2017年9月アーカイブ

 このブログを置いているさくらサーバが27日から障害を起こしているみたいで、数日つながりにくかったかもしれません。原因は、下記発表によるとサーバソフトのApacheを2.2から2.4にバージョンアップしたことのようです。
 バージョンアップに伴い細かな仕様変更があって、それへの対応に不備があったということかもしれません。

・さくらのレンタルサーバ・さくらのマネージドサーバ システムメンテナンスのお知らせ[2017年09月29日掲載]
http://support.sakura.ad.jp/mainte/mainteentry.php?id=22706

・障 害 発 生 の お 知 ら せ[2017年09月28日掲載]
http://support.sakura.ad.jp/mainte/mainteentry.php?id=22698

・さくらのレンタルサーバ・さくらのマネージドサーバ システムメンテナンスのお知らせ[2017年09月13日掲載]
http://support.sakura.ad.jp/mainte/mainteentry.php?id=22624

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 最近、印象的な報道記事と遭遇した。ただし記事が発表されたのはひと月以上前。
 これが共依存といえるかどうか分からないが、自分の娘(18ヶ月)一人を殺害し妻ともう一人の娘(3歳)に重傷を負わせた男に対して、生き残りの女性たちは、許し家族関係を続けざるを得なかった。
 記事では、男の異常性はもちろんだが、被害者を差別するインド社会の土俗性みたいなものも、意識に迫ってくる。
 彼女たちは、現在では一定の支援が得られているようだ。
 以下ソースでは画像や動画がついていますので閲覧には気をつけてください。動画は、男の反応および発言(『人々から酸を浴びせるようにけしかけられた』と主張している)が見どころかもしれません。


・23年前に酸を浴びせた夫と今も暮らす妻と娘「選択肢がなかった」(印)
http://www.excite.co.jp/News/world_clm/20170729/Techinsight_20170729_408375.html

・Acid Attack Survivors Forced To Live With Attacker
https://www.youtube.com/watch?v=76ryoCo-JwU

(冒頭部分)
To hang them (acid attackers) would be too easy a punishment.
彼ら(アシッド・アタッカー)を絞首刑にすることは極めて容易に罰となるでしょう。

They pour acid on us and even prison is too easy.
彼らは酸を私たちに注ぐので、監獄すら極めてたやすいのです。

Their punishment should be to chop off their arms and legs.
彼らの罰は彼らの手足を切断することであるはずです。

Let them live with that, for the whole world to see.
彼らをそれと同居させなさい、全世界に見てもらうために。

This should be their punishment.
これが彼らの罰であるべきです。


・'WE'RE TOO POOR TO FLEE'Mum and daughter acid attack victims STILL live with thug whose drunken rampage left them scarred and blind
https://www.thesun.co.uk/news/4090962/mum-daughter-acid-attack-blind-india-scarred/

・Acid attack survivors forced to live with the man who scarred them
http://www.stories.coverasiapress.com/acid-attack-survivors-forced-live-man-scarred/

・Mother and daughter horribly scarred in brutal acid attack in India STILL live with attacker - because they are too poor and 'shamed' to live on their own
http://www.dailymail.co.uk/news/article-4718416/Mum-daughter-acid-attack-live-attacker.html


追記(2017/09/25):
 なんとなく列挙。
A:見捨てられ不安→しがみつきが暴力として表れる
B;先天・後天的要因による過剰な自己中心性
C:薬物(アルコールを含む)の影響
D:知能面での問題
E:精神活動に影響を及ぼすような生理学的な疾患
F:その他

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 以前も書いたけど、京都の人は他人が邪魔なときに、その人に向かって細かく空咳をして散らそうとする習性があるように思う。特に中高年に多い(というか中高年のみ?)。
 聞えよがしの咳払い(「エヘン!」)とはまったく異なる。
 他人に向かって咳をするのはよくないことです。


 暇なときに段落単位でちびちび読むことにしている"Object Relations Theory and Clinical Psychoanalysis"だが、序文やらなんやらは終わって一応本文には入っているのだが、のっけからスプリッティングで、医師に対する態度が極端から極端へ変化する患者が登場。解離とは違うので、+から-に振れても記憶は保たれていることが強調され、そのことは一般的な解釈なのだが、私は前にも書いたがスプリッティングはまた別の様態の記憶の不具合を含むのではないかという疑問を持っているので、何か手掛かりがないか多少期待しながら読み進めたい。私の疑問は、肯定的な評価をしている時に、過去に正反対の評価をしていたこと自体は憶えていても、正反対の評価を生み出していた内的・感情的な源みたいなものの記憶を忘れているのではないか、みたいなモチーフ。
 そのあたりはもはや「記憶」からアプローチすべきじゃないってだけかもしれないな。
 非常にのろのろ進んでゆく予定。であるがゆえのメモ。


