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 パソコンの電源ユニットの熱暴走のような状態を体験した。
 エアコンをつけずに(窓は開放し扇風機をつけていた)パソコンで外国のストリーミングを流してほったらかしていたのだが、しばらくほかの作業をしてから戻ってみると、ファンの音がすさまじくうるさいことになっておりケースを触るととんでもなく熱い。部屋にかすかに漂う薬品臭。HWMonitorで確認するとCPU温度が60度を超えている(高いと言えば高いがCPUの耐熱は70℃までなのである意味微妙な高さ)。そのままケースのふたを開けると、案の定CPUファンは狂ったように猛烈に回転しているのだが、電源ファンが停止していた。電源ユニットも強い熱源だからファンが停止すると排熱されずにどんどん熱がこもるのは必定だ。その熱がケースに伝わっていたのだと思えた。
 一度パソコンを終了させてエアコンをつけるなどしてからケース内の埃掃除などをし(といっても定期的に掃除しているのでさほど汚れてもいなかった)、再起動してみると、何事もなく立ち上がった。電源ファンもちゃんと回りだした。
 実は同様のことがその後もう一度あった。
 どちらの案件でも、シャットダウンしてしばらくするとすべて何事もなく復活するので電源ユニット自体が不可逆的に故障したために熱暴走した感じでもない。むしろ熱と高負荷で電源ファンが緊急停止している感じが濃い。ファンは本来の目的が排熱なのにより熱を持っているときに停止するのはきわめて不合理だが、仮に所定の動作だとして、その理由を考えていた。もしかしたら、これは発火対策なのではないか、というのが今のところの私の仮説である。つまり想定している上限の温度を超えた場合に発火している恐れがあるので、その状態でファンを回してしまうと外にどんどん火の粉を飛ばして延焼を促進する可能性が出てくる。一般に高温のままファンを止めてしまうと、パソコン内のコンデンサを傷めひいてはマザーボードが壊れてしまうわけだが、火事を起こすよりよりはいい(!!)。あくまで仮説であるが。
 その後、高温&高負荷にならないよう意図して気を付けだしてからは一度も同様のトラブルが起こっておらず、Windows上のモニタリングソフト類で確認しても異常な数値は出ていない。実は慌てて新しい電源ユニットを購入したのだが、これでは取り替えるタイミングが難しい。様子見すべきか。
 しかし妙に不安だ。


追記(2017/08/23):
 熱とコンデンサについて調べていたら奥が深すぎる。

・電解コンデンサ寿命について
https://www.cosel.co.jp/technical/qanda/a0023.html

・電解コンデンサの寿命
http://kojo-seiko.co.jp/technology/011.html

・コンデンサの寿命について
https://en.nc-net.com/knowledge/morilog/detail/5369/

 マザーボード上のコンデンサを目視してみたが液漏れはおろか膨らんでるのも一つもなかった。ただ電源ユニット内部まではわからない。朝から何をやっているのかという感じだが。

 結局、火災を恐れて、新しい電源ユニットに交換した。主電源コネクタの接合部が硬くて取り外すときにマイナスドライバーでこじ開けたら、プラスチックの角をいくらか掻き壊してしまった。あぁ、もし次の取り換えがあるとしたら、さらに大変そう...。
 平行するようにOS画面上のカーソルが挙動不審になり、マザーボードがいかれたかと一瞬悪く想像したが、マウス自体の故障で事なきを得た(ダイソーの300円マウスに差し替えるとちゃんと動作した)。偶然にも(!?)まったく同時的にメインマウスの寿命が来たようだ...。
 電源ユニットを交換しただけなのに、HWMonitorの数値を見てると筐体内の温度がわずかに下がったような気がする。もともとの性能差なのか、同じ電力を供給するにも古いユニットは変換効率が落ちていてより発熱するということもあるかもしれない。
 パソコンは時間が経ってくると部品やアクセサリに故障や不具合が様々襲ってきて大変けど、たぶんマザーボードやストレージだと、より致命的な意味を持つ。
 えーと、データ類のバックアップとかいつしたっけ?

