太宰治は、要は境界例というか、今で言う人格障害のクラスタB系だったのだと思うけど、長い間、その種の人々の迷いや悩みや苦しみみたいなものを細やかに身をもって代弁してきたのだろうと思う。不幸な共感者達は内面宇宙の北極星のように太宰を捉えていたかもしれない。
しかし、精神医療はもはやかなりの程度境界例を理解してしまったから、幾冊も文芸小説を読む暇があったらメンタルヘルス系の良書をただ一冊読む方がよほど有効かもしれない。また今やネットコミュニティを探せば幾らでもその種の「同類」と出会えるだろう。境界例がどのようなものであるかということや、現に少なからぬ規模の人々がそれに苦しんでいるのだということは、ほとんど常識に属するような知識になったと言っても過言ではない。
NHKが番組タイトルとする「絶望するな、ダザイがいる」といった軽薄な言葉で蒙昧なる人々に無意味な迂回を強いようとするやり方は俗悪そのものだ。太宰の生涯は夥しい悲劇の内のただ一例に過ぎない。その作品ももはや「現役」ではないのであり、ただ古典として鑑賞すべき域に入っていると私は思う。
もう太宰に頼らなくても、より正確で直接的な契機が現代社会には存在する。
しかし、その上でなお今に生きる名も無き人々の前にそれぞれのあり方での困難が横たわっている。
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