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 HDDの隅になぜかテキストファイルとして保存してあった、匿名掲示板の古い書き込みを発見。
 「優しい名無しさん」というのは旧2ちゃんねるのメンタルヘルス板のデフォルトネームみたいなのだが、私はメンタルヘルス板に行っていた記憶はあまりない。稀に見に行って、(保存してあるということは)よほど印象に残った書き込みだったのだと思う。
 今読んでも言っていることがかなり正確で当を得ており、2002年の段階でこんな認識に至っているとは相当に素晴らしい。この頃にNPD親について書かれた一般向け和書なんてあった気がしないので(今でもほぼ皆無かも)、この方は内省に加え基礎的なことを勉強してこのようなまとまった認識を得るに至ったのではないかと思われる。
 ただここに書かれているのはNPDに育てられた子供の一つのパターンに過ぎなくて、誇大感を(攻撃を伴うような形で)能動的に発露しようとするようになる場合もあるし、趣味的なことへの常軌を逸した逃避や社会的な孤絶に至るようなパターンもあるだろうと思われる。
 抽出したフレーズをクォートしてGoogle検索しても何もヒットしないので、この頃のデータはもはやネット上から消えている可能性があると思われ、気まぐれにここに補完しておく。

719 名前: 優しい名無しさん 投稿日: 02/08/26 05:54

自己愛性の親に育てられた子供の後遺症について調べた事をまとめて書きます。

親が自己愛性の場合、子供も自己愛性になる確率が高い。
主な原因は、1.ネグレクト(放任) 2.溺愛(過保護) 3.虐待
しかし、自己愛性の親による強力な洗脳のせいで自己愛性とは正反対の、
過剰に「利他的」な人間に育つ場合もある。
ここのスレの自己愛性被害者の人達で親が自己愛性の場合、後者が多いはずです。

自己愛性の親は自分の子供にさえ嫉妬し(自己愛性の嫉妬は無限で無差別なので)、
子供が正常なナルシシズムを持つ事すら許さず、ただ自分を輝かせる為だけの、自分
の延長線上の存在として育てる。子供が自分より幸福になる事を許さない。その結果、
自己愛性に育てられた子供は、大人になって親から離れても自己愛性の他者を輝かせる
存在として生きてしまう。

自己愛性の親に育てられた子供は、競争を嫌い、注目を嫌い、誉めらると居心地が悪く
なり(いい気になると親から罰せられるという刷り込みがある為)、自己の利益に
無頓着で、他人を喜ばせる為にエネルギーを消耗し、普通の人間なら嫌がる自己愛性
の人達といる事に不快感を感じにくい。むしろある期間は自己愛性の人達といると人生
に彩りがあるように感じエネルギーがわいて来るように感じる。自分は無価値だと
思っている。

自己愛性の親に育てられた人は子供の頃から親を幸せにし、まわりの人達を幸せに
する事に心を砕き、自分の幸せは後回しどころかそれを求めると親から罰せられると
いう刷り込みがあるので、自分を幸せにする術を知らない。幸せになると言う事は親へ
の裏切り行為だと思っている。唯一自己愛性の人達の世話をしている時に、自分の
役割があるような気がして一時的な、しかし後に苦痛を伴う、安定感を得る。親から
健康的なナルシシズムを抑圧されているので、自己愛性を賞賛し、理解を示し、
自惚れ鏡になってあげる(ミラーリング)事によって、代償のナルシシズムを得る。

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Kyoto City Library info.PNG
 京都市図書館の年末の最終開館日は通常より早く閉まるのだが、京都市図書館のWEBサイトにある、個別の図書館のトップページにも開館日カレンダーにも、その旨全く表記されないので注意が必要だ。開館時間変更の情報を当該WEBサイトから知るには、全体のトップページにある「京都市図書館からのお知らせ」内の「年末年始の休館のお知らせ」の項目をクリックし、その文中から、『なお,12月28日(月曜日)の開館時間は午前9時30分から午後5時までです。』の但し書きを見つけ出さねばならない(普通の平日は午後7時まで)。開館時間の変更は休館に関する事柄であるかどうかも微妙だが、私のように、個別の開館日カレンダーで28日まで休館ではないことを確認した後では、「年末年始の休館のお知らせ」に最終日の開館時間の変更が記されていると推測するのは多少なりともより困難になると言っていいと思う(ちなみに実際に図書館に行くと貼ってある「紙」の開館日カレンダーには変更が記されていました)。