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 ロシアの動画投稿サイトでRutubeというところがあるのですが、そこで'Светланы Захаровой'で検索してみたら、最近のものと思われるザハロワの動画がいくつか出てきたのでその内のふたつを貼り付けてみる。どちらも今年に入ってから投稿された動画で、上のは3月11日に放映された番組でザハロワの展覧会の事後的宣伝のインタビューみたいなことが説明文に書いてあるようですが(機械英訳からの推察)、下のクラシック音楽の番組にゲストで呼ばれた感じのは放映がいつだったかはわからないです。
 残念ながらなにを喋っているのか私にはまったくわかりません。ロシア語が出来る人が羨ましい。


・Жестокость Светланы Захаровой
(スヴェトラーナ・ザハロワの近況)


・Сати. Нескучная классика... Со Светланой Захаровой.
(Сати. Нескучнаяクラシック - スヴェトラーナ・ザハロワとともに)


 スヴェトラーナ・ザハロワは今35歳。
 昨今彼女の故郷であるウクライナの情勢が相当不穏だけど、そこんとこはどうなのか?

追記(2015/04/19):
どっちも本家版があったので追記。

"Правда 24": Светлана Захарова - о выставке в ММАМ и творчестве

・Со Светланой Захаровой

※どうもIEで埋め込みがうまくいかないようなので上段はリンクだけにした。

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・中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html

 こないだの中曽根元総理の海軍時代の話で、詳しい日本語記事(上記リンク)がすでにあって、遅ればせながら読んでみたら非常にどんより。
 最初にブルームバーグの記事を見つけてそれ見たことかとなぐり書いてしまったのだが、どうやら上記記事が示す事実として、私の受け取り方と相当ニュアンスが違ったようだ。
 というわけで、先のエントリーは削除することにした。あーあ。

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・コッペリア(英国ロイヤル・バレエ団)
・ジュエルズ(オペラ座)
・パキータ(オペラ座)
・イワン雷帝(オペラ座)
・ドンキホーテ(新国立劇場バレエ団)
・くるみ割り人形(英国ロイヤル・バレエ団)
・ラ・シルフィード(オペラ座)
・カルメン/若者と死(オペラ座)

 先月末からのバレエ鑑賞リスト。
 『イワン雷帝』。十字架のモチーフが妻の毒殺に際しくどいほど繰り返され、微妙というかやりすぎというかやや逆効果か。バレリーノはまず細身だから威圧的に着飾るとどうしてもどこかチンピラ風に。ただイワン役は跳躍が素晴らしく、頑張ってはいたけれど。
 『ラ・シルフィード』は1972年のスタジオ収録作品だったが印象強かった。夢見がちな青年は、誘惑する妖精に夢中になり、慕ってくれていたはずの女の子に見捨てられてしまう。夢見がちにすぎる青年を、夢見がちにすぎるがゆえに愛する女性がもしいるとしたら、たぶんその人は不幸な女性に違いない。まともな女性は(ある限度において)見捨てるのが正しいのだろう。物語の型としてかすかに浦島太郎。あと、スコットランドが舞台で男性もスカートを穿いているのが多少奇異だった。主人公など農夫なのだがキルトを普段から着用するものだろうか?
 マリ・ジロは観た中では最もセクシャルな雰囲気のエトワールだが、ザハロワと比較すると下卑ていて動きがはるかに重い。

 このひと月ちょっとでバレエのDVDを15本観たことになるが、まだまだ観たい意欲は残るのだけど、現状レンタルできる中で興味をもったものはだいたい観た感じかな。

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 バレエばっかり観てるわけではないのだが、今月鑑賞したDVDのリスト。

