2011年3月アーカイブ

 元々最高時速80キロしか出ないはずのおんぼろ自動車の運転手が、なぜかアクセルと同時にブレーキを踏みながら「この車は本当は時速200キロは出るんだけど今はブレーキを踏んでいるからこんなにのろいんだ」と奇妙な見栄(?)を張っている。これはアルコール嗜癖者のパーソナリティのあり様に、割とダイレクトに置き換えられると思う。つまり上の話のブレーキが、そのままアル中者にとっての飲酒なのだ。
 故意にブレーキを踏み続ける限りにおいて、みすぼらしい(とあくまで本人が思う)正体を隠しおおせていると(あくまで本人が)信じることができる。ある意味、頭隠して尻隠さずみたいな話で、理想化された内容を他者が信じることは実際あまりないとしても、否定されえない曖昧な部分に依拠して当人が幻想を保つことができればそれでいいのだ。アル中者の「本当の自分はこんなものじゃない」「今は手を抜いているだけなんだ」式のほのめかしや雰囲気作りひいては生活態度は、かなり共通するもののように思う。彼らは決して理想化された「本当の自己」を実践的に証明しようと試みたりはしない。認めたくなくても現実が最高時速80キロなのは経験的に分かっているので、あえて自らにブレーキをかけて正体をくらませ(ているつもりになり)ながら、どこまでも空想をほのめかすだけなのである。
 甘い幻想から醒めないために、幾らかでもブレーキを踏んでいなければ進むことはできない。
 これはむしろ過度な嗜癖者の全般に亘って出現しうる特徴とも思われるが、アルコール嗜癖が分かりやすい。ただ嗜癖者でなくとも、局所的・一時的になら誰でも経験する弱さ、人間の滑稽さであるかもしれないが・・・。
 自己に対する'Devaluation'。

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 芸人等のチャリティーイベントがただの売名や便乗商法でありえないのは、チャリティー対象の禍害が世間に周知されていないか周知されても無関心な場合だけだ。今回の震災は徹底的に周知され且つ非常に高い関心を呼んでいるので、芸人側がごまかせる余地が極めて少ない。例えば、元々自発的に寄付するつもりの人々をイベントに集めてそれらの金を一塊にしたところでマクロ的な募金額の増加には寄与しない。単に彼らの寄付の実行に伴って時宜に適わぬお祭りをしているだけということになる。現状ではチャリティーイベントをやってもそれに近いだろう。
 今は単純に募金を催促するだけのようなやりかたが最も反発を生まないと思う。オークションやライブコンサート等に絡ませると、それら物品や娯楽などの見返りがない形での(本来的な)寄付を拒絶した痕跡のようにもなり、金が汚れる。
 自粛ムードでシュリンクする経済活動の活性化に僅かながらでも寄与するという考えもあるかもしれないが、それなら敢えて通常の営利舞台をやればいいだけだ。

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 緊急時に人々が一致結束しているのを全体主義になぞらえ恐怖するのは適当ではない。

 初期のヘリコプターからの散水について、ミスト状になるのは分かりきったことで、極めてデモンストレーション色が強いと思っていたのだが・・・。
政府筋「東電が米支援は不要と」...判断遅れ批判
>ヘリによる海水投下に先立ち、(中略)米側は、「まず日本側がやるべきことをやるべきだ」などとして、再三にわたり日本側の行動を強く要請していた。

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CIMG0493.jpg 昨日やや派手に誤嚥してしまいなんだか体調悪し。誤嚥性肺炎の心配はないと思いたいが、今のところ胸やけに似た感じで気分が勝れない。

 正式版が出たのでFirefox4にしたらJavascript系の処理が格段に速くなったようで、よほど凝ったページ以外は殆ど一瞬で切り替わるようになった。グラフィック表示にハードウェアアクセラレーションを使うようにもなったようだ。個人的にブラウザキャッシュをRAMDISKに入れているのも功を奏している感じか。体感的にかなり速くなった。

 なんだか中央図書館に行く度に募金している。

 被災地の或る老人ホーム関係者がNHKの生放送インタビューで窮状をかなり誇張して訴えてしまった話を、チャンネル桜が伝えていて、興味深かった。単独性-共同性。

 日本語で「初めまして」を意味するとされる英語"How do you do?"だが、改めて、奇妙な表現だ。やや距離をとって探りを入れてる感じに近いのだろうか。"Nice to meet you."の方が自然だし実際によく使われるようだが。

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 原発関連でyoutubeのコメント欄にひどい間違いを書き込んでしまい、先程ようやく気付いて当該コメントを消した。間の悪いことに+投票が50だかもされていて、気持ち的にいたたまれなくなったので、youtubeのアカウント自体をも続けて消してしまった。報道との矛盾で間違いが分かるだろう。
 自分自身にうんざり。 
 愚か過ぎる。しばらく頭を冷やそう。

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 今回の東日本大震災に対する義援金ボックスが京都市中央図書館にも設置されていた。持ち合わせのうち幾許かを寄付してきた。おそらく市内の図書館はどこも設置しているものと思う。概して物を送るよりお金のほうがいいのではないかと思うがどうだろう。その方が物資の品目や量に関して現場の状況に合うよう融通が利かせられるような気がする。
 報道によればとにかくすさまじい地震と津波だったようだ。

 NHKのラジオ英会話のページが更新されていないようだ。普段なら毎週月曜日の午前10時に更新されているはず。ビジネス英会話系の方は更新されているようだが。今般放送局が立て込んでいるのは当然に予想できるが、これも地震の影響ということだろうか?

