CIMG3227.jpg 岡田尊司の著作を集中的に読んでいる。
 アタッチメント(愛着)は対象関係論でもよく出てくる話題だが、より推し進めて、アタッチメントを正常化することで様々な疾患が治ると主張する作家の代表格が京都医療少年院で診ておられた岡田尊司氏。
 少年院での治療費用は子供たちが支払うわけではもちろんないわけで、間接的ながらも「無償の愛」としての代理安全基地がまだ成り立つ時期である。岡田氏はこの「愛着アプローチ」が成人患者にも効くと主張しているのだが、その点、やや留保的な印象を持った。
 患者の主観的世界を一方的に受容する態度はコフートのやり方に似ている感じがした。同時に彼の変容性内在化に到達させ得なかった症例が思い出される。
 あと、本格的な精神病などでこのやり方で間に合う感じがあんまりしなかった。
 しかしながら、仮に劇的に効かなくとも、(家族関係を起源とする)問題の本質を大づかみするという意味で、「愛着アプローチ」は知っておいて損はないかも。回避性人格障害や境界性人格障害、自己愛性人格障害等がたびたび言及される。
 アタッチメントはその人物の幼児的全能感の保管庫のようなものだと思う。真の実態が幻想なのだとしても(!)、その幻想がないと大抵の人は前に進めない。


追記(2020/07/23):
 調べるとネット上には岡田氏への批判があって、さもありなんという感じなのだが、一応擁護のようなことをしておくと、「反応性愛着障害」や「脱抑制型対人交流障害」のような公的な愛着障害の概念を独自に敷衍していることは、彼自身が著作の中である程度説明している(少なくともそういう箇所がある)。もちろんそのような拡大が正しい行為かどうかは是非があるのだろうが、私は読み始めに手持ちのDSM5と比較し明らかな個人の主張と認識していたので、当初よりそういう立場・思想の人なのだろうという受け止めである。
 愛着対象の代理としてカウンセラーを据えるやりかたは、誰が考えても依存を生む。一生責任を持つような心構えを岡田氏は披露していたが、治療は経済行為でもあるのだから見方によっては白々しく感じなくもない。
 あと、こじれた親子関係を仲裁・適正化することが、彼の著作上に繰り出す症例のようにうまくいくのか相当訝しい。
 ただ、私は、岡田氏を詐欺師のように表現することには(今のところ)賛同しない。愛着の形成や様式あるいはその発展の仕方が人間の精神に致命的な影響を与えるという主張には、大づかみの論理的一貫性があると思うからだ。


追記2(2020/08/03):
CIMG3232.jpg 愛着理論の確立者であるボウルビィを読んだほうが早いかも(ただし訳はあまり良くない)。


追記3(2020/08/22):
 追い岡田尊司をしているのだが、『ADHDの正体』(p45下段真ん中)の記述が意味不明で、もとの論文に当たると、おそらく不注意型のパーセンテージのことを岡田氏が誤解されているのだと思う。全文を見れば結果をまとめた表があり、51.7%なのは子供時代もADHDだった大人ADHDが不注意型である割合であり、54.1%の方は子供時代にはADHDでなかった大人ADHDの中での不注意型の割合であると思われる。


追記4(2020/09/20):
 岡田氏の著作を第二波的に読んでいて、今図書館で予約してる「死に至る病」で7月から数えて18冊目になるのだが、未だに岡田氏の印象は微妙なままである。しかし刺激を受けるという次元ではポジティヴな印象を持っている。
 

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 今週火曜にアマゾンでアマゾンが販売する在庫のある商品を注文したのだが、ようやく土曜の今日届いた。
 まだコロナ?

