2008年4月アーカイブ

 ネット上に幾つかそういう言説が出始めているのだけれど、どうも、先日長野で行われた聖火リレーにおいて発生した中国人による日本人への暴行に対し、警察が見て見ぬ振りをするなどの行動をとっていたようなのだ。以下これが事実だとして。
 警察が沿道の中国人の取る逸脱行動についてある程度黙認するようあらかじめ命令を受けていたのではないかと考えている人がいるようだ。またもう一方で、警官が結果的に少なすぎたため、日本人を殴っている中国人を一人でも捕まえれば彼ら全体を敵に回すことになり、そうなると現場の警官ではとても押さえ切れないようなので仕方なく放置したのだとする「不作為」説もある。
 私はどちらかというと前者の色合いが濃いのではないかと考えている。なぜなら、必要であるのなら事前にもっと警官を動員しておくことや中国人の数を見て後から増派するなど幾らも出来たはずだし(あるいは、敢えて不十分にしか動員しないことに政治的判断があったのかもしれないが)、武器だって一応携帯しているのにただその場の数と雰囲気に圧倒されてそのような重大な(治安の維持をある程度放棄するという)判断をするなどは幾らなんでも不自然であるように思えるからだ。政治判断によって事前にぬかりなく警官の意思統一がなされていたとする方が現実的だと思う。
 様々な理由によって現在の日本が国際的に強い立場の国ではありえないのだとしても、政治権力は自らの正義や良心を易々と売り渡す以外の方法で中国その他の国と付き合う方法を模索すべきだ。少なくとも自国民を自由に殴らせる以外の方法を模索すべきだと思う。

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 昨日オンラインで何冊か予約したが、近所の図書館はゴールデンウィークのために休みが一日ずれて水曜が休みということになるようだ。無事確保はされているようだが、受け取りがいつになるかはよく分からないが、そのうちメールが来るだろう。

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 ぜんぜん知らなかった。しかしこれでどの程度効果が上がるものなのか。煙そのものが迷惑なのは言うまでもないが、煙の臭いによって他人の呼気を吸っていることを知らされる感覚もまた不愉快なものだ。喫煙者だった頃の自分は棚に上げて書いているが。

「歩きタバコに路面タイルで啓発 京都市、6月からの「罰金」前に」(京都新聞)
2008年4月28日(月)
 京都市は6月1日から、市中心部の路上で歩きたばこをした人から1000円の「罰金」を徴収するのを前に、路上喫煙禁止区域に設定したエリアで禁煙を呼びかける路面タイルを取り付けた。 市は昨年6月から路上喫煙禁止条例を施行し、繁華街の三条、河原町、四条、烏丸、錦など九つの通りの延長7・1キロを禁止区域に設定した。昨年11月からは区域内を監視指導員が巡回しており、6月1日からは禁止区域の路上で喫煙した場合、指導員がその場で1000円を徴収する。 路面タイルは、商店街の入り口付近を中心に計62カ所に設置した。一辺30センチと40センチの2種類ある。過料の徴収開始までに看板やステッカーも増やしてPRを強化する。 また5月2日には、午前と午後の2回、市職員と指導員約20人が四条河原町と京都駅でチラシなどを配り、市民や観光客に歩きたばこ禁止を呼び掛ける。 市文化市民局は「たばこを吸おうとして視線を落とした瞬間、タイルが目にとまれば」と効果を期待している。

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 『ライ麦畑でつかまえて』 J.D.サリンジャー (著), 野崎 孝 (翻訳)を読み終えたが、これも今まで肌に合わない類の書籍だった。何度か挑戦し挫折した記憶がある。ネットで調べると村上春樹の訳よりこちらの方がましらしい感じなのだが、ということは村上春樹の訳は相当ひどいのだろうか。日常の細々したこととか他愛ない会話とかちょっとしたウィットとかが苦手だ。何か手応えのある意味の塊みたいなものがないとすぐに苛々してしまう。
 しかし将来なりたい職業が『ライ麦畑で遊んでいる子供が崖の方に落ちないように見張っている役』とは一体何だろう?サリンジャーと言えば統合失調症的なキャラクターを出すことで有名だと思うが、注察妄想に自己投影したような形なのだろうか。統合失調症とは言明されてないが、この主人公も最後に精神病院に入院したような叙述がなされている。
 あと、カフカの「変身」とは違い、妹フィービーは裏切らなかった。

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 正直かなりきつい。読むに値しない。
 自己の使用する直訳的な英語の不自然さから強引に一般論を導き出そうとしたり、異文化との分析的な比較を殆どせずに「甘え」概念が日本独特だとして内省のみを重ねたり、ベネディクトが日本映画を見て書いただけの「菊と刀」を礼賛したり、また全体に欧米への戦後的な劣等感に蝕まれている。
 だいたい日常語を日常語によって分析してもそれは科学ではない。ただの随筆にしか過ぎない。統合失調症の原因を甘えの記憶の有無に求める箇所など殆どお笑い種だ。独り立ちしようとあがいている年代は単独性を獲得するために子供らしい甘えを捨てねばならない。そのような時期の読者に誤った説得を提供し続けてきた本なのかもしれない。

