・『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』 アラン・ソーカル , ジャン・ブリクモン
単なるセンセーショナリズムを超えてもはや現代の古典という感じの本書なのだろうと思うが、手に取りページをめくってちゃんと読んだのは今回が初めて。要約したり分析したりするのに適さないというか、本気でそれをしようとすると大変なことになるといった感じだと思うので、そんなことはしないし、出来ない。感想を述べるにも、自然科学の専門的な領域に踏み込まないと全く迫力に欠けることになるわけだが、私の場合そうならざるを得ない。とは言え、読み終えて何となく感動するほどであった。「何となく」と留保せざるを得ないのは、無論、私にソーカルの分析的批判の正しさをきちんとした形で追認する能力がないからだが、それらが仮に正しいとして(著者はニューヨーク大学物理学教授であるし、出版から時間が経ってネット上に技術的な間違いを指摘する声はないようだ。めったなことはないだろう??)、やはり王様(達)は裸だと言明するソーカル達の勇気を讃えたいと思った。
フランス現代思想の知的先導者達が実はかなり行儀の悪い人達であり、相当以上に俗悪な曲芸を見せては人々を騙していた面があったことが、ソーカルらによって白日の下に晒された、と言っていいだろうと思う。無論それで先導者達の全てが否定されるわけではないにしても、ソーカルらはかなりのダメージを彼らに与えたと言っていいだろう。形式化の過剰な徹底からその必然的帰結としての自壊と相対主義への傾斜というのが、構造主義からポスト構造主義へと続いた時代精神の意味内容であったと思うが、もはや、その一連の経過そのものが欧州哲学そのものの今際の際に咲いたあだ花だったかもしれない、とも思われる。
ただ、特にラカンについては今なおその影響は強く残っているようで、勢力はむしろ増しているほどかもしれない。ラカンは元々輝かしい学術的業績というよりむしろフランス精神分析学会内の政治的闘争の勝者として頭角を現わした面があるらしいので、歴史を持つ派閥がフランスのみならず世界中に形成されて人的ネットワークとして盤石化してしまっているようだ。これを突き崩すのは容易ではないだろうが、(論理記号や科学の公式を濫りに弄ぶのでなく)現実の患者と対峙するような健全な方向に向かうなら、別に看板はどうでもいいと言えば言えるかもしれない。
つまらないことだが、Wikipediaのソーカル事件のページに間違った記述を見付けたので書いておく。
批判と反応 [編集]上の文章の、「実際かなり愉快なものでしたね。昔はよく読んだものです。一度笑い転げてしまえば、それで十分でしたがね」という発言の主体は、本書当該ページによると、ミシェル・セールである。ミシェル・セールが、ボードリヤールとクリステヴァに対してソーカルらと同種の批判を与えている、と紹介されているのである。
ソーカルに批判されたボードリヤールとクリステヴァは『知の欺瞞』に対し、「実際かなり愉快なものでしたね。昔はよく読んだものです。一度笑い転げてしまえば、それで十分でしたがね」[17]と述べた。 さらにクリステヴァは「偽情報」を提供したとしてソーカル等を批判しているが、その一方で「明らかに私は本物の数学者ではない」と認めている。[18]
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