バナナを食べても眠れない

 自己愛というものはたぶん誰にでもあるものなので、おどろおどろしく「自己愛性人格障害」などと呼んでも、彼らが(やや?)極端なだけで誰でもどこかは似ているというところがあると思われる。なんというか『病者から学ぶ』論に反対する人もいるとは思うが、私はそうは思わない。病者と健常者の境界域は入り組んだグラデーションのようなものであってそんなに截然としたものではないと思う。彼らのように激しい偏りが恒常化していないとしても、何らかのストレスの重なりなどによって、一時的にであれ、似たような状態に陥ることが普通の人でもあるかもしれない。そういうときに彼らから派生する知恵に助けられることはないことではないだろう。
 実はという程でもないが、現在信頼されているひとつのサイコパスの診断基準は、自己愛性人格障害のそれと重複した箇所を持つ内容になっている。ロバート・ヘアという人の作ったサイコパスの診断基準なのだが、因子群の1から3まである内で、1の中のいくつかは自己愛性人格障害(および演技性人格障害)とほぼ共通のものだとされていると思う。
 また、境界性人格障害に関しても、カーンバーグ系の解釈によれば自己愛性人格障害は境界性人格障害と同根とされるべきものだし、コフート的には(和田秀樹の説明によればだが)自己愛性人格障害の極端化したほとんど精神病に近いものをボーダーラインと呼ぶとされているようだ。
 冒頭に述べたように自己愛は基本的に誰にでもあるものなので、メンタルになんらかの変調をきたした人物の自己愛になんからの異変があるとしても特に不思議はないといえるかもしれないが、関係の深い群として人格障害のクラスタBのどれかを書物で横断的によく見かける気はする。
 いずれにせよ、自己愛というものがある普遍性を持つキー概念であることは論を俟たない。未だなんだかよく分からない複雑怪奇なものでもあるが。

 分からないといえば、先日、子供の部活かなんかの指導者の過度に威圧的な態度について電話で誰かに相談してる知らない中年女性が隣にいて、私はたまたま彼女のちょうど真正面に座っていたのだが、彼女がしゃべるうちにだんだん自らの怒りで興奮してきていて「もう時間だから」とあえて途中で電話を切って立ち去ろうとしたとき、私と眼が合ってしまってなぜかその瞬間に「きっ」と睨まれてしまった。慣性あるいは勢いというべきものか、部活の指導者に向けられるべき敵意が転移のような形で私に向けられたのか、それとも実際に私の態度が何か気に食わなかったのか...。
 おそらくそのはっきりした答えを知ることは永遠にないのだろう。

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