2016年3月アーカイブ

 アメリカの人気コメディアンのスティーブン・コルベアの英表記はSteven ColberとかではなくStephen Colbertらしく、かなり変わっている気がする。本人はフランス系だとうそぶくこともあるようだが本当はアイルランド系らしく、それにしても発音に比して何だかよくわからない綴りだ。しかしStevenにせよStephenにせよ、この感じの名前は新約聖書の最初の殉教者であるステパノにちなんでいる可能性が高いのではないかと思う。
 ステパノはギリシャ語が話される地域で、そこに住むユダヤ人を倫理的に非難する長い演説をぶった終わりに、開けた空におわす神の右側にイエスが立っているという主旨の禁句を言って(使徒8ー56)、人々を恐慌状態に陥れ激憤させる。そののち死刑に処せられる。
 人が自分の名前の含意にどれだけ引きずられるかというのは、顕在意識と潜在意識の中間みたいな話でかなりよくわからないわけだけれど、今のスティーブン・コルベアを一躍有名にしたのは、2006年当時大統領任期真っ只中だったジョージ・W・ブッシュのほんの眼の前で彼を批判した(おちょくった)事件であり、このことが聖人ステパノの所行といくらかなりとも重なってこなくもない気がするのは私だけであろうか。
 彼の演説の皮肉やジョークをすべて理解できる人がどれだけいるか分からないが、上のリンクの動画は字幕もついているので設定して読みながら視聴したけれど、私はほとんど自信がない。ただ、印象に強く残るのはブッシュJr.の本を読まない習慣を褒め殺している箇所だ。本は英語ではもちろん"book"だが、これを先頭大文字にしただけで聖書の意味になる。そうでなくても、ブッシュJr.が『本を読まない』ということは、単に勉強ぎらいとかそんなことだけ意味するのではない。それは聖書を読まないという意味を包含すると思う。
 ブッシュJr.を眼前でねちねち皮肉りつづけるコルベアの落ち着き払った態度は、肝が据わっていると表現するか、芸人としての野心に満ちていると表現するか、そのいずれもかもしれないが、少なくとも信仰の炎が一定の寄与をしていたのではないかと憶測する。


追記(2016/10/30):
 このエントリーを書いた時は、福音派(聖書原理主義)に支持されるブッシュ自体が本を読まないということに笑いの潜在ポイントがあるのかなとぼんやり思っていたのだが、一方のコルベアはカソリックらしくて、一般にカソリックは個人的な解釈を避けるために頻繁には聖書を読まないみたいなので、自分を棚に上げてあてこするのはやや不自然なことかもしれない、と最近気付いた。まぁ、コルベアがカソリックであることを知っている人はこの演説の時点ではほとんどいないに違いないので微妙だけど。よくわからない。
 このエントリーは半分(以上)冗談の深読みだけど、改めて英語圏の文化的背景を把握するのは並大抵じゃないなと。

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 私が補助教材みたいにさせてもらっている、NHK実践ビジネス英語をディクテーション(口述筆記)している複数ブログを見比べて、各々わりと実力差があったことに最近気づいた。"revel in"が"rebel in"なわけないなぁ、文脈からして。いつものところをわりかし信頼していたので今回気づいてショック。
 私自身もう少し気合を入れたい。姉の水準には追いつけないだろうけども。


 アメリカ大統領選は表面的には騒いでるわけだけど、今回はほとんど無風なのではないかと私は勝手に思っている。"occupy wall street"とかアメリカ社会が言いはじめた頃以来、大きな流れとして左傾化して(ただし個別の利益誘導は共和党の議員の方がうまいかもしれないので議会の構成となると別口だけど)久しいので、要は今回民主党の推薦を勝ち得た人物が次の大統領なのだ。民主党内でサンダースがヒラリーに勝つとは思えないわけで、だとしたらそれでもうなにもない。もはや基盤からの見直しを迫られている風の共和党側のトランプにしても老後のお遊びとして安心して暴言を吐いていられよう??


