強調表現などのためにわざと語順を崩している英文を日本語にするのは難しい。日本語として自然に読めるようにするためには、そういったニュアンス的なものは捨象せざるを得ない場合があると思う。しかしホントは厳密には別の意味になっている。何か一石二鳥の表現があればいいんだけども...。
英単語の"integrity"は「正直」という意味のようだけど、語源的には『手を付けていない状態』ということであるらしい。韓国人が著した英単語の学習本(の邦訳)に書いてあったのだが、アダムとイヴがリンゴを食べる前の無垢な状態を念頭に、"integrity"を捉え、だから「西洋人は性善説なのだ」と述べていた。
非常に違和感あるわけだが、韓国では西洋は性善説の文化圏として理解されているのだろうか。それともこの著者であるムン・ドク氏のみの個人的意見なのだろうか。(悪い日本人をやっつけてくれた?)西洋人が性善説に基づいているように見える韓国人というのも、想像するとちょっとショッキングだ。しかし、では彼ら自身は何なのだろう。
孟子の言う性善説は、人間が倫理的逸脱や犯罪をおかさないということを前提にする考えではない。あくまで「兆し」としての良心が誰にでもあるという考えなのだ。よく役人や政治家が、法律や行政の不備を覆い隠すために『性善説でやってきたので』というようなことを言うが、あれはあんまり意味が無いというか、言い訳になっていない。仮に、誰にでも良心の兆しがあるとしても、その上で現に誰もが間違うというのが、本来の性善説なのだ。
孟子が現代に生きていて、サイコパスのような先天的に共感性が失われている(扁桃体に何らかの異状があるという説が有力らしいが)人格に出会ったら何と言うだろうと思う。それでも兆しとしての良心の存在を強弁するだろうか?強度のサイコパスの場合、表面的に善意に見えるものも、すべては狡知による演技の形でしかない。
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