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 私は昔、(諸事情により)多少メンタルヘルス系の書籍を読み溜めた頃に、ネット上にことさら偏った人物を見つけようとしていた時期があった。今はもうネット情報の断片性や不効率性に気づいて新規開拓はほぼやめてしまったのだが、まだpeercastが動画配信の中心だったような時期に、ひとりの統合失調症の診断を受けているという女性の動画でいわゆる「言葉のサラダ」「観念奔逸」のような症状を見て驚き感銘を受けたことがある。本に書いてあったのはこれのことか、というわけである。その女性は数年後にはかなり回復して、ツイッターか何かで理解者と結婚したらしいあるいは子供もできたというような情報を知ったのだが、年月を経ても大抵はあまり変化のない病者たちの中で、症状的にも社会的にもかなりの改善を達成したらしい特筆すべき人物として彼女を記憶していた。
 しかし、今年ルータ及びOSのポート開放ができるようになった関係で(前はマンション内の別スペースにフロアを一括して処理するルータがありそこから各戸にLANケーブルだけが敷かれる方式だったためポート開放は不可能だった)、多分10年前後の時を経てふたたび彼女の配信を視聴したのだが、浮気配信のような内容で非常にがっかりした。確かに、明らかに安定的に普通に会話できていたし統合失調症の症状的にはあの頃と比べるべくもないのだが、見れない間私が夢想していたのとは違い、ちっとも安定していない現実がそこにはあった。視聴者から注目されたいために浮気中継をしている感じもなくはなく、配信依存のような側面も危惧した。
 常識的には彼女はそれなりに円満たるべき環境にあったはずだが、やはりなにか過剰なものを背負っているということであろうか。


追記1(2020/05/03):
 ベイトソンのダブルバインド仮説は流行らないが、統合失調症者は意識の枠組みにおいてどこか二律背反的な構造を予感させる。何かが予めせめぎ合っている。集中力がないとか飽きっぽいとかいうのとは違う。深みにある矛盾によって土台そのものがねじれている。寛解しても(or薬で症状を抑えても)必ずしもそこから自由になり切れない場合があるのかもしれない。

 フロイトは一人の患者も治せなかったと言われるが、3つくらいのパターンが挙げられていたような気がする。①そのまま治らなかった ②一旦治ったように見えたがしばらくして再発した ③当初の症状は治ったが(反動と思われる)別の症状が発生した


追記2(2020/05/23):
 流行らないと言えば一昔前までの書籍には「プレコックス感」なるものが記述されていたが、ほとんど死語になったような気がしないでもない。要は統合失調症者から受けるいわく言い難い印象のことなのだが、追記1前段に示したような内実だったのか、あるいはもっと別のことを意味していたのか今となってはよく分からない。
 精神医療が独占していた病者たちの実像がネットによって暴露されて、彼らをことさら神秘めかす行為が野放しでいられなくなった面もあるのかもしれない。


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 Windowsの文字入力モードの切替はいつまでトグル方式がデフォルトなのだろう。「半角/全角」キーを押すことで入力モードを順繰りに変えてゆく方式のことであるが、この方式は、そもそも現在どの入力モードなのか分からなければキーの無駄押しの連続になる可能性がある。
 現在の入力モードを記憶なり確認なりしなければならないトグル方式が不効率なやりかたであることはネットで多くの人が非難していて私も同意するが、一応キー設定をカスタマイズすることで簡単にかつかなりな程度この泥沼を回避することができることはできる。
 私はキーボードの「変換」をIMEオンに、「無変換」をIMEオフに割り当てている。現在の入力モードが何であれ、とりあえずこのキーを押せば、次からは目当てのモードで入力できるというわけで、面倒さの根源である入力モードの記憶や確認から解放される。これはほぼMacintoshと同じ形であろうかと思う。
 Windows10ではある時から、ウィンドウがアクティヴになったときに「あ」や「A」の文字が画面中央に表示されて現在モードが分かるようになったのだが、視覚的にうるさいため人間に対する負荷としては微妙な感じで、私はこの機能は使っていない。以前にも書いたが、現在の入力モードはテキストエリアのカーソルバーの形状で判別できるようにすればいいだけのはずだ。
 英語のような直接入力圏のWindows利用者と比較した場合、我々は余計な労力が要求されるだけ作業効率がいくらかでも劣ることになる。一回一回はわずか数秒程度の遅れでも、これが莫大な人数の上に何十年あるいは一生続くと考えると小さな話ではない。
 奇妙なのはLinuxの日本語ディストリビューションでもトグル方式のIMEが採用されていることだ。有志が自由に作れるOSのLinuxで、なぜわざわざトグル方式を採用する必要があるのか理解に苦しむ。カーソルバーのデザインを可変にすることも彼らには容易なはずだ。各ワープロソフトや付属IMEも同様。