 "either"は条件文においては「どちらか一方の」という意味しかもたない。"provided that~"は「~という条件において」という条件文(節)である。したがって、一般的に"either"には「どちらも」の意味も「どちらか一方の」の意味もあるため、日米和親条約は二つの解釈がありえる曖昧な文面なのであり、日本側はそこでうまく騙されたという説は、間違いではないかと思う。つまり、あれは一義的な英文なのである、たぶん。
 条約の原本かドラフトみたいなものがオランダ語でそこからの和訳が間違った(蘭学者はたくさんいたはずだが...)という情報もあるみたいだが、つきあわせて相手側の英語版を確認しないわけがないならそこでも間違ったことになり、むしろさらに不可解な気がしてくる。

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 WikipediaのIsolationを訳した影響か、このところ記憶の中に埋もれていた自尊心をくじくような出来事が時々蘇ってきて、慙愧に堪えない。
 しかし、これはたぶんいいことだ(フロイトの徹底操作みたいなもの)。
 それと、あの中に出てくる単純な情緒構造の人というのは、今となっては発達障害概念で説明がある程度つくかもしれず、精神療法側からのみ押して行っても狭いような。そうでなくても、私は最近、いわゆるナントカ人格障害の基盤に、無名の発達障害的なものが関与をしているのではないか、みたいなイメージに蝕まれていて、仮にそこまで直截じゃないとしても科学の進歩によって個々の脆弱性の器質的な正体が露わになればいいなぁ、と思ったりする。治せるわけではないとしても。


 このところまた風邪である。


 Alex Jonesは現代ネットが祭り上げた一つの極だろうと思う。日本のネットを振り返るともっとも有名になった部類でも異次元的に小粒だ。
 直接話法により負のストロングワードを多用する手法とか、(うわべだけだとしても)品性を気にするメディアが忌避するやりかただと思う。「彼の『~』という主張は許せない」とかの『~』の部分にことさら激しい表現を選び更にカメラ目線でそこだけ執拗に繰り返したりする。その『~』の部分をAlex Jonesが吠えている時に視聴を始めた人はぎょっとするに違いないが、一応あとにつじつま合わせの文章が続くのではあるが。人の興味をひくための(比較的下品な)テクニックであろうか。
 しかしトランプ政権がそこまで激しいカタストロフィを招くでもなく、一定の安定を得始めている感じで、騒ぐネタに困っている感がある。大統領選挙中・前は再生回数が優に100万を超えるような動画が多々あったが、最近はLive録画の数万がほとんどで、ハリケーン物等でいくつか10万超えていた程度。最近の北朝鮮関連も再生数で特筆すべき興味を持たれているわけではないのがわかる。


 アマゾンの「配達中メール」が文字化けしていたのでソースを調べたら、文字コードの宣言がUTF-8なのに中身はJIS(ISO-2022-JP)だった。


 江戸時代、日本の開国は日米和親条約内での'either'の誤訳によってなされた。本来日本側の意図としては両政府の意思がそろった場合のみ下田にアメリカ領事館がおけるようにするつもりだった。しかし'either of the two Governments'にしてしまったのでどちらか一方がそう思えばできることになってしまった。

Treaty of Kanagawa
ARTICLE XI.
There shall be appointed, by the Government of the United States, Consuls or Agents to reside in Simoda, at any time after the expiration of eighteen months from the date of the signing of this treaty, provided that either of the two Governments deem such arrangement necessary.

https://en.wikisource.org/wiki/Treaty_of_Kanagawa

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 二条駅近くにあるライフは、従業員が売れ残りの割引弁当を狙っていてやや特異だ。以前から少し印象に残っている細身初老の男性従業員が、今日、不自然に私の前に割り込んできて(こちらは弁当を買う気はなかったので、位置的に後ろから左に回り込めばいいだけで競うような体勢で取る必要はどこにもなかった)目当てだったらしい弁当をそそくさとレジに持って行った。やや呆気にとられたわけだが、その従業員は現場責任者っぽい風体なので、野卑なふるまいを同僚は注意できないのかもしれない。割引弁当を購入している従業員自体は以前もライフで見かけたことはあるのだが一応客に邪魔にならないようにしていたと思う。
 帰り際、私の視界を横切って行った彼は上機嫌であった。
 もし今度遭遇する機会があったら人物として少し気を付けてみようと思っている。

 英語のWEBプログラミングの入門書を最近読んでいるのだが、アマゾンで非常に評価が高かったわりにはあんまよくない。それでユーザー評価の内容を読み返していたのだが、軒並み短い賛辞がついた五つ星なのだけれど、プログラマっぽい人の評価は具体的な間違いを指摘していたりしてあまり高くなかった。
 入門書ゆえに初心者が無分別に高評価をつけるようなことだったのかもしれない。