 私がこのトラップに引っかかったのは今回で二度目である。

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 パソコンの電源ユニットの熱暴走のような状態を体験した。
 エアコンをつけずに(窓は開放し扇風機をつけていた)パソコンで外国のストリーミングを流してほったらかしていたのだが、しばらくほかの作業をしてから戻ってみると、ファンの音がすさまじくうるさいことになっておりケースを触るととんでもなく熱い。部屋にかすかに漂う薬品臭。HWMonitorで確認するとCPU温度が60度を超えている(高いと言えば高いがCPUの耐熱は70℃までなのである意味微妙な高さ)。そのままケースのふたを開けると、案の定CPUファンは狂ったように猛烈に回転しているのだが、電源ファンが停止していた。電源ユニットも強い熱源だからファンが停止すると排熱されずにどんどん熱がこもるのは必定だ。その熱がケースに伝わっていたのだと思えた。
 一度パソコンを終了させてエアコンをつけるなどしてからケース内の埃掃除などをし(といっても定期的に掃除しているのでさほど汚れてもいなかった)、再起動してみると、何事もなく立ち上がった。電源ファンもちゃんと回りだした。
 実は同様のことがその後もう一度あった。
 どちらの案件でも、シャットダウンしてしばらくするとすべて何事もなく復活するので電源ユニット自体が不可逆的に故障したために熱暴走した感じでもない。むしろ熱と高負荷で電源ファンが緊急停止している感じが濃い。ファンは本来の目的が排熱なのにより熱を持っているときに停止するのはきわめて不合理だが、仮に所定の動作だとして、その理由を考えていた。もしかしたら、これは発火対策なのではないか、というのが今のところの私の仮説である。つまり想定している上限の温度を超えた場合に発火している恐れがあるので、その状態でファンを回してしまうと外にどんどん火の粉を飛ばして延焼を促進する可能性が出てくる。一般に高温のままファンを止めてしまうと、パソコン内のコンデンサを傷めひいてはマザーボードが壊れてしまうわけだが、火事を起こすよりよりはいい(!!)。あくまで仮説であるが。
 その後、高温&高負荷にならないよう意図して気を付けだしてからは一度も同様のトラブルが起こっておらず、Windows上のモニタリングソフト類で確認しても異常な数値は出ていない。実は慌てて新しい電源ユニットを購入したのだが、これでは取り替えるタイミングが難しい。様子見すべきか。
 しかし妙に不安だ。


追記(2017/08/23):
 熱とコンデンサについて調べていたら奥が深すぎる。

・電解コンデンサ寿命について
https://www.cosel.co.jp/technical/qanda/a0023.html

・電解コンデンサの寿命
http://kojo-seiko.co.jp/technology/011.html

・コンデンサの寿命について
https://en.nc-net.com/knowledge/morilog/detail/5369/

 マザーボード上のコンデンサを目視してみたが液漏れはおろか膨らんでるのも一つもなかった。ただ電源ユニット内部まではわからない。朝から何をやっているのかという感じだが。

