2011年8月アーカイブ

 このところギリシャ神話を読んでいる。神話はおどろおどろしい面もあるのだが、なんだか癒される。中世的な「モラルの薄雲」が空を覆ってしまう以前に描かれた物語群には人間の欲望の原像が描かれているだろう。

 あとオペラの「魔弾の射手」をDVDで観た。道具立てが現代風に弓矢ではなく銃に置き換えられていた。恋人アガーテに向けられた弾丸が隠者(修験者?)のまじないによって避けられるが、みわざあるいはしるしと言うべきか、キリスト教的な仕掛けとして捉えていないと、こんな簡単に避けられるものの何が魔弾なのかと思ってしまうかもしれない。
 歌唱の巧拙というものは残酷で、処女アガーテはほとんどおばあさんみたいな歌手が演じているのだが端役・脇役より明らかに歌が上手いので認めざるを得ない。脇役でも登場機会の多いひとりの中年女性歌手は準主役級とも言うべき感じで、それなりの評価を得ているのだろう、単独で歌うシーンもあったのだが、客からブラボーを貰うことはなかった。特に技術を要求される箇所になるとどうしても微妙によれてしまう。それはおそらく更なる訓練で克服されるような種類のものではなく、つまりは彼女は彼女の人生を歩んでゆくほかないのだと思われた。誰でも自分の限界の中で生きて行かざるを得ないものに違いないが、舞台芸術の共時性はそのことをあからさまにするかもしれない。

 今使っている私のデジカメEXS12は撮影モードが(オートとかマクロとか人物とか夜景とか含め)全部で42種類あるみたいなのだが、普段使っているのは5~6種類くらいのもので、他のモードについてよく分かっていなかったのが今回の敗因だ。もはやあとの祭りではあるが、どうも「高感度」モードというのにすべきだったようで、事後に試し撮りしたらそこそこうまく撮れた。なぜだか分からないが夜景モードは使える明るさのレンジが狭いようだ。オートも夜景に弱い。
 しかし、セピア色の室内風景のアイコンと「高感度」のイメージはあまり結びつかないと思うのだが。どうなのか。前のデジカメは全部オートで夜景もわりと手軽に撮れたと思うんだけどなあ。普段撮りのデジカメは撮影モードを多くするよりオートの性能に気を使って欲しい。

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CIMG0608.jpg 五山の送り火のひとつ東山の大文字を、ちょうど点火の辺りから見ることが出来た。京都御所から大文字を見るのは二度目で、人出は前回とそう変わらない感じか。見物人は老若男女様々だけれど、かなり本格的な撮影機材を持ち込んでいる人、文化財の建物の壁に近付きすぎて警報を鳴らしてしまう人、和服の女性に浴衣の子供たち。前の記憶とオーバーラップすることが多くなんだか懐かしいような光景に感じられる。
 火が点き終わるまぎわに人々が逸って立ち始めた時、「前の方座ってください」の声が三脚の並んだ方面から幾度か飛んだが、あまり従う人はいなかった。
 何年か前、西大路通りと北大路通りの交差点辺りから西側の左大文字を見物したこともある。やや早く着いてしまったのでどんどん文字に近寄っていったら、鉦や太鼓を打ち鳴らし何か詠唱しながら火を点けているのが分かった。送り火を遠くから眺めているだけでは分からないことだった。
 今回の京都御所では、デジカメが夜景モードにしても露出が出ず全然うまく撮れないため四苦八苦。ちゃんと燃えているのは一時間もないので、とにかく設定を色々変えてシャッターを押しまくる。結局八割方ダメだったが、何とか見れなくもない(?)一枚をこれに。めったに使わない動画モードでも撮ってはみたのだが、帰って再生してみると中央に微小な画素欠けのようなものを発見。うーむ、買ってからまだ一年位なのだが、元々だったのだろうか。静止画には影響を与えないようだ。

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