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 Wikipedia英語版Isolation (psychology)の項目の本文だけの和訳です。現在読んでいる本に出てきた(スプリッティングとかかわっている)のと、日本語版の項目がなかったのでぼんやり訳してみました。参照は省略で元ページからたどってください。


隔離

隔離(独:Isolierung)は、ジグムント・フロイトによって最初に提案された精神分析理論での防衛機制の一つである。この概念は、抑圧に関連しているが、いくつかのやり方で区別される。これは、不快なあるいは脅威となる認知と、他の思念や感情との間における、ギャップの生成に関連する心的プロセスとして特徴づけられる。他の思念との連想的結合を最小化することにより、脅威となる認知が、より少ない頻度で思い出されて、自尊心や自己概念にあまり影響を与えないようになる。フロイトはこの概念を、一連の思考を始めてから続けて別の主題を考えようとする前に少し間を置く人物の例によって説明した。彼の理論では、インターバルを挟むことによってその人は、『他の思念への連想的接触につながる印象や行動についての彼の思念が彼に許容しがたいことを象徴的に理解されるようにして』いる、と説明した。有害な思念に対する防衛として、隔離は、再発して自己概念を損なう可能性のあるこれらの認知を許容することを自己に避けさせる。


証拠
広範な研究が、人々は心理的に隔離することにより脅威に対して彼ら自身を防衛する、という結論を支持している。抑圧者が、性急な浅いあるいは最小限の仕方で情報を加工することが示されてきた。ネガティヴな情報が提示されるとき、彼らはその衝撃を極小化するために自発的な幸福な思考や感覚をしばしば生成する。抑鬱的な人々は、善かれ悪しかれ、さらに徹底的に情報を加工する。この高次の加工は類似の情報への強い連想的つながりを作り出す。ある抑鬱者が有害な認知を避けようとする場合、しばしば、悪影響を与える何か他の思考をする。隔離が、社会的脅威に対する敏感さを促進し、社会的つながりの更新を刺激することは、人間および動物の研究による証拠が示すところである。

ある研究によると、人々がよくないフィードバックに直面しても、彼らがそのフィードバックをパフォーマンスの標準から隔離しておきうる限り、自身のパフォーマンスに対し依然として満足したままだったことが示された。研究者たちは、パフォーマンスの前および後(フィードバックの前でも、パフォーマンスおよびフィードバックの後でもない)に標準を提示した。早く標準を知らされた人々は他と同様にそれを思い出したが、単純にそれを無視した。彼らは、自尊心への脅威を最小化するため、なんとかして自身のフィードバックを標準から隔離した。標準を後から知らされた人々は、基準と比較して不成功を避けることができなかったため、自身のパフォーマンスにより満足しなかった。この形の隔離は矮小化と呼ばれてきた。

他の顕著な隔離の型は『時間的括弧化』と呼ばれ、これは、現在の自己へのインパクトを効果的に取り除くため、失敗や欠点がその過去の中に埋もれ去っていると知覚する。このタイプの過去に対する隔離は、宗教的転換や、『再生』体験、ある種の薬物依存矯正プログラム、また法システム内で違反者記録を廃棄することなどの中に見られうる。これらの社会的に受け入れられた行為は、少なくともある程度の事例においては、隔離を社会的に許容されたものにしている。またそれらの行為は過去の出来事から来るストレスを和らげるようだ。自尊心の低い人々は、過去の失敗を述べるとき、しばしば時間的括弧化を使う。認知に運ばれて来ようとするあらゆる悪事を自身から隔離することによって、彼らはそれが自らの現在の状態や人間関係とは関係がないと強く主張する。


影響
習慣的な抑圧者はそうでない人々に比べて不幸な記憶をより少なく持っているように見られてきたが、この違いは二次的連想の中にある。抑圧者に対する調査によると、彼らは悪い記憶に対して同じように強いネガティヴ反応を持っているが、それらの記憶は、非抑圧者と同じ程度には、他のネガティヴな感情を呼び起こさないのだ。「より複雑でない情緒構造」というフレーズが、この現象を叙述するために作られた。抑圧者は他の人と同じように悪い記憶を持っているが、それらは記憶の中で比較的隔離されているので、それらによってあまり困らせられたりしないのだ。最近の研究では、隔離は、苦痛を伴う認知に対するより効果的で重要な防衛機制の一つであるとの合意がなされている。これは、現実への欺きを必要としない対処メカニズムであり、いくつかの代替物(否認、昇華、投影、等)よりも妥当な役割を果たす。隔離の説明のため、完全に具体的なものとして捉えられるよう、さらなる研究が求められる。


参照
(省略)

(Translated from the article "Isolation (psychology)" on Wikipedia)

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