エーリッヒ・フロムの『生きるということ』を読んでるが、「持つ」と「ある」の対比を非常にノイジーなやりかたで論述している。しかし、彼が言う「持つ」人というのは、要は、(モノや他者に承認を求めるような)「偽りの自己」が優勢な人のことだと思う。愛着理論で言えば非安定型に多いかもしれない。エーリッヒ・フロムはドナルド・ウィニコットより4歳若いだけのようで、同時代の読者として前者を選んだ人は遠回りを強いられたことと思う。
これまで私はエーリッヒ・フロムはたぶん『破壊』しか読んだことがなく、ヒトラーの精神分析パートが微妙というか荒唐無稽な感じで、あまり印象は良くなかった。エーリッヒ・フロムは加藤諦三の元ネタみたいなので今回図書館で借りてみている。
追記(2022/07/25):
偽りの自己による「持つこと」は自己目的化された所有欲であり拡大欲である。それら病的な欲望を取り去るのに「持つこと」それ自体を取り去ってしまおうとするのは、多くの場合、行き過ぎた反動である。「持つこと」にも疎外されたものとそうでないものとがあり、健全な所有をも否定する態度になれば別の倒錯が含意されはじめる。俗世の全財産を捨てる仏教の出家者のような緊急避難的な行動を一般化するのにも似ている。
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