「急性即席麺恐怖症」が長期化の様相を呈しているわけだが、現在ストックされている即席麺は4袋でありそのうちで最も早い賞味期限のが2015年の4月1日なのを確認。それまでには何とかしたい。
昨今うなされるような感じで心身やや低調なのも「急性即席麺恐怖症」に関係あると思われる。なにか得体のしれないストレスが昂じているのかもしれないが、すぐにどうこうできる感じでもない。
親にお歳暮みたいなものを送ったのだけど、一日遅れで届いたみたい。
天候が荒れているニュースも特になかったはずだが、単に年末だから混んでいた?しかしそれならそれで配達予定日を調整して表示してくれればいいのに。ずっと昨日の25日のまま動かず「予定通り」の表示。クール便だったから腐るということはないけれど、受け取りが大変だ。
親は喜んではいたみたいだった。
頭ではある程度理解していても感覚として理解できないということはあるもので、ナルシシストが持つ他者イメージもそのひとつだ。ナルシシストはある種の自閉性を具えた人々なのでもともと他者(性)を持たないという言い方もできるのだが、現実に他者と関わっているので何らか他者イメージに「相当するもの」は保持しているはずなのだ。彼らの他者性を剥奪した他者(語義矛盾そのものだが)というのがなかなか想像できない。赤の他人=下僕、のような感覚をなんの理由もなしに持つことは普通は困難だ。
いわゆる「他者蔑視」の概念も不思議なところがある。これは要は「自分でないこと」そのものが他者を軽蔑する根拠であるのだ。ほとんど因縁というか不合理も甚だしいがナルシシストが持つ超越的な自己イメージから導き出せば頭では理解できなくもないかもしれない。しかしこれを感覚として内的に再現するのは簡単じゃない。
私は最近思うのだが、彼らが変わり得ないことに絶望するようなレベルでは初心者にすぎない。彼らの全肯定的な雰囲気に欺かれてある種の期待を持つからこそ不必要な落胆が待ち受けるのだ。全肯定的な雰囲気自体が黄信号。つまり、話はまったく逆なのである。
クリスマスに少しだけ聖書を読んでいたのだが、イエスが中風の人を治すときに「あなたの罪は許された」(マタイ9.2)と宣う。これの文脈を普通に読めば中風が何らかの罪によってもたらされたとするのが妥当ではないかと思う。
仏教にも自業自得とか、前世の行いの悪さが現世に障害や病をもたらすとする考えがあるようだ。
おそらく、何らかの苦しみがその人の何らかの罪の反映であるとするつじつま合わせは多くの宗教の旨とするところだ。医学の発達しない時代に、病や障害の原因を無理にでも納得するために持ちだされたフィクションと捉えるべきなのかもしれない。あるいは、共同体が異物を排除する生理に則って押された烙印を聖者たちがやさしく剥がしてくれるというストーリーだろうか。しかし、中風の原因が確かにその人物の長年の不摂生による場合もあるかもしれないけれど、体質など本人の生き方の在りようとは何の関係もない場合も少なくないだろう。イエスはそれを見分けたということなのかもしれないけれど。
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