追記(2020/03/14):
 もっと英語力があれば、Linuxについては最初から英語でインストールして英語メインで操作をするのだが、そこまでは無理。

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 暖冬で出足がいいからなのか、本殿から楼門まで行列の人で飽和していたため(0時過ぎであんなの初めて見た)、参拝せず帰宅。おみくじも引かず。

CIMG3111.jpg


追記(2020/01/02):
 今日の夕方に再び北野天満宮に行って、お祈りしおみくじもなんとか引いてきた。2日となるとさすがに行列は三光門までで、30分程度で参拝できた。


追記2(2020/01/12):
 「始めて」→「初めて」以外に誤字がもう一個あったので訂正。「楼門」を「桜門」と書いていた。残念ながら書き込む時点で「桜門」だと思いこんでいたので、私側から見れば、誤字というより単に思い違いだと思う(しかも以前にも同じ間違いをした気がするのでまるで成長がない)。いかにこの種のことに興味ないかということは一応あるのだが、それ以前の要素も影響していると思われる。
 長くこのブログを読んでいる人が存在しているとは思えないが、仮に存在していると、奇妙に思うことがあるかもしれない。

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シャーンドル・フェレンツィ『臨床日記』(みすず書房)

 シャーンドル・フェレンツィは昨今のトラウマ派の草分け的存在で、外傷分析への傾倒を放棄したフロイトに反旗を翻したフロイトの直接の弟子。
 以下は抜粋で、※印は私の注釈。


p131
この容疑〔※分析をする側がその過程でサディスティックな満足を得ようとするのではないか〕を立証し実証するものとして、フロイトが、明らかに私の口の固さを計算に入れてのことだが、私の前でもらしたある発言を思い起こさねばならない。「患者どもはろくでなしだ」。患者のよいところは分析家を生かしてくれることだけで、分析家の研究材料だ。われわれ分析家が患者を助けることなどできない。治療へのニヒリズムと言うしかないが、それでもこのような疑念は口にせず患者に希望をもたせれば患者は網にかかるものだ。


p255
〔※『エディプスコンプレックスの見直し』というタイトル内〕両親への固着、つまり近親姦的固着が、自然な発達の結果とは思われず、外から心に植え付けられたもの、つまり超自我の産物である症例はけっしてまれでないが、本例もその一つだろう。


p269
息子が成長すれば父は死なねばならないという不安感が無意識内で非常に強くなっていたと考えれば、いずれかの息子を自立させることへの彼の不安を説明できる。それと同時に、かつてフロイト自身が息子として父親を殺したかったという事実も指し示している。これを認めるかわりに父殺しのエディプス理論を打ち立てたが、どう見ても、それを当てはめたのは他者だけで、自らに向けることはなかった。自らを分析されることに不安があったのはそのためであり、文明化された大人に今も原始的本能衝動が存在することはなく、エディプスの病は麻疹みたいな子供の病であると考えるにいたったのもそのためだろう。