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 Windows7sp1の発売が間近だそうで、そろそろ64bit環境に移行すべきか思案中。まだそう急ぐ必要はない気もするし、よく分からないというか、時期的にどうなのか。現行PC本体も周辺機器ドライバ類も一応64bitのWindows7に対応してはいるみたいなのだが、今のままで支障があるわけでは取り敢えずない。

 地デジ工事がなぜか4月中旬に延期。ただし多少詳細が分かり、3日がかりで一気に全戸やるみたいだ。

 「ネットとリアル」という言い方を、私は従来からかなり好まない。言語あるいは情報が、それとして根無し草で宙吊りなのはもとより当たり前のことなのであり、対立項なのではなく現実の内の部分を媒質として構成しているに過ぎない。現実としての宙吊りの情報はそれが内容とする他の現実に験された時初めて本来の意味を持ちうるが、初期のインターネットはその意味で外部の現実に験される機会がまだ少なかったとは言えるかも知れない。しかし、もはや生活インフラ水準まで普及を遂げて、対応する現実からごく頻繁に験される時代となった。加えては、画像・音声・動画等の相互使用が常態となって、以前の貧弱な制限的世界ではなくなり、ある意味質的にもリアリティーが向上したと思える。
 いずれにせよ、「ネットとリアル」というフレーズ自体が死語とは言わないまでも表現としてかなり色褪せてきたと思う。

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 この数日寒の戻りらしく、僅かだが雪がちらついていた。

 ふと思い出したので。
 一ヶ月ほど前に皇居のお堀に入浴剤を投げ入れて皇宮警察に保護されたニコ生放送者がいたのだが、自己紹介に統合失調症の診断を下されていると書いていてあったり、現物と思われる障害者手帳を視聴者に提示したりしている人物だった。私はやや以前からこの放送者の存在を認識しており、犯行数日前位にランキングサイトの上位に食い込んでいる等異変に気付いたため、放送予定に片っ端から予約を入れたりしていた。そのタイムシフトはもう見れなくなっているけれど動画はネット上に今もある程度残っている。
 色々思うことはあれど、大したことは言えないのだが、お堀に入浴剤を投げ入れる前日だかの放送で何気ないが印象的なシーンがあった。放送者におそらくは注察妄想・追跡妄想が募ってきた辺り(当初は「公安が自分をマークしている」発言もまだ冗談めかした感じだったのだが、密度と真剣みがじわじわ増して行った)で、視聴者側が面白がってその妄想に話をあわせ始めるということがあった。ある意味妄想者に対するよくあるからかい方であるとは思えた。しかるに本人は玄妙なる薄ら笑いを浮かべたかと思うと、視聴者のわざとらしい追従から身を引き離すように口をつぐんでしまった。沈黙はしばらく続いた。重度だと葦原将軍のように妄想を肯定されて単純に受容する(あるいは周囲に肯定されようが否定されようが関係ない)場合もあるだろう。しかしこの放送者の情況はそれとは違っていた感じ。自分だけが(妄想内容の)真実を知っているはずという自負が、表層的な賛同から身を引き離させたのだろうか。少なくとも、まだある程度は虚実・自他の境界あるいは現実感覚が残っている感じだった。
 あの沈黙を分岐点としてその後のエスカレーションが始まったと思わないでもない。からかいによって自己の信念が妄想にすぎないかもしれないと予感された時、逸脱への衝迫がそれまでの収まり場所を失ったのではとも思う。
 不確かだが、放送者は皇宮警察に保護された後、措置入院になったとの情報があるようだ。

 日常的に見られる防衛機制のようなものをめぐっても多少似たようなことはあり得るのだろうか。何でもいいが例えば、他者の言説の曖昧さをことさら自分に有利に曲解・断定してしまうなどは、ネットでも一般社会でもよく見られる。この段階を病的な妄想などとはまず言うべきでなく、よくある防衛機制として「合理化」「価値の引き下げ」「否認」等々自ら(or自らの自尊心)が傷つかないように行われているという程度に受け取るべきだと思うが、それらの認識の歪みに対して敢えてどこまでも話をあわせてやると対象はどうなるのだろう。もしその人が当たり前に最低限の健全さを持っているなら、どこかでは気付いて(つまりあの放送者とは違い)現実の方へと還ってゆく、ということになるのだろうか。

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