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 今日借りてきた分。
『「甘え」の構造』 土居健郎
『続「甘え」の構造』 土居健郎
『幻滅論』 北山修

 2ちゃんねるなどで見掛ける下劣な「鬱=甘え」論のバックボーンに、メランコリー親和型人格を生贄にしたがると言われる自己愛性人格の存在があるとは思っているのだが、それとはまた別に土居健郎の甘え理論に対する盲信or誤解もあるのではないかと常々思っていて、学生のとき『精神分析』 土居健郎を買って読み、肌が合わないというか自分としてはあまり印象の良くない学者でもあったのだが、今日興味を誘われて何冊か借りてきた。一応高校生のときに父親の持っていた『「甘え」の構造』を読んだような記憶があると言えばあるのだけれど、内容についてまったく忘れているので、今回ちゃんと読み返してみたい。
 とは言え、今日読んでいるのは手持ちの『英語で思想を読む』 副島隆彦である。これをゆっくり読み進めている。付してある副島氏の訳がひどく粗いけれど、それが却っていい感じで、今の自分の英語力で計ってちょうどいいくらいの難易度の英語テキストとなっている。

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『世界の名著 7 プラトン 2』
・「魂」の現れと離人症などの解離症状との類似
・有閑階級が生活への現実感を喪失し永遠なる物自体を信仰しはじめる
・民主主義とファシズムの類縁性(!)
・翻訳の駄目さ加減

『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー
 さっき読み終えたばかりだが、実際の内容はジュンク堂で拾い読んだときの印象とはかなり違っていて、それについては読みながら反省した。多少はお涙頂戴かもしれないが、「幇間的」ではなかったかもしれない。立ち読んだときはどういう訳か(眼に触れたのは「講談社に勤めています」のくだりだったか)マスコミ産業にひどく阿っている印象を持ったのだが、主人公が舞台美術専攻で就職先としてテレビ局を捉えているとこなどを念頭に置くと、素直な憧れの表出なのだと考え直すに至った。
 冒頭で、本作のモチーフとなっているところの東京タワーが東京の中心に位置する旨強調されるのだが、バージェスの同心円地帯構造論が頭に浮かんでしまって違和感を覚えないでもなかった。考え方にもよるだろうが、都市の構造として真に東京の「中心」と言えるのは皇居か霞ヶ関・永田町界隈であるように思う。ゆえに出だしで少し躓いた格好だが、以降は順調に読み進めた。
 母一人息子一人の家庭に漂う微妙な近親姦的な雰囲気が不思議な緊張感を与えていて、作品を読み進めさせる原動力になっていると思う。ある種の怖いもの見たさというわけだが、結局どこかで近親姦の告白がなされるわけではない。そのような雰囲気の中で、母親と息子を中心とする悲喜こもごもの家族史が訥々と語られるだけだ。年老いた母親は主人公を訪ねて九州から上京し、最期には体中を癌に侵され死んでゆく。
 物語は小細工を弄しているように感じられる箇所も幾つかあるのだが概ね誠実に語られていて、大抵の読者の心の琴線に触れるだろうと思われる叙述もある。ただ、結び近くで著者が「誰もがボクと同じ悲しみを経験する」と主人公に言わせているのには、押し付けがましさと想像力の貧困を感じないでもなかった。確かに、誰の母親も必ずいつかは死ぬのだろうけれども、その事実を知って子として覚える感情については人それぞれかもしれない。

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 インターネットで出会う様々なコミュニケーションの内に自分にとって本当に必要なものがどれだけあるのかと怪しむ機会が増えてきている。この夥しく、整理されない、中途半端な情報群に触れながら、ただ時間を空費しているだけだと嘆ずる頻度が年を追うごとに高くなってきて、そろそろ何かが或る閾値を超えようとしている感じなのだ。
 離れた家族や知人とネットを介して話すような場合は横に置いて、人々はネットで一体何を話し合っているというのだろう?このひどく不完全なコミュニケーションに、ただ寂しさを紛らわせているのだという主張もあるかもしれないし、かなりの程度そうなのかもしれないが、今の私の心境としては、そういう自らをたぶらかすような態度をこそ自分の中から排除したい。

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『世界の名著 7 プラトン 2』
『般若心経』 金岡 秀友
『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー

 解説本の「般若心経」は借りた当日にざっと読み終え、今は「プラトン」内の「国家」と「ブッダ最後の旅」を同時並行で読んでいる。「東京タワー~」を借りたのは、ジュンク堂で見かけてある行で鼻白み、お涙頂戴と言うか下劣な幇間根性と言うか、とにかく禍々しい印象を持ち逆に読んでみたくなったから。
 般若はアプリオリな根本知のようなものか。「不~」「無~」という否定を多用する文章構成であり、二重否定や三重否定の表現もまま見られる。『少なくとも~ではない』と縦横に言い並べる時、では何なのかという問いは読む者の側に投げ返されている。言葉と意味の甘い海に溺れていないで、生きるべき無名の陸に上がること。

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