BPDの特徴でもある「白か黒か思考」というのは、それに対応する現実的・合理的な要請が存在する場合は病理の表れとは言えない。不合理にも極端な行動や思考を好んでしてしまうからこそ病たりうるのである。したがって逆に言えば、誰かが表面上激しい内容の意思決定をしているとしても、それだけでは未だニュートラルな現象でしかない。
近頃、またぞろワイドショー付きの精神科医が、新しく大阪市長になった橋下徹氏(的なもの??)をBPDだと「診断」したらしく、げんなりしないではいられない。
橋下氏の判断や考え方が、そのパーソナリティーに由来する道理なき極端さによって支配されているかどうかを、政治的各論における彼の主張内容から帰納して導くなどは到底不可能なことである。現に選挙によって信任されている橋下氏の主張内容を、事実的なレベルにおいて論駁しないまま極端なものと決め付け、更にその原因をパーソナリティーの偏りに決め付けることは、屋上屋を重ねるがごとく、かなり正常ではない。誰かのことをBPDであると結論するには、(外的要素の影響が強い)仕事上の言動を分析するよりも、一定期間にわたる面談等による直接の人物把握こそがまずもって必要であるはずだが、そのようなことは当該精神科医によっては全く行われていないようだ。
橋下氏にはBPDの共通的な表現のひとつとされる感情のスゥイングが全然見られないように思う。些細なことで(あるいは理由なく)激高したり自罰的になったりする不安定な感情のありようのことなのだが、メディアを通した断片的な印象のつなぎ合わせにすぎないとしても、少なくとも私は橋下氏のそういう状態を目撃した覚えがないし、誰でも似たような受け取り方だと思われるのだが。
無論、実際につきあってみると全然印象の違う人物だということはありうることであって、だからこそ医師は一定期間直接面談する必要があるわけだけれど、それ以前のこととして、件の医師は診察しないで診断書を出すことを一般的に禁じている医師法第二十条の「倫理」に離背しているようにも思われる。
あと、政治家は公人であり諸権利において一般人よりも制限を受ける部分があるべきであって、憶測含めとやかく言われるのも仕事の内という面は確かにあるだろう。けれども、元々精神活動を作品として公開している芸術家・小説家等に対する精神分析的批評や、直接面談することが不可能で人権への配慮も異質なものになる歴史上の人物に対する方法的な精神分析を、そのまま彼らに適用するなら自ずと間違うことになると思われる。
『稲の日本史』(柳田國男ほか)読んでいて、内容的にはすこぶる興味深いのだけれど、なかなか進まず。読み手側の力不足のせいなのだろう。
気温が低いとなぜだかエアコンのリモコンが利かないので、まず電気毛布でリモコンを温めねばならない。なんだこれは。
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