 結局、火災を恐れて、新しい電源ユニットに交換した。主電源コネクタの接合部が硬くて取り外すときにマイナスドライバーでこじ開けたら、プラスチックの角をいくらか掻き壊してしまった。あぁ、もし次の取り換えがあるとしたら、さらに大変そう...。
 平行するようにOS画面上のカーソルが挙動不審になり、マザーボードがいかれたかと一瞬悪く想像したが、マウス自体の故障で事なきを得た(ダイソーの300円マウスに差し替えるとちゃんと動作した)。偶然にも(!?)まったく同時的にメインマウスの寿命が来たようだ...。
 電源ユニットを交換しただけなのに、HWMonitorの数値を見てると筐体内の温度がわずかに下がったような気がする。もともとの性能差なのか、同じ電力を供給するにも古いユニットは変換効率が落ちていてより発熱するということもあるかもしれない。
 パソコンは時間が経ってくると部品やアクセサリに故障や不具合が様々襲ってきて大変けど、たぶんマザーボードやストレージだと、より致命的な意味を持つ。
 えーと、データ類のバックアップとかいつしたっけ?

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 ロシアの動画投稿サイトでRutubeというところがあるのですが、そこで'Светланы Захаровой'で検索してみたら、最近のものと思われるザハロワの動画がいくつか出てきたのでその内のふたつを貼り付けてみる。どちらも今年に入ってから投稿された動画で、上のは3月11日に放映された番組でザハロワの展覧会の事後的宣伝のインタビューみたいなことが説明文に書いてあるようですが(機械英訳からの推察)、下のクラシック音楽の番組にゲストで呼ばれた感じのは放映がいつだったかはわからないです。
 残念ながらなにを喋っているのか私にはまったくわかりません。ロシア語が出来る人が羨ましい。


・Жестокость Светланы Захаровой
(スヴェトラーナ・ザハロワの近況)


・Сати. Нескучная классика... Со Светланой Захаровой.
(Сати. Нескучнаяクラシック - スヴェトラーナ・ザハロワとともに)


 スヴェトラーナ・ザハロワは今35歳。
 昨今彼女の故郷であるウクライナの情勢が相当不穏だけど、そこんとこはどうなのか?

追記(2015/04/19):
どっちも本家版があったので追記。

"Правда 24": Светлана Захарова - о выставке в ММАМ и творчестве

・Со Светланой Захаровой

※どうもIEで埋め込みがうまくいかないようなので上段はリンクだけにした。

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・中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html

 こないだの中曽根元総理の海軍時代の話で、詳しい日本語記事(上記リンク)がすでにあって、遅ればせながら読んでみたら非常にどんより。
 最初にブルームバーグの記事を見つけてそれ見たことかとなぐり書いてしまったのだが、どうやら上記記事が示す事実として、私の受け取り方と相当ニュアンスが違ったようだ。
 というわけで、先のエントリーは削除することにした。あーあ。

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・コッペリア(英国ロイヤル・バレエ団)
・ジュエルズ(オペラ座)
・パキータ(オペラ座)
・イワン雷帝(オペラ座)
・ドンキホーテ(新国立劇場バレエ団)
・くるみ割り人形(英国ロイヤル・バレエ団)
・ラ・シルフィード(オペラ座)
・カルメン/若者と死(オペラ座)

 先月末からのバレエ鑑賞リスト。
 『イワン雷帝』。十字架のモチーフが妻の毒殺に際しくどいほど繰り返され、微妙というかやりすぎというかやや逆効果か。バレリーノはまず細身だから威圧的に着飾るとどうしてもどこかチンピラ風に。ただイワン役は跳躍が素晴らしく、頑張ってはいたけれど。
 『ラ・シルフィード』は1972年のスタジオ収録作品だったが印象強かった。夢見がちな青年は、誘惑する妖精に夢中になり、慕ってくれていたはずの女の子に見捨てられてしまう。夢見がちにすぎる青年を、夢見がちにすぎるがゆえに愛する女性がもしいるとしたら、たぶんその人は不幸な女性に違いない。まともな女性は(ある限度において)見捨てるのが正しいのだろう。物語の型としてかすかに浦島太郎。あと、スコットランドが舞台で男性もスカートを穿いているのが多少奇異だった。主人公など農夫なのだがキルトを普段から着用するものだろうか?
 マリ・ジロは観た中では最もセクシャルな雰囲気のエトワールだが、ザハロワと比較すると下卑ていて動きがはるかに重い。