・白鳥の湖(スカラ座)
・ジゼル(スカラ座)
・ファラオの娘(ボリショイ・バレエ)
・シルヴィア(オペラ座)
・こうもり(スカラ座)
・スペードの女王(ボリショイ・バレエ)
・ノートルダム・ド・パリ(オペラ座)

・ドンキホーテ(新国立劇場バレエ団)〔予定〕

 『シルヴィア』は、強い主張やテーマも、あるいは波瀾万丈のストーリーもないふわふわした作品なのに、観客が全体に酔いしれ満足していた。これは観客おのおのの人生経験を美化する装置としてバレエ作品が機能していたからかもしれない。観客は、眼前の舞台で繰り広げられるダンサーの動きやポーズのバリエーションを、象徴として摂取とすることで、自らの過去を美的に再体験し、快楽を得ているもののような気がする。これは喋りも歌いもしない非言語的芸術のバレエだからこそできる独特のカタルシスかもしれない。仕掛けを意図的に簡素にしてイマジネーションの許容範囲を広げ、メインストーリーを舞台の側ではなく観客自身の側に置くのだ。
 カジモドの身体障害をバレエの技法によって表現する『ノートルダム・ド・パリ』は、上記の対極かもしれない。ストーリーはむしろ重要であり、またテーマを中心にすべての構成要素が統御されている。メインストーリーはむろん「舞台の側」にあって、バレエとはいえリアリズムを目指していると言っていいのかもしれない。
 しかし、本物の身体障害者達が『ノートルダム・ド・パリ』をどう受け取るか、と問うと、意識に引っかかるものがあった。涙する一般の観客を、彼らはどこか冷ややかに見つめるかもしれない。

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 ザハロワ主演の『ジゼル』(スカラ座)のDVD観た。
 たとえ相手に婚約者がいようが、我が身が亡びようが、自分に恋していた森番が踊り殺されようが(亡霊の女王に死ぬまで踊らされる)、ジゼルはどこまでも貴族男性を想い続けるのだが、彼女がひとりの人間としての貴族男性を愛したのかそれとも彼の身分を愛したのかで、かなり解釈が分かれるかもしれない。後者だと、玉の輿いのち以上というか、激しい話になる。
 嫉妬した森番が、貴族男性にすでに婚約者がいることをジゼルの目の前に当人を呼んで暴露し、そのためジゼルは錯乱ひいては死んでしまう(!?)のだが、いつも冷静なザハロワがどうやって「錯乱」するのかとやや期待して注目したのだけど、悲愴に混乱し頭を抱えるといった感じの演技だった。ザハロワに気が触れた演技は似合わないしあれでよかったのだと思う。
 カーテンコールで少しブーイングしてる人がいたかも。彼らはどこが気に食わなかったのだろう。

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昨日11月23日の二条城北側お堀沿いのカエデ。


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今日11月24日の京都御苑蛤御門付近。


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同じく京都御苑内皇后門前のイチョウ。

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 前回の寝ぼけたエントリーがしっくりこないので加筆修正している内に、こんなことは軽率に言えないなどと思い直してきた。南区は町工場や倉庫が多くて住宅街としての人口密度はさほど高くなく、それにしては勧進橋児童公園自体がだだっ広いというイメージを持った。したがって、議会等で使用料や使用曜日・時間を決めたり公園内の使用できる区域を制限するなどして、朝鮮学校側とある程度住み分けができるのではないかと思ったのだが、当然配慮されるべき周辺住民の意思がどういうものか知らぬままで、なにか結論を出すのはしょうもないことであると思われ出し...。

 このブログは私にとって自由帳みたいな感じのものなのだが、もう少しちゃんとしてみたい。

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CIMG1227.jpg 上写真(拡大980KB)は京都御苑西隣にある旧有栖川邸のあんまりしだれていない枝垂桜。ほぼ満開といっていいと思われた。枝垂桜はソメイヨシノよりも1週間から10日ほど早く咲くらしい。旧有栖川邸は今は平安女学院の所有になっているようだ。