 スティーブンコルベアは彼自身がコメディアンとしてどれだけおもしろいかは微妙な気がするけど(もともと私は芸人で笑うことはほとんどないけど)、多少は何を言っているかわかりはじめた私として単にああいう番組をおもしろく感じる段階なのだろうと思う。
 お気に入り登録しばらくは続きそう。


 DOSBOX上で動かしていたDAGGERFALLは傍系のクエストでイベントが発生しない不具合があるようだったのだが、発売当時から非常にバグの多いゲームだったらしく、これでは無償公開の意味も微妙な気がする。暇な時に英語の訓練かたがたわずかずつでもやろうかなと思っていたのだが、ちょっとそれすら成立しない感じ。
 なんというかゲーマーは少なからず『先端技術』を体験しておもしろさと混同している場合があるのではないかと改めて思ったりした。鼠を退治することそれ自体にそんなにわくわくするわけではないかもしれず、3D処理がどうとか当時の技術レベルにおける新味がある種の目くらましになっていたのではないか。そしてそれは現在も同様の枠組みとして持ち越されているのではないか。
 当時の(今の?)「新しさ」の中に込められていたかもしれない無限の広がりは、あとから見なおすと魔法のとけた何かの残骸でしかない。「本当に価値のあるもの」ばかりが価値ではないかもしれないけれど、誰もいつまでも生きられるわけではないのだし、いや...。


 ラッセルのロジカルタイプは生活感覚にも合致してわかりやすいわけだけど、各次元設定の根拠をハードに問いはじめると無限後退に陥るらしい。ロジカルタイプに限らず人間が概念化しているものはすべて根拠を問いはじめるといつかは答えられなくなるので、特に珍しくはないが、ある特異点を見つけようとしている営為が無限後退に陥るところに面白みがあるのかもしれない。
 公理が公理であることのハードな証明も、たぶん無限後退に陥る。


 歴史上の有名な(文系)哲学者がそんじょそこらのただの変人ではないか、ただの変人なのかは、今や微妙なところなのかもしれない。なんだかわけもなくキルケゴールの「反復」を読み返したい気分になってきたけど、いやいや、オライリーのJavascriptを読まなくては!

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 MINTのファイルマネージャCAJAの原因不明のモッサリ感に業を煮やして、ノートの方のLinuxをUBUNTU15.10に入れ替えた。UBUNTUのUSBインストールメディアから、MINTで使っていたパーティションにそっくり上書きしたが、心配したMBRの書き換え(BIOSからのデュアルブートじゃないのでMBRで振り分けている)はインストール時にUBUNTUが勝手にうまくやってくれた。
 MINTの印象はそんなに悪くなかったんだけど、デスクトップの挙動が少し引っかかるような感じがあって、たぶん相性問題みたいなものだったのではないかと思う。同じバージョンをセレロンとかで快適に使用している人がいるみたいだし。
 もともとMINTの親がUBUNTUって感じみたいなので、新たに覚えることが少なく移行の負担ができるだけ抑えられるかなと思ってこれにした。細かい復旧作業はぼちぼちするつもり。Linux初心者だからこういう迂回を強いられるのはある程度仕方ないかもしれないけど、あといくらUSBメディアからのインストールが楽だとはいえ、もうちょっとOSの入れ替え作業はしたくないかも。
 このエントリーはUBUNTUから書いた。動作はおかげでやや軽くなった。


追記(2016/03/18):
 Ubuntuはサスペンドからの復帰後HDDがカサカサ鳴るのが気持ち悪くて、底なしLinux沼だとも思える紆余曲折のあと、MintのXfce版というのにいちおう落ち着いた(Mintの軽い版)。それでもまだ、スリープ(サスペンドorハイバネーション)から復帰する際にログイン手続きを省略する設定にするとマウスカーソルが消失する神秘があるのだが、省略しない設定にしていればほぼ問題はない。復帰後もHDDカサカサ言わない。
 Windowsって大体何でも普通に動いてそれはかなりたいしたことだったんだなぁ、と思ったりした。マイクロソフトが盛んにアップグレードさせようとしているWindows10とバグやプライバシーの問題が今般喧伝されてるけど、Linuxにやすやすと引っ越せるかどうかはかなり運しだいかもしれません、はい。

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