p271
要するにFr〔※フロイトのこと〕が心的外傷理論に反対するのは、彼自身の弱さを洞察することへの防衛手段である。


p274
性的能力をもつ人である父親の去勢が、自ら経験した屈辱への反応として起こったことが一つの理論構成へ彼を導き、父親は息子を去勢し、それ以降は神として息子に崇拝されるということになった。彼の態度を見ると、Fr〔※フロイトのこと〕は去勢する神の役割を演じるだけで、自身の子供時代の去勢という外傷的瞬間について何も知ろうとしない。彼は分析を受ける必要のない唯一の人間というわけである。


p304
近親姦タブーの厳格さが近親姦への固着の原因か〔※というタイトル〕

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 C-PTSD(複雑性外傷後ストレス障害)の概念は未だに米国のDSMには採用されていないが、国連のWHOの疾病分類では去年6月に発表された最新のICD-11から採用されている。
CIMG3058.jpg ジュディス・ルイス・ハーマンが『心的外傷と回復 』(1992)の中で初めて提案したC-PTSDのモチーフは社会生活に潜む継続的暴力によるものだが、それを押し進めた、彼女の影響を受けた英米カウンセラーによる、なんらかの人格障害の近親者からの被害としてのC-PTSDという最近のアイデアは、かなりドラスティックな衝撃を与える(じゃあ何でもありじゃないか的な意味においても)。
 C-PTSD概念の提唱者であるハーマンは女性であり、主張の中でも多く家庭内での(性)暴力の被害を念頭に置いているが、以前紹介したスティーヴン・ジョゼフの『トラウマ後成長と回復』でBPDとPTSDをつなげようとしていた勢力がフェミニズム方面の人々であったのも、元締めである彼女の影響が予想されるような気がする。ただ、日本語版Wikipediaではハーマン自体がラディカルフェミニストとして紹介されてはいるのだが、ソースはいまいちよくわからなかった。また記憶回復療法は(効果はともかく、また催眠術を利用せず対話によって引き出すものも含めれば)フロイトから今に至る一般的な方法のひとつであり、記憶の不正確性や事後的な改変が起こることも新しい知見ではまったくないので、日本語版Wikipediaでのこれらをひとからげに「ハーマン一派」に帰責する説明は誤っているか言葉足らずである(当時の訴訟の成り行きを根拠に過分なことまで否定しているように受け取れる)。
 最近のカウンセリング本が主張するようにC-PTSD概念を人格障害の二次被害のような領域にまで敷衍するということは、例えば、対象関係論(あるいはコフート)の原因論でよく出てくる「非共感的な母親」の振る舞い等もC-PTSDを構成するひとつのトラウマ足りうるということになるであろうが、私としては、所詮、対象関係論とトラウマ派で別のルートで同じ山を登っているだけという感じを併せ持たなくはない。ただトラウマ派が新しいのは、戦争とか刑事事件とか極端なDVの被害事例から遡行するような形で、既存の精神疾患のカテゴライズを破壊しつつ、むしろその本質により直接に到達しうる場合があるかのように思わせるところだ(本当にそうであるかどうかは留保する)。
 トラウマ派の好感を持てるところは、必ずしも「セオリー」を重視していないところかもしれない。フロイトのエディプスコンプレックスにしろ対象関係論の○×ポジションとかにしろ、精神分析の中核には必ず何らかの人間の精神発達に対する(大それた)理論化への意志があった。それらは当初かなりバカバカしい部分も多かったかもしれないが、一応時代を経てそれなりには穏当な概念に修正されてはいった。しかしそれら膨大な努力はどこまで行っても、あるいは今なお、仮説でありある種の申し合わせにしか過ぎない。トラウマ派は症状の向う側にある人間性の本質的「構造」を軽々に想定しようとしない。彼らは症状の実際的な現れ方により注目するからだ。
 振り返れば、カーディナーの頃はまだ巨人フロイトの影響が強すぎてトラウマ派がささやかにしか独自色を出せないでいた感じがする。今となっては、戦場の地獄を語るのにフロイトの概念を利用せざるを得なかったのはなんともちぐはぐな印象を与える。また、ハーマンの主張によると、フロイトは保守的な時代背景により患者の近親姦被害の訴えを嘘と決めつけたりして、PTSD的なものに深入りしないような学問的立場を選んだとされ、その意味でもフロイト理論は間尺に合わないということになるだろう。


