最近、乳幼児から母親への投影ではなく、(母)親から乳幼児に対する投影のことを考えたりする。対象関係論でもやや手薄なところかもしれないが、もっと言えば病的な親からの乳幼児に対する投影と表現すべきかもしれない。病的な親は、未だ無垢な我が子に、自分の乳幼児だった頃の歪みを投影してしまうのではないかみたいな論点。
演技性人格障害と呼ばれているものは、以前はヒステリー人格と呼ばれていたのだと思う。小さな子が思い通りにならない時に癇癪を起こしたり地団駄を踏んだりしたりすることがある。あるいは自分が家族の中で注目の的にならないことに強い不満を表明したりすることがある。また、まだ自己が固まらず、誰かを模倣したり自己陶酔的な演技をすることによって自分を(都合よく)表現しがちだったりもする。多少ネガティヴなことかもしれないが、こんなのは幼児期にだれでも経験するような反応に違いなく、親はたしなめたりなだめたりしながら現実を納得させていくものかもしれない。しかしこのような幼児性を大人になっても持続している人がいるとすると、本人あるいは周囲はそこそこ大変そうである。こういう幼児のわがままさやこらえ性のなさ、自己の曖昧さみたいなものが色濃く残った大人をヒステリー人格といい、比較的女性に特徴的であって、人格障害のカテゴライズの中では演技性人格障害と呼ばれているのだと思う。
演技性人格障害は女、反社会性人格障害は男、でそれらは性別によるコインの裏表みたいな理解も俗にあるのかもしれないが、もしかするとそう簡単ではないかもしれない。それらは異性との組み合わせもありうるし、上に見たように演技性人格障害の本質はある種の幼児性の残存であり、反社会性人格障害の方は扁桃体など一定以上器質的な異常を起源とするみたいな説明を少なくとも私は信じている。したがって両者を単純に同じことの性別による裏表みたいな理解をすると間違うかもしれない。
CGIサイトは100%自動にはできそうにないが、それなりに「ほったらかし」にはできそうである。幸い私的な技術的限界付近にあり、要はそれなりには頑張って作っていたのだが、これ以上の格段のバージョンアップはいずれにせよすぐには無理なので、まあ長めの様子見ということになるだろう。自動化で寝てても広告料が入ってくる(?)というわけだが、残念ながらとても少額である。
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