非決定的?

 ネットの発達にともなって台頭してきた市民右翼(?)の一部が、京都市南区の勧進橋児童公園を50年にわたって不法使用していた朝鮮学校に対して異常なデモをし、京都地裁で敗訴するということがあった。

  私はいちおう京都市民なのだけれど、正直この事件まで勧進橋児童公園の存在自体知らなかった。南区は駅裏でそんなに行かないのである。この出来事を知って最初に思ったことは『そんなに長い間京都市行政はいったい何をしていたのか?』ということに他ならなかった。50年も違法状態をただ放置し続けた京都市行政こそが犯罪的だ。けれども、おそらく市の責任が問われることはないのだろう。

 他にも、慰安婦問題で出された「どうとでも取れる」文面の河野談話が今に禍根を残しているが、これも同様に、先送りやその場しのぎが問題を大きくした事例であるかもしれない。先送りが問題を大きくするということ自体は、多分だれでも分かる簡単なことだ。政治がその簡単なことを分かっていなかったとは安易に思えないが(韓国側の欺罔などなにか判断を歪める周辺事情があったことはあったのだろう)、少なくともプライオリティの比較衡量・差配において間違ったり、現に予想に反して問題が拡大している過程においてなお放置し続ける態度をとったりしたことが追い打ちをかけたかもしれない。

 日本の政治に非決定的な特質があるのだとすれば、それはどこから来たのだろう?ひとつには社会制度の根本である日本国憲法が、なかなか動かないということがあるもしれない。我が国は、両院2/3以上および国民投票での過半を必要とするような、容易に変更できない制度(硬性憲法と言うらしい)に従っている。憲法の高い硬度は当然に変化を嫌って、暴走を食い止める趣旨には効果的だが、改善を阻む壁としても効果的である。ただ、残念なことにと言うべきか、何度も憲法を修正しているアメリカ合衆国は、両院2/3でその後州議会で3/4を必要とするとされ、民主主義国家ではほとんど世界最硬度の改憲制度でありながら機能している。
 日本は戦後処理の過程で、アメリカ製憲法の維持について、なにか特殊な密約をさせられているのではないかと疑わなくもない。
 軽々に民族性を言う人もあるかもしれないが、例えば歴代の天下人(信長・秀吉・家康,etc)等が優柔不断だったとはとても思えない。敗戦後の落胆はたしかに国民的に尾を引く心的要素だったかも知れないが、もっと現実的な政治の異状が主たる要因だと思う。

 現行の日本国憲法が無効であると主張する人々がいる。京都から出ている参議院議員の西田昌司氏もそのようだが、敗戦憲法だからといって無効を唱えるのはみっともない。ここは日本の南北朝の収め方が良い手本になる。現憲法を有効としつつも、明治憲法の直接の世継ぎとして次の憲法を捉えれば良いのではないか。

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