追記(2019/11/18):
 まだ内容的にもやもや。
 記憶が部分的に失われることは解離でも抑圧でも起こる症状のはずで、医療はどうしたって何らかの対処をそれにするわけで、広義の記憶回復療法は滅亡しようがないと思われる。おそらくほとんどの精神療法は記憶回復的な要素を持っている。ハーマンが若い頃行っていたのは催眠による記憶回復でこれは催眠療法の一種と表現すべきものでもあろう。いずれにせよ、治療過程で「蘇った」記憶に裁判での高い証拠能力が認められないのは当たり前で特に驚くに値しない。ある記憶が患者にとって激烈な負の意味をもつ場合に、その記憶を意識の俎上に載せ、苦痛を取り除くことで当人が回復するということが治療にとって重大なことなのであって、記憶の真実性はもともとそんなに重要じゃない。当人がそう信じ込むなり、無意識に創造するなりして出来上がったフィクションだとしても、それを梃子に症状が治れば問題ない。
 また治療過程で不作為に醸成されたストーリーと、復讐や金銭目的等で意識的に捏造されたそれでは、さらに別の話であろう。

 フェミニズムの件はYoutubeにあったハーマンのインタビュー動画でかなりそれらしいことを言っていた。そのような内容に触れた自著もあるようだ。社会運動と専門分野の橋渡しを公言する彼女は、例えば、政治的意図のために患者の記憶を誘導したのではないかという疑いを持たれても仕方がなかったかもしれない。あるいはそのような不透明性が論敵に利用された面もあったかもしれない。
 精神科医たちが毎日人々の悲惨な体験を聞かされて社会的な発言をしたくなる気持ちはわからなくもないが、そのやり方はかなり注意を要するのかもしれない。


追記2(2019/11/25):
 日本語版Wikipediaのハーマンの項目がひどいのは、要は、彼女の最大の功績である『複雑性PTSD』の発見について何も述べていないところだと思う。このところ読んでいる岡野憲一郎の『新外傷性精神障害』の中でも、ハーマンは現代における拡張PTSD概念の端緒として叙述されている。しかも、後世の検証の進み具合によっては、力動精神医学から外傷精神医学への転換点としての、より大きな功績者として認識される可能性を持っていると思う。
 知識の入り口でWikipediaを見る人は多いのかもしれないが、最初にあの記事を読んでもし人物を納得してしまったとすると不運としか言いようがない。催眠療法によって引き出された記憶が裁判の証拠として不十分であることは当たり前かつ些末であり、それによって彼女の学問的価値が毀損されるものではない。

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 あまった時間が吸い込まれていくー。
 以前より安易に英書に手が伸びる感じになっている自分がちょうど呼応。
 Kindle Unlimited危険。


追記(2019/08/26):
 「英語本」と書くと英語学習の書籍か英語によって書かれた書籍かの区別がつかないので「英書」に訂正した。しかしこれだとイギリス人が書いた本みたいなニュアンスが出るような気がして微妙な違和感が残るが、辞書的には英語で書かれた書物でいいようだ。


追記2(2019/09/16):
 続けるかどうか迷ったがニケ月め突入。
 気合を入れたい。


追記3(2019/10/18):
 3ヶ月めに入っている。
 これまでNPD(自己愛性人格障害)による近親者に対する二次被害のカウンセリング本が多かったが、興味はC-PTSDに向いている。
 C-PTSDは人格障害のクラスタB全般の二次被害とも関わりがあるらしく、ある意味広い概念で個別にどうかということはあるかもしれないが共通エッセンスと捉えるべき面もあると思え、知っておいていいと思う。以前、このブログでBPDとPTSDの類似性についてちょこっと言及したが、ここに連結してくる可能性があると思う。
 ある人格障害は別の(or同じ)人格障害の被害結果である可能性もある。

