「確かに私もこの何年か自分では 受け止めきれないほど多くのストーカー などのつきまといに複数あっており、最初は 怒っていました。でも相手は私が怒ったり 怯えたりすることで興奮するらしいのです。そして対決しようとした結果逆に相手を 喜ばせることになってしまいました。つまり その人たちは悪い交流で快楽を得ようと する人たちなのです。それにまんまとはまっ てしまいました。その結果異常な数の人たち に追われ私こそがうつになると思いました。何度かもう逃げきれないと死を覚悟した こともあります。それは今でもです。そこで何 ヶ月も思考して考え出したのが反応しない 練習でした。相手の怒りへの誘惑に乗らない 悪質な誘惑に乗らないという態度です。そして今では相手の行為に対して困ること はあっても怒りは不思議と出てこなくなり ました。困ったなくらいです。」
今年に入った辺りから視聴していた匿名自称カウンセラーの500本以上ある動画のうちの一つなのだが、この人自身に統合失調症の兆候が出ているかもしれない、と思わせる箇所に遭遇。もちろん、上記引用に述べられている事が本当にあったのかもしれないし、また、ごく一時的に精神的な揺らぎが大きくなっただけかもしれないけれど。
この動画だけだとわからないが、ある程度数を視聴すると、本人がカウンセラーながら長期に亘り親子関係に起因する問題を抱えている感じがあって、なおかつよくある毒親との断絶を推奨する系なので、私としては相変わらず安直な親子断絶は副作用があるのではないかと思わざるを得ない。このブログに少なくとも2008年にスーザン・フォワードの『毒になる親』のレビューをした時から何度か書いていると思う。
機能不全の親でもほとんどの場合「いいこと」もしており、断絶や一括否定が危険なのは、健全な要素まで付随的に切り捨ててしまうことになりかねないためだ。機能不全に起因するトラブルや対立が高じている時は悪循環にのみ注目し「いいこともしてもらった」や「(機能不全でも)善意は含まれていた」とは思いづらい。また、ごく幼少期によくしてもらったことは無意識であるため気づきづらいところもある。だから、今の思い込みによって行き過ぎた断念を持ってしまうと、囚われている苦痛から自由になることはあるかもしれないが、弱い自己の基礎にわざわざ新たなヒビを入れることにもなりかねない。
健全な思春期の反抗の根底にはより強固な信頼関係があるが、機能不全の場合はその基本的な信頼は曖昧になっている。断絶は、善意の兆しをも一括りにして『すべてを捨てるか?』という激烈な問いがまとわりつく運命にある。
私は、毒親であれ健全な親であれ客観視できるようになることが子どもの成熟だと思っているが、機能不全の親子の入り混じるような状態から境界を作ることは最低限のスタートラインに着くために必要だとしても、本来それは白黒思考の硬直した境界であってはいけない。それはまた別の思い込みでしかないからだ。バランスの取れた常識や正しい知識からの視座によるものでなければならない。
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