・『妄想はどのようにして立ち上がるか』 P. ガレティ (著), D. ヘムズレイ (著), 丹野 義彦 (翻訳)
全体に明晰でよくまとまっているとは思うのだが、何か微妙な読後感の著作である。
妄想における正常と異常の境界は明確な形で存在し得るのか。本書導入部には、そのような素朴且つ本質的な問いが打ち出され検討されている。健常者も早とちりをするし錯覚や誤った思い込みをするときもあるがそれは「妄想」なのか。科学のパラダイムも時代とともに変化する。(例えば過去において癩病の感染力に関してそれが非常に強いものであると長らく誤解されていたように)後に否定された過去の科学的パラダイムは「妄想」だったか。また病的な妄想が、完全な否定はしえないという意味において必ずしも「誤った信念」とは言い切れない場合がある等と主張する。その他、ヤスパース、マレン、オルトマンス、等の歴史的定義を引用してそれぞれその不備を訴え、異常-正常の二者択一的思考を捨てよと方向付けている。主張自体は特に目新しくはないかもしれないが、これはこれで分かりやすくまとまっていた。
途中、「確証バイアス」や「潜在抑止効果」および「ブロッキング効果」等の話もあるのだが、語彙の紹介にとどめておく。
また妄想を持つ群が反証効果によって易々と自己の確信を訂正することから、従来言われてきた「訂正不能性」を妄想の代表的特徴から棄却する。
私は「結論への性急な飛躍」と妄想との強い相関は(妄想の定義の同義反復的な面すらあるわけで)、まったくその通りに違いないと納得したのだが、「訂正不能性」の否定または軽視についてはやや違和感を覚えた。妄想者は少なくとも自分が拘っている妄想の本質に関しては強く訂正を拒絶するはずでそのことは無視しようがない。この実験で否定されているのは、推論から生まれた信念に対する妄想者の一般的な訂正不能性であるにすぎない。統合失調症者の自我脆弱性からいって表層的な確信が易々と瓦解し得てしまうのはむしろ自然なことだ。
ところで後書きによると、この本の原著は東京大学の大学院でテキストとして使用されていたらしく、その意味でやや珍しかった。
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