『世界』六月号の大江健三郎『誤読・防諜・「美しい殉国死」』を立ち読む

 先ごろ『沖縄ノート』を巡る名誉毀損裁判で一審の判決が出た。そのしばらく後のタイミングということで、元来この争いについてよく分かっていない私としては、本誌における被告大江健三郎氏の主張から争点を手っ取り早くまとめて理解できるかもしれないと思い込み、大垣書店で雑誌を立ち読んできた。
 曽野綾子が「巨塊」を「巨魁」と誤読・誤記していることの指摘とか、それを無修正で転載・引用してしまう軽薄な学者やジャーナリスト達のこととか、「罪の塊」が"Corpus Delicti"の訳からの表現であることなどの細かなことに関する叙述が延々続いて、多少は事情を理解したが何だかげんなり。こんなの数十行くらいで済む話ではないのかなどと思い、帰ってきてネットを検索してみたら、本件においては訴状内容の関係でそれらがかなり本質的な話題であるとのこと。しかし、そうならそれで、これ自体が瑣末な争いだったのか。
 今のところ、ある局面に限っては高潔で自己犠牲的な判断をしたことが事実として露見したと思われる赤松大尉ではあるのだが、彼の命令があろうがなかろうが、慶良間の集団自決が軍による制約的な状況下において且つまたその手榴弾によって行われたのは変わらない事実なのだろう。文書や口頭による正式な命令が無かったことが、赤松大尉の汚名を幾らか晴らすとしても、別に軍の関与の全否定にまでつながらないのは当たり前の結論だ。
 英語版のwikipediaを見ると、「罪の塊」表現の元とされる"Corpus Delicti"という言葉は本来は「他殺体」などではなく「罪体(犯罪構成事実)」といったほどの意味を持つようだ。大江氏がこの言葉に対して何らかの誤解をしていたとしても、あるいは流布している誤解をそのままに受け取っていたとしてもあまり関係はない。ある他殺体がその加害者側から見て己の「罪の塊」であると表現することに別段の無理はないからだ。表現を生み出す過程に些細な瑕疵があるというだけだろう。
 ただ、私自身は『沖縄ノート』は高校くらいに読んでそこに用いられていた表現の詳細の一々などとうに忘れているが、軍側に対して「屠殺者」とかかなりの否定的な言辞が書き連ねてあったように記憶するのだが。今回原告側に誤った先入観があったのだとしても、本書のどこをとっても厳正に名誉毀損等に当たらないかどうかは疑わしいという心持もする。

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