入梅@2014

 私はネットのリストカット中継を二度だけ見てしまったことがある。前にも書いたが私はメンヘラの人の個人放送から意図して学ぼうとしていた時期があって、まぁそれならある意味もっと遭遇していてもおかしくないわけなのだが、私にはああいうのはとても苦痛でよく正視できないのである。それだけでうなされたり眠れなくなったりするとまでは行かないにしても、それに近いというか、少なくとも数日は気分が影響下にあることになるかもしれない。多少感じやすい傾向を自覚しているので、なんか対象者が荒れてそういう雰囲気になってくると私は早々に視聴をやめてしまう。しかしそれでも二回は見てしまったわけだが、今でも不快さでもてあますような記憶である。

 リストカットする人は自尊感情が低いとしばしば言われる。リストカットといえばBPD(!?)で、自尊感情が低いみたいな印象がなくはないが、むろん自尊感情の低さはまざまな起源と様態を持つものに違いない。
 BPDのような乳児期周辺をうまくクリアできなかったことが原因の一端だと思われているケース以外に、近親姦を含めるDVの被害者あるいはいじめを継続的に受けていたとか(トラウマ方面)、人生の選択に対する強い後悔を抱いてるとか(鬱方面)、自尊感情が低くなる様式はとても多様でそれがあるだけでこれだと言えることはまずないと思う。
 こういった人々でも、たとえば恋人などの理解者が現れて価値を肯定され自尊感情を(一時的に)持ち直すということは十分ありうることかもしれない。結婚とかしてその良好な依存関係がさらにずっと続くようならある意味問題が墓場まで持ち越されるような僥倖もありうるのかもしれないが(実際そんな平坦なわけないが)、仮に二人がいざわかれるとなった場合に、それまで普通の恋人関係にはない過剰な役割が担わされていた分、本来の状態が復元されるにあたって強い苦痛および不安が生じ、それにさらに破局自体がもたらす自己否定感情が追い打ちをかけるということになったりするのかもしれない。
 自尊感情の低い人が破局に際して激しい行動に出やすいのは上記のような依存の過剰部分が揺り戻しのように作用するからではないか。夢から覚めた落差が受忍限度を超えるのであろうか。

 自尊感情を高めるという場合に、成功体験を重ねよというアドバイスがよくあるが、これは多分BPDのように深いところに問題が根ざしているような人々にはあんまり効かないのかもしれない。また、実際「社会的」に成功体験を重ねられる人というのは特別な少数者でしかない。これはパンをケーキで代用するロジックに似ているし、それができたとして脆いバランスの上に成り立つ均衡でしかないだろう。
 自尊感情を他者との比較においてことさらに高めようとするのではなく(したければしてもいいいが)、何気ない普段の自分において或る静かな自尊感情を発見するような方向性のほうが有効なのではないかと思われる。「自分には価値がある」とむやみに念じ唱えるのではなく、普段のかなりリラックスした状態で「自分にはいつだってちょっとだけ価値がある」と思えるようになれば占めたものではないか?

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