分かり合わない

 タイトルは一見元も子もない感じだがあんがいそうでもないというか、「(無理に)分かり合おうとしない」というのが本質的に相当有効なやりかたではないかと思い始めている。ユルク・ヴィリィのナルシシストの分析を読み返していたのがきっかけなのだが、相手の偏りがどれだけ深刻かということは一応あるけれど(とても軽いなら話し合ったほうがいいかもしれない)、ある一定以上の深度の場合には、ほとんどコミュニケーションが不能な局面が多々あると思われる。あるいは彼らはコミュニケーションの積み重ねによって治ったりしないとも今更だが思われる。
 であるなら、無理することはないのだ。徒労のようなことはやめて、より全面的に「対処」に向かったほうがよっぽどまともだ。

※ナルシシスト(二次的自己愛障害)にありがちな反応経路
自他の区別の曖昧→他者愛の不在→欲望とエゴ(だけ)で統制される世界観→その世界観によった賞賛欲求→風変わりで的はずれないろんな出来事...

 ある程度通底する一次的自己愛障害の場合はまた現れ方がちょっと違うようだが、社会通念上言われるナルシシストはヴィリィによるところの二次的自己愛障害の方に近いだろうか。上の経路の一番最初の自他の区別の曖昧が重要で、ある意味希望のないところでもあるのだが、これはちょっとやそっとじゃ改善しない。人格の基礎部分のようなものであり、三つ子の魂百まで的に変わらないと思った方がいい。

 押してダメなら引いてみな、と言ったのが誰だか知らないが、なぜ今までこんなことに気づかなかったのかと思うほどだけど、実際に気づかなかったというよりその印象が大幅に更新されたとでもするのが本当かもしれないが。しかし私自身にもなにか一定のヴァルネラビリティがあったのかもしれない。諦めることによってある種の光が見えてきた感がなくはない。

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