子供はなぜ親に愛されたがるのか?

 エラン・ゴロムの"Unloved Again"は、去年、最終章(第七章)だけ逐語訳的にみっちり読んで、それ以外は目次を確認しながらかなりの流し読みみたいな感じだった。その心残りがあり、先月下旬辺りから逐語訳的に第一章からゆっくり読みなおし始めた。現在第三章に入っている。と言っても症例集的な第一章の終わりまでで全体の40%もあるので、去年既読の最終章とあわせれば量的に2/3近く読了した(このKindle本はページ表記がない)。
 気がついたことを追記していく予定。


追記(2022/04/18):
 ずっと不思議に思っていることに「子供は親から愛されたがる」という普遍的現象がある。このありふれたモチーフへの肯定的な言及はいくらでもあるに違いないが、それが破壊的結果をもたらす場合があることは、問題意識を持つ人以外にはあまり顧慮されないかもしれない。このモチーフを医療少年院に勤めていた岡田尊司も、また相互に関係ない、自己愛者を主題とするエラン・ゴロムも著作で繰り返す。子は、大人になっても、親から愛されようとして生きてゆく。それは、いい意味でも悪い意味でも人格のコアを形成している。自己愛的な親に「愛されよう」として、子は時に取り返しのつかない破壊的な選択をしてしまう。


追記2(2022/04/19):

Grown children seek the internal "parent's" love by following its advice, which may include acting and feeling inadequate the way their parent labeled them. The adults' feelings for the hurtful "parent" are often powerfully positive but also suspiciously full of longing. They have the longing of a starving person looking for something to eat. Their state of emotional need is connected to the love-emptiness of their childhood. Sometimes they claim to hate their parents but unconsciously seek their love.

(Golomb, Elan. Unloved Again: Breaking Your Serial Addiction . iUniverse. Kindle 版. 位置No.1773)

A person has the potential for new attitudes and attractions but lacks understanding of the childhood trauma that leads to their repetition. Attempting not to feel the early pain is like placing a huge weight against the fulcrum of change. Change depends on becoming conscious of what hurt you and then making a different choice.

(Golomb, Elan. Unloved Again: Breaking Your Serial Addiction . iUniverse. Kindle 版. 位置No.1815)

 結局、徹底操作(フロイト)的なものが魔法の杖との主張。そんなもので、特定の発達段階に一回的にしか形成されない愛着スタイルが基礎から変わるとは思えない。


追記3:(2022/05/07):
 6日に"Unloved Again"一応読了。

 エラン・ゴロム博士のロジックの大まかな建て付け。
1.大人になってからも続く(あるいは一生続くかもしれない)自己愛的な親からの影響を断ち切らなければならない
2.そのためには自己の歴史の、無意識下に隠された負の部分について、意識化しなければならない
3.本当の自己を回復させるにあたって、育った家族や社会の寄与は期待しえない
4.自然との触れ合いや、性的パートナーとの相互的なヒーリングに希望がある

 エラン・ゴロムの著作には、彼女の夫らしき人物は出てくるのだが、自分たちの子供の話は一切出てこない。機能不全の家庭に育った者同士が結婚した場合、無理に子供を持たない方がいい場合も多いのかもしれないが、回復の達成度としての印象は薄くなる。傷を負ったカップルによる相互ヒーリングがどれほどうまくいったとしても、そこから適切で現実的な養育能力が体得されることはありえないかもしれないが。
 人は、大人になっても、知らず親の影響下で物事を判断しており(主体がないという意味ではない)、あらかじめ無意識的に方向性のようなものが定められている。この刻み込まれた方向性が現実に対して適応的なら、実際に踏み出しても、当人は影響をことさら意識しないしする必要もない。その方向性ではうまく行かない、あるいは行きそうにもない時にこそ、意識化されることになる。
 なんとか心の安定を保つために、成熟を放棄するのもひとつの知恵ではあるだろうが、やむを得ない犠牲と言っていいかどうかはわからない。
 エラン・ゴロムは、実社会への適応というものを、必ずしも肯定的に見ていない。彼女にとって社会は窮屈で不自由で不自然な何かなのだ。私には、これが幼い誇大自己の温存のように思われてならなかった。社会から距離を取り、自分と似た傷を持つパートナーとの空想的自由に逃げ込むことは、本質的な治癒を意味しているだろうか。

| コメント(0) | トラックバック(0) |  

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://purplebaby.opal.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/866

コメントする

今日の日付

月別 アーカイブ

※随時加筆修正する場合があります。

※コメント・サインイン用のOpenIDは、GoogleYahoo! JAPANmixiはてなlivedoor等のアカウントに、あらかじめ付属しているものがあります。

Powered by Movable Type 4.22-ja