どこか政治的提灯記事みたいな感じもする、なんだか奇妙な風体の昨日のNYTの社説であるが、多少興味を持ったので拙和訳してみた。根拠を提示しない感情的な主張は、普通は新聞読者をよく説得しないかもしれないが、戦勝国側の読者内ではどのように受け止めるものなのか。そんなに鵜呑みにしないような気もするけれど。
追記(2013年1月17日):
昨日の1月16日、ニコ生と文化放送の共同番組である「田原総一朗オフレコ!スペシャル」に、ニューヨーク・タイムズ東京支局長であるマーティン・ファクラー氏がゲストとして呼ばれていた。番組冒頭で早速、この社説について彼に水が向けられたわけだが、ファクラー氏の短い説明としては『あの社説は我々記者が書いたものではなく、全然違う部門が書いたのであり、どうしてそういう社説を書いたのか正直分かりません』ということだった。
日本の歴史を否定する新たな試みアジアの安定において、日韓関係ほど重要なものはめったにない。しかしながら、日本の新首相である安倍晋三は、韓国との対立を燃え上がらせ協調を難しくするような、重大な失策によって彼の職務を始めようとしているように思える。彼は、朝鮮人その他の女性を性奴隷として利用したことに対するものを含む、第二次世界大戦での侵略に対する謝罪を、修正するよう求める可能性があることを示唆している。
1993年に、日本はようやく、アジアおよびヨーロッパの数千の女性を軍の売春施設において強姦し奴隷化したことを認め、彼らの残虐行為に対する初めてのまともな謝罪を申し出た。1995年に村山富市首相によってなされたより幅の広い謝罪では、「植民地支配と侵略を通し」日本が「多くの国の人々、特にアジア諸国の人々に対し、甚大な損害と苦痛」をもたらしたことを懸念した。
安倍氏は、右翼政治家であるのだが、産経新聞のインタヴューにおいて、彼が1995年の謝罪を詳細不明の「前向きな談話」に変更したいと言っているとして、月曜のロイターに引用された。彼は、2006年から2007年にかけての彼の前の内閣が、戦時中の日本軍に対し性奴隷として従事した女性が、現実に、強制された証拠を発見できなかった、のだと述べた。先週の記者会見で、菅義偉内閣官房長官は、安倍氏は1995年の謝罪を維持すると述べたのだが、1993年の談話については修正するかもしれないとほのめかしていた。
日本の自由民主党総裁である安倍氏が、どのように謝罪を修正するかは不透明だが、彼は以前から彼の国の戦時の歴史を書き直す欲求を隠してこなかった。犯罪を否定したり謝罪を希釈化したりするどのような試みも、日本の残忍な戦時支配の下で苦しんだ中国やフィリピンと同様に、韓国を激怒させるだろう。
安倍氏の恥にまみれた衝動は、この地域のきわめて重要な協調を、北朝鮮の核兵器計画のようにおびやかすかもしれない。このような修正主義は、過去をごまかすことではなく、長く停滞している経済を上向かせることに焦点を当てるべき国の、恥辱となる。
※この社説のひとつのバージョンは、2013年1月3日ニューヨーク・エディションのA24ページに『日本の歴史を否定する新たな試み』という見出しで出版された。
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