このところやや暑さがぶり返してきているけれど、それでも例年に比べればぜんぜん涼しいといえるのかもしれない。
写真は京都によくある(!?)一見して普通の民家のようなお店で、こういうカフェ的なものに限らず、高級割烹料亭から風俗店まで、京都では民家を内側だけ改造・改装して商売をしているケースが少なくないらしい。こういう「演出」が粋だと思うか悪趣味だと思うかはひとによるだろうが、どうなんだろう。
北アメリカのインディアン(ネイティヴ・アメリカン)にポトラッチという贈与による経済戦争のようなものがあったらしいのだが、これは相手の部族より高価な贈り物をするというルールで相互にそれをエスカレートさせ贈り物ができなくなったほうの部族が「敗戦」するという奇習である。命がけの見栄張りゲームのようなものなのだが、京都の人の気質にこのポトラッチのような土俗的な風合いがないこともない気が多少する。祇園祭の山鉾巡行が町対抗の見栄張り合戦の側面があるのは知られているが、祇園祭では個人としてももっとも高価な家財を街路に面した部屋に集めてわざと窓を開放して行きかう人に公開する習慣がある(あった)ようで、なんというか相当筋金が入っている。
いわゆる「ぶぶづけどうどす」も贈与の呼びかけとしてある種の宣戦布告かもしれない。
ちょっとだけPHP入門みたいなことをしていた。PHPはPerlの兄弟姉妹みたいな言語なのだが、Perlだとモジュールを呼び出したり何十行も書かねばならないスクリプトが、PHPだと数行で済んでしまう場合がある。FC2のAPIを呼び出して要素を抜き出し表示したり、どこかのブログのRSSをサーバ上で受け取ってエントリーのタイトルとURLを列挙するようなことで少し遊んでいた。スクリプトはいずれもPerlに比べると非常に簡易に表現できてしまう。しかもPHPはその他データベースやJavaScriptとの相性もいい。なんのことはないPHPのほうが優れた言語なのではないか、PerlではなくPHPでネットプログラミングを始めればよかったのではないか、と思いかけたが、留保したい感じも強い。PHPは便利な分、ほとんどブロック遊びのような感じなのであって、各ブロックがなぜそのように動作してくれるのかまったく分からないままでもかなり高度なことが(誰がやっても似たような形で)出来てしまう。たぶんPerlもC言語とかに比べれば抽象度が高いとされるのだろうけど、PHPほどではない気がする。言語の抽象度がどんどん高くなることの是非はきわめて古く凡庸な議論なんだろうけれども、そんなこと自分が実感するとは思ってもみなかった。
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