過剰っぽい意味を如何ほどか帯びているということは、中国の拡大期がまだまだ持続しそうな昨今において、多少なりとも、思い返されてもいいかもしれない。

 宮脇淳子によれば、漢字が表意文字でありうるのは、'market language'だからということのようだが、漢民族が商業民族として特徴的であるのはそうだとしても、厳に交易を前提としない古代文字言語というのも想定しづらいわけで、そんなには説得的ではない気がする。確かに、絵文字のようなものが、他の文字言語圏あるいは文字を持たない言語圏に対して、また同一言語圏の文盲者に対して、コミュニケーションツールとして一定の利便性を発揮するであろうとは思われる。しかし何か更なる付加的な条件が示されないと、漢字の特殊性を説明するには、十分でない。漢字文化圏を除くと世界に現存する文字言語のほとんどすべてが表音文字を使っているのだ。

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 参道下から本殿に到達するまで約40分もかかるほどの長蛇の列だったのであり、それなりの人出であった。行列でのろのろ行進している最中、たまたま私の直後に割り込もうとする家族連れが現れその一部始終が面白かったのだが、私は私で、お御籤を引いた時に漢数字の「四」が分からずに、周囲に教えられるもなお分からず、恥をかいてしまった。「目」を横に倒したような書き方がしてあったのだ。
 下の写真は本殿前の人ごみの中から腕を伸ばして撮ったのでやや傾いてしまった。
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