先日一部紹介した中野良平の論文「神経症的結婚」の元ネタの邦訳であるユルク・ヴィリィ「夫婦関係の精神分析」がアマゾンにあったのでさっき注文したのだけど、年内に届くのかな?「自己愛的共謀」は互いが独立した自我や尊厳を持つ個人であることに耐えられない親近集団が陥る倒錯世界だ。誰かあるいは一人を除く他の者が、自我を消さねば関係が安定しない。
これはいわゆるSMの世界に似てもいるのかなと思い、「愛好者の方々」のそれっぽい(写真添付などがあってマニア作家さんの創作じゃない感じの)ブログを見たりしていたのだが、なかなか示唆に富むような気もした。「良好」な関係を維持するために、必要以上にパートナーと親しくなりたくない、と述懐するマゾヒストの女性の発言が印象に残った。あくまで恋人ではなくただ物として扱われたいのだそうだ...。
SM系のファッションが全般に身体を過剰に物に近付けようと(フェティシズム)しているように見えるのも同様の理由からかもしれない。
そこにはサディストやマゾヒストがいるのではなく、ただ未熟な自己愛をもてあます自我の弱い人々がいるだけ、ということになるかどうか分からない。いわゆるサドマゾ的な世界には本当のAlgolagnia(DNAエラー説があるようだ)のような人々はあんまりいないのではないかと前から思ったりしている。まあそう詳しくもないしよく分からないのだけれど。彼らの何割かは、実はただ「他者愛」に耐えられない人たちなのではないかと夢想したりしている。
虐待でも差別でも何かの犯罪の被害者でも、あるいは事故に巻き込まれるなど何らかの不運をこうむった人もそうかもしれないが、不当な外的な力によって人生に負の影響を与えられた人々が被害者意識ゆえに自己愛をたくましくするという事があるように思う。実際にそれが誰もが同情する社会的にも許されないような災難であるとすると、自己愛の過剰分をもが黙認され当人を堕落させることにもなりかねない。
そのような被害者たちの甘い陶酔を覚まさせるには?
こないだ久しぶりに傘をなくした。しかしどこでなくしたかまったくわからない。こんなことは私としてはあんまりない。どうなってんだ?
不全感甚だし。
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