私が補助教材みたいにさせてもらっている、NHK実践ビジネス英語をディクテーション(口述筆記)している複数ブログを見比べて、各々わりと実力差があったことに最近気づいた。"revel in"が"rebel in"なわけないなぁ、文脈からして。いつものところをわりかし信頼していたので今回気づいてショック。
私自身もう少し気合を入れたい。姉の水準には追いつけないだろうけども。
アメリカ大統領選は表面的には騒いでるわけだけど、今回はほとんど無風なのではないかと私は勝手に思っている。"occupy wall street"とかアメリカ社会が言いはじめた頃以来、大きな流れとして左傾化して(ただし個別の利益誘導は共和党の議員の方がうまいかもしれないので議会の構成となると別口だけど)久しいので、要は今回民主党の推薦を勝ち得た人物が次の大統領なのだ。民主党内でサンダースがヒラリーに勝つとは思えないわけで、だとしたらそれでもうなにもない。もはや基盤からの見直しを迫られている風の共和党側のトランプにしても老後のお遊びとして安心して暴言を吐いていられよう??
スティーブンコルベアは彼自身がコメディアンとしてどれだけおもしろいかは微妙な気がするけど(もともと私は芸人で笑うことはほとんどないけど)、多少は何を言っているかわかりはじめた私として単にああいう番組をおもしろく感じる段階なのだろうと思う。
お気に入り登録しばらくは続きそう。
DOSBOX上で動かしていたDAGGERFALLは傍系のクエストでイベントが発生しない不具合があるようだったのだが、発売当時から非常にバグの多いゲームだったらしく、これでは無償公開の意味も微妙な気がする。暇な時に英語の訓練かたがたわずかずつでもやろうかなと思っていたのだが、ちょっとそれすら成立しない感じ。
なんというかゲーマーは少なからず『先端技術』を体験しておもしろさと混同している場合があるのではないかと改めて思ったりした。鼠を退治することそれ自体にそんなにわくわくするわけではないかもしれず、3D処理がどうとか当時の技術レベルにおける新味がある種の目くらましになっていたのではないか。そしてそれは現在も同様の枠組みとして持ち越されているのではないか。
当時の(今の?)「新しさ」の中に込められていたかもしれない無限の広がりは、あとから見なおすと魔法のとけた何かの残骸でしかない。「本当に価値のあるもの」ばかりが価値ではないかもしれないけれど、誰もいつまでも生きられるわけではないのだし、いや...。
ラッセルのロジカルタイプは生活感覚にも合致してわかりやすいわけだけど、各次元設定の根拠をハードに問いはじめると無限後退に陥るらしい。ロジカルタイプに限らず人間が概念化しているものはすべて根拠を問いはじめるといつかは答えられなくなるので、特に珍しくはないが、ある特異点を見つけようとしている営為が無限後退に陥るところに面白みがあるのかもしれない。
公理が公理であることのハードな証明も、たぶん無限後退に陥る。
歴史上の有名な(文系)哲学者がそんじょそこらのただの変人ではないか、ただの変人なのかは、今や微妙なところなのかもしれない。なんだかわけもなくキルケゴールの「反復」を読み返したい気分になってきたけど、いやいや、オライリーのJavascriptを読まなくては!
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