このところギリシャ神話を読んでいる。神話はおどろおどろしい面もあるのだが、なんだか癒される。中世的な「モラルの薄雲」が空を覆ってしまう以前に描かれた物語群には人間の欲望の原像が描かれているだろう。
あとオペラの「魔弾の射手」をDVDで観た。道具立てが現代風に弓矢ではなく銃に置き換えられていた。恋人アガーテに向けられた弾丸が隠者(修験者?)のまじないによって避けられるが、みわざあるいはしるしと言うべきか、キリスト教的な仕掛けとして捉えていないと、こんな簡単に避けられるものの何が魔弾なのかと思ってしまうかもしれない。
歌唱の巧拙というものは残酷で、処女アガーテはほとんどおばあさんみたいな歌手が演じているのだが端役・脇役より明らかに歌が上手いので認めざるを得ない。脇役でも登場機会の多いひとりの中年女性歌手は準主役級とも言うべき感じで、それなりの評価を得ているのだろう、単独で歌うシーンもあったのだが、客からブラボーを貰うことはなかった。特に技術を要求される箇所になるとどうしても微妙によれてしまう。それはおそらく更なる訓練で克服されるような種類のものではなく、つまりは彼女は彼女の人生を歩んでゆくほかないのだと思われた。誰でも自分の限界の中で生きて行かざるを得ないものに違いないが、舞台芸術の共時性はそのことをあからさまにするかもしれない。
今使っている私のデジカメEXS12は撮影モードが(オートとかマクロとか人物とか夜景とか含め)全部で42種類あるみたいなのだが、普段使っているのは5~6種類くらいのもので、他のモードについてよく分かっていなかったのが今回の敗因だ。もはやあとの祭りではあるが、どうも「高感度」モードというのにすべきだったようで、事後に試し撮りしたらそこそこうまく撮れた。なぜだか分からないが夜景モードは使える明るさのレンジが狭いようだ。オートも夜景に弱い。
しかし、セピア色の室内風景のアイコンと「高感度」のイメージはあまり結びつかないと思うのだが。どうなのか。前のデジカメは全部オートで夜景もわりと手軽に撮れたと思うんだけどなあ。普段撮りのデジカメは撮影モードを多くするよりオートの性能に気を使って欲しい。
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