チシキジン

『知識人の終焉』 ジャン・フランソワ リオタール
 妙な胸騒ぎがして、リオタールの『知識人の終焉』(1983)を読み返していた。80年代、情報産業の発達や分業の著しい進展また科学技術の持続的発展に伴う社会規範の流動化が、過去の停滞的な社会でのみ成立しえた普遍的主体としての「知識人」というものを葬り去った。これはフランスのみならず、日本を含めたその他先進国でも同じような時期に同じようなことが起こったと思う。誰も軽率に「知識人」という言葉を使わなくなり、自分のことを知識人だと呼称するなどほとんどあり得ないこととなった。「人間とは、」とか「人生とは、」とか「日本とは、」とかいった大きな主語を使用する独断は、誰にも分不相応なことであり、まじめな会話では殆ど全面的に忌避されるべき事柄となった。
 しかし、今や知識人というものの捉えられ方が、そこからもう一周してまた別の段階に入って来ているのではないか、と思えるような出来事があった。つまり、先日NHK教育テレビの番組で勝間和代という経済コメンテイターが(整形手術を施した感じの不自然な目頭のまま)喋っていて、それを漫然と眺めていたのだが、突如「私のような知識人が言うのではなく、現場の労働者が声を上げないと...」というようなことを口走ったのだ。リオタールを読み返そうと思ったのもこの番組が直接の原因だったのだが、最近10年くらいで、自分で自分のことを知識人と呼ぶ人物を見たのは西部邁以来2人目かもしれない。ただ西部の場合は爺さんなのであり元々頭が古い。それに、東大内の権力闘争に敗れて民間に放り出されたので、自らを差別化してみせないと商業的な意味で生きていけないということがあるだろうし、本人が旨とする偏狭な保守主義も(歪んだ)作用を及ぼしてもいるかもしれない。その意味で不純な面が多々ある。
 しかし勝間の場合、出版界により人寄せタレントとして過剰に祭り上げられてるような感じがあって「最近天狗になっている」と言えば言えるのかもしれないが、それ以上の特殊事情があるとも思えないし、やや差し引いて考えるにしても、この程度で知識人としての自覚を持つに至っていることは注目に値する。元より、40歳くらいの年齢であり、古い時代の知識人観に肩まで浸かっているような人物であるとは甚だ考えづらい。
 当人がどのような意味を込めているにせよ、彼女が自らに対して使った「知識人」という言葉には、社会内での普遍的主体であるといった、80年代以前のような意味合いは含有されない。それは聞く者に、単に「ある知的活動によって一定の世俗的成功を獲得した人」くらいを意味するだけなのであり、専門とする分野で幾らか優越していることの表現として受け取られるにすぎない。
 分からないが、何か頭脳労働を事とし且つその道をある程度優越的に究めた者なら、誰でも知識人として名乗りうる時代が来(ようとし)ているのかもしれない、というのが私の胸騒ぎの趣旨である。そうなら「知識人」は完全に死んでしまったのではない。もっと鼻持ちならない何かとして復活しようとしていることになる。

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