CIMG1239.jpg 上写真(拡大718KB)は京都御苑内に湧き出る小川近くにある「出水のしだれ桜」と呼ばれている枝垂桜。こちらも満開。入れ替わり立ち代りで、いろんな方が思い思いに撮影をされていた。これの撮影のちょっと前には、自転車の前かごに入れたダックスフンド越しに撮ろうと角度を探っている飼い主のひとがいて少し微笑ましかったです。梅林の方もまだ満開で今日の御所はかなりだった。

 胃や肝臓を休ませるためあえて風邪薬をやめたのと、高タンパク食、それと今日の長時間の徒歩で、かなり体調が改善してきたかもしれない。指先に出ていた荒れなどが明らかにおさまってきた。これで風邪長期化の原因もなんとなく見当ついたかも。

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 今月初めごろに『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド 』を読んでいたのだが、なんとなくグールドの楽しみ方が自分なりにようやく多少は把握できた感じで、借りたCDを聴いたりYOUTUBEでグールドの演奏を視聴したりしていた。YOUTUBEの書き込みで「彼は聴衆のためでなく、自分のために弾いているのだ」と批評している人がいて印象的だったが、そういう解釈は一見それっぽいが違うのではないかと思える。もとよりサービス精神の塊であるグールドはむしろ他人のためにこそ弾いていたのだ。ただ、彼の聴衆への贈り物は少し特殊なものだったのだと思う。
 いろいろな演奏者によるゴルドバーグ変奏曲をYOUTUBEで聴いてみたが、グールドが異質なのはその非共感性なのだと思う。誰もがゴルドバーグ変奏曲を媒介にして自分の感情を吐露するような弾き方をする。もともとは不眠に悩む伯爵を元気付けるために書かれた曲であり、聴き手へのやさしさや気遣いや苦悩に対する共感を思い入れたっぷりに演奏に込めるのが通例である。しかしグールドの弾き方はむしろそのような共感的な情緒を排した過剰なクリアネスを特質として帯びている。たとえば、大人の哀しみを理解しえない子供が、子供なりの愛情から事情も分からぬままにあれやこれや慰めてあげようと精一杯に腐心している感じに近い。この変奏曲はまさに14歳の少年演奏者ゴルドバーグを想定してバッハが書いたものであり、確かに永遠の少年だったグールドにとっては運命的な楽曲だったと言えるのかもしれない。
 うわさ通りに、グレン・グールドが発達障害の一種であるアスペルガー症候群だったかどうかは、分からない。が、たぶんそうだったかもしれない。グールドのインタヴューの衒学的な無内容さは、空疎な感情しか持ち得ない自分の身を守る(隠す)ために、どこかで聞いたような他人の批評の言葉をかき集めて、弾幕のようにめくらめっぽう撃っているのに近い感じがする。ゴルドバーグ変奏曲以外でもグールドはクリアな弾き方を決して崩さない。情緒的なモーツァルトを嫌い、さらに情緒的なショパンに至っては弾いてみせることすらしなかった。自分の過剰にクリアな弾き方に合致する楽曲しかまともに弾けなかったとも言えるだろう。
 グールドから聴衆への贈り物は、微に入り細をうがつような情緒的絡みつきをごっそりそぎ落とした、異様な象形をなしている。微細な情緒表現を期待するリスナーには、自閉的で不親切に映るかもしれない。しかし、彼は彼の言葉できわめて誠実に語りかけているに過ぎない。
 50歳近い最晩年のテレビ収録で、担当の女性ディレクターが突然泣き出した話が先の書籍に出てくる。彼女は、グールドが人のあたたかさというものを生涯知らずにきたのだと思うと急に悲しくなったのだ、と説明する。本の筆者は、そこからグールドが病的な潔癖症だった話につなげて同情していたが、二度の恋愛経験がただ潔癖症によって破綻したとも思えない。ファンには、その思い入れの強さから、芸術家グールドの内面的な深さを過信する傾向がどうしてもあるかもしれない。

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