 このひと月ちょっとでバレエのDVDを15本観たことになるが、まだまだ観たい意欲は残るのだけど、現状レンタルできる中で興味をもったものはだいたい観た感じかな。

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 バレエばっかり観てるわけではないのだが、今月鑑賞したDVDのリスト。

・白鳥の湖(スカラ座)
・ジゼル(スカラ座)
・ファラオの娘(ボリショイ・バレエ)
・シルヴィア(オペラ座)
・こうもり(スカラ座)
・スペードの女王(ボリショイ・バレエ)
・ノートルダム・ド・パリ(オペラ座)

・ドンキホーテ(新国立劇場バレエ団)〔予定〕

 『シルヴィア』は、強い主張やテーマも、あるいは波瀾万丈のストーリーもないふわふわした作品なのに、観客が全体に酔いしれ満足していた。これは観客おのおのの人生経験を美化する装置としてバレエ作品が機能していたからかもしれない。観客は、眼前の舞台で繰り広げられるダンサーの動きやポーズのバリエーションを、象徴として摂取とすることで、自らの過去を美的に再体験し、快楽を得ているもののような気がする。これは喋りも歌いもしない非言語的芸術のバレエだからこそできる独特のカタルシスかもしれない。仕掛けを意図的に簡素にしてイマジネーションの許容範囲を広げ、メインストーリーを舞台の側ではなく観客自身の側に置くのだ。
 カジモドの身体障害をバレエの技法によって表現する『ノートルダム・ド・パリ』は、上記の対極かもしれない。ストーリーはむしろ重要であり、またテーマを中心にすべての構成要素が統御されている。メインストーリーはむろん「舞台の側」にあって、バレエとはいえリアリズムを目指していると言っていいのかもしれない。
 しかし、本物の身体障害者達が『ノートルダム・ド・パリ』をどう受け取るか、と問うと、意識に引っかかるものがあった。涙する一般の観客を、彼らはどこか冷ややかに見つめるかもしれない。

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 ザハロワ主演の『ジゼル』(スカラ座)のDVD観た。
 たとえ相手に婚約者がいようが、我が身が亡びようが、自分に恋していた森番が踊り殺されようが(亡霊の女王に死ぬまで踊らされる)、ジゼルはどこまでも貴族男性を想い続けるのだが、彼女がひとりの人間としての貴族男性を愛したのかそれとも彼の身分を愛したのかで、かなり解釈が分かれるかもしれない。後者だと、玉の輿いのち以上というか、激しい話になる。
 嫉妬した森番が、貴族男性にすでに婚約者がいることをジゼルの目の前に当人を呼んで暴露し、そのためジゼルは錯乱ひいては死んでしまう(!?)のだが、いつも冷静なザハロワがどうやって「錯乱」するのかとやや期待して注目したのだけど、悲愴に混乱し頭を抱えるといった感じの演技だった。ザハロワに気が触れた演技は似合わないしあれでよかったのだと思う。
 カーテンコールで少しブーイングしてる人がいたかも。彼らはどこが気に食わなかったのだろう。

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昨日11月23日の二条城北側お堀沿いのカエデ。


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今日11月24日の京都御苑蛤御門付近。


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同じく京都御苑内皇后門前のイチョウ。

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 前回の寝ぼけたエントリーがしっくりこないので加筆修正している内に、こんなことは軽率に言えないなどと思い直してきた。南区は町工場や倉庫が多くて住宅街としての人口密度はさほど高くなく、それにしては勧進橋児童公園自体がだだっ広いというイメージを持った。したがって、議会等で使用料や使用曜日・時間を決めたり公園内の使用できる区域を制限するなどして、朝鮮学校側とある程度住み分けができるのではないかと思ったのだが、当然配慮されるべき周辺住民の意思がどういうものか知らぬままで、なにか結論を出すのはしょうもないことであると思われ出し...。

 このブログは私にとって自由帳みたいな感じのものなのだが、もう少しちゃんとしてみたい。

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