 クラスタBで一般向け和書だとBPDとASPD(サイコパス含む)の書籍はそれなりにあるが、他の2つについては非常に少ないと思う。今回NPDに関する一般英書を読んでかなりの広がりと需要があるような感じで数年後には翻訳されるなり模倣されるなりしてくると思われる。あるいはそうあるべきだ。
 NPDが近親者の場合に厄介なのは、年月をかけてターゲットを自己の中に埋め込んだままにしてしまおうとすることにある。いわゆる共依存よりも一段深いより病的な同一視があるように思える。

 あと読んでる過程で自閉症とNPDの類縁性に言及している専門家(Dr Khalid A Mansour)を発見してちょっと感動した。昔私も似たようなことを考えていたからだが、とは言え、私は現在そんなに信じてはいない。この専門家も特に大きな支持を得ているとは思えないが、NPDの自閉性を知っているとどうしたってこの種のことを考えずにはいられない。しかし他者を説得するにはもっとハードな証拠が必要だ。

Concept, Diagnostic Criteria and Classification of Autistic Disorders.PNG


追記4(2019/11/16):
 読みかけのPete Walker"Complex PTSD: From Surviving to Thriving: A GUIDE AND MAP FOR RECOVERING FROM CHILDHOOD TRAUMA "は購入してしまい、Kindle Unlimitedについては今月で解約した。
 Kindle Unlimitedで読み放題に該当している作品はAmazonが仲介している独立系の出版物が特に多いのだが、それに付随して問題だなぁと思ったのは、著者の身分の信憑性が相当に怪しいことだ。一応名前にDr.とかついていたりするのだが、人物についてそれ以外何も情報がない場合が多々ある。米国のAmazonの同一書籍のページには著者の来歴(Life Coachとか)がそれらしく書いてある場合もあるのだが、さらにその情報に基づきGoogleとかで検索するとまったくなんの情報も出てこなかったりする。著者サイトもブログもFacebook上のページもないのである。
 こうなってくると著作はある意味「怪文書」である。
 利用の仕方によるとは思うのだが、私の場合、上記のようなことが度々あったため、見繕うものは見繕ったしだいたいこの辺りでいいかなという感じで、解約した。

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 Win10機が2つともシステムスキャンで破損したファイルが出てオンラインで修復したりしていたのだが、これまでの経緯も含め諸々気持ち悪いのでデスクトップの側のwin10をクリーンインストールした(私のデスクトップPCのシステムドライブはOSと限られたアプリしか入っていないので比較的やりやすい)。しかしながら、新規インストール直後でも同様のエラーが出て再びDism等で修復している。修復自体はちゃんとできているが、なんだこれは。

 どうも既知のDefenderの不具合だったらしい。
・Windows Defender Update Allegedly Breaking Down sfc /scannow on Windows 10
https://news.softpedia.com/news/windows-defender-update-allegedly-breaking-down-sfc-scannow-on-windows-10-526692.shtml

 しかし春の大型アップデートより不安が募っていたので、クリーンインストールで仕切り直してよかったかなと思っている。使えなくなっていたGigabyteのサウンドコントロールアプリが今回使えるようになったし。

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 最近身近な対人関係で長年の謎が解けたと感じるようなことがあり、なんとも言えない変な感じ。仮に謎が解けても現状に本質的な変化が現れるわけではないが、解釈に迷うような時間がなくなった感じだけはある。
 分かってみればしょうもないとも言えるのだが、なにが気づきを遠ざけていたのかと反省すると、相手の自己イメージをとりあえず尊重しようとする(誰にでもある)基本的な心の動きがネックになっていたかなと思う。しかし本人が自分はこうだと述べているのに明確な根拠もなくそれを否定することは簡単ではない。もっと早く気づきたかったけれど。

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