もやもや

 やるせない感じでもやもや感(性的な意味ではない)がどうにもならないのだが、ブログに書いても仕方ない。
 のりこえねば。

 NPDによる他者性(他者が意思や感情を持って生きているという基本的認識)の喪失への理解が私には難しい。

 BPDとNPDはとても近い関係にあると言われる(どっちも自我脆弱性とかが類似的に絡んでいる)。境界例は、大昔は今のクラスタB全体を含むようなものであったらしく(あるいは既存のカテゴリから外れた人の集積場所)、私も当初日本語の本だけ読んでた頃はあんまり区別がついていなかった。NPDは共感性が異様にない。BPDは他者を振り回すがそこまでの冷酷さはない。振り幅が大きいだけで時には非常に共感的だったりするのだと思う(たぶん)。NPDの非共感性は表面的に取り繕われているが一貫している。彼らには悪意や罪責感がそれがあるべき状況下でなかったりする。
 NPDでそれとして無害なのは社会的に相当成功したNPDだけではないか?彼らの幻想と現実がある程度は合致した稀な状態だから(あとよっぽど孤立しているか?)。カーンバーグだかが、職業的人格としての政治家とNPDの類似性を書いていたような記憶がある。NPDを無害化するために全員そういうポジションにつけるわけにも行かない。周囲は大変だ。


 RSSへのアクセスが妙に増えている(サーバとして借りてるから分かる)。一日50件くらいある。夏ころは30件だった。更新頻度を上げたからか?

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