2014年2月アーカイブ

 CGIサイトの方のレイアウトをスマホに合わせるために試行錯誤。
 User-Agent Switcher for Chromeというプラグインで、Chrome上に複数のスマホをエミュレートできるのが便利だった。これで確認しながらデザイン変更していった。
 翌日(昨日:棒グラフ右端)急激にアクセスが増えてPVが9千近くまで行ったが、サイト全体を更新したからロボット巡回が激しくなっているだけかもしれない。詳細見ていない(見る気がしない)。今日以降のアクセスがどうなるかでおのずと分かってくるだろう。転送量は余裕ある。
 WEBデザインは気にしだすとホント難しい。「正しいデザイン」とは何かと考えるより、「より良いデザイン」は何かと考えるべきなんだろうけど。それでも簡単じゃない。たとえば、眼が疲れないデザインは?20140227.PNG

 なんやかやしている内に、このブログの上部広告を元に戻してしまった。日付表示の方をサイドバーに移動。

追記(2014/03/04):
 その後アクセス数乱高下。スマホ対応は必ずしもうまく行っていなかったようだ。さらに修正した。一旦様子見したい。

追記2(2014/03/05):
 アクセス履歴採って詳細見てみた。google bot のiphone版が来ていた。そんなの初めて見た。反応を軽くするためにCGI側のアクセス記録機能を切っていたのだが、今回forkによりバックグラウンドで処理できてるみたいで、そんなに重くなってない気がした。アンドロイドを強制的に大フォントページに飛ばすと、アンドロイドの大型タブレットでも大フォントで読むことになってしまうわけだが、もとに戻すわけにも行かない。あちらを押せばこちらが...。今回の対応は簡易で、本格的なスマホ対応ページはちょっと無理目か。

追記3(2014/04/08):
 新機能をつけたためかじりじりPVが上がってきていて、検索サイトのロボット巡回を除いても1万近く行くようになってきた。眠い時に手直ししていてひどい間違い。こんなことをしてるとサイトの信用を失うなぁ。PVが10万くらい行ってしまえば事態がはっきりするんだろうけど、今はまだゆらゆらあわいのような段階が続く。
 PV増加に加えて、新機能が常に特定のファイルを呼び出すこともあってか、転送量が跳ね上がっていて、1日1ギガバイト行くこともあるようになった(つい先月までずっと1日400メガバイトくらいだったのに)。特定ファイルは予めgzip圧縮してありその上での数字。サーバの方の転送量上限は1日40ギガだからまだまだだが、一度ためしにhtml送出に伴うgzip圧縮を切ってみたら1日3ギガも行った。その他の状況を勘案しても、gzipはtxt系のデータならだいたい1/3くらいには圧縮してくれているという感じであろうか。やはりgzip圧縮は重要。
 アクセスログ見ると検索エンジンからの巡回を制御するrobots.txtが効いてない感じが強くする。マニュアル通りにしてるつもりだが...??

追記4(2014/04/10):
 改良の方向として、むしろシステムをより「ほったらかし」にできるようにすることを目指した方がいいように思えてきた。すでにある程度自動化されてるけども。自動処理が盤石なら、余程じゃなければ人の増減も気にならないし、当然労力的にも負担ではない。そこまで急激に人が増えるということもないだろう。あってもたまにチェックしていれば気づくだろう。作っていてなんだけど、自分自身でよく見るサイトではないということも大きいというか、あるいはネット広告が一定の収益を上げているならまた別なのだろうが(サーバ代くらいは出てるけども...)、距離感がしっくり行ってないのが一番の問題かもしれない。元々perlのSocket接続で遊んでいて妙に発展してきてしまったけど、なんか持て余してる感がないではない。

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 バレエばっかり観てるわけではないのだが、今月鑑賞したDVDのリスト。

・白鳥の湖(スカラ座)
・ジゼル(スカラ座)
・ファラオの娘(ボリショイ・バレエ)
・シルヴィア(オペラ座)
・こうもり(スカラ座)
・スペードの女王(ボリショイ・バレエ)
・ノートルダム・ド・パリ(オペラ座)

・ドンキホーテ(新国立劇場バレエ団)〔予定〕

 『シルヴィア』は、強い主張やテーマも、あるいは波瀾万丈のストーリーもないふわふわした作品なのに、観客が全体に酔いしれ満足していた。これは観客おのおのの人生経験を美化する装置としてバレエ作品が機能していたからかもしれない。観客は、眼前の舞台で繰り広げられるダンサーの動きやポーズのバリエーションを、象徴として摂取とすることで、自らの過去を美的に再体験し、快楽を得ているもののような気がする。これは喋りも歌いもしない非言語的芸術のバレエだからこそできる独特のカタルシスかもしれない。仕掛けを意図的に簡素にしてイマジネーションの許容範囲を広げ、メインストーリーを舞台の側ではなく観客自身の側に置くのだ。
 カジモドの身体障害をバレエの技法によって表現する『ノートルダム・ド・パリ』は、上記の対極かもしれない。ストーリーはむしろ重要であり、またテーマを中心にすべての構成要素が統御されている。メインストーリーはむろん「舞台の側」にあって、バレエとはいえリアリズムを目指していると言っていいのかもしれない。
 しかし、本物の身体障害者達が『ノートルダム・ド・パリ』をどう受け取るか、と問うと、意識に引っかかるものがあった。涙する一般の観客を、彼らはどこか冷ややかに見つめるかもしれない。

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 英語版WikipediaのSvetlana Zakharova (dancer)の項目の和訳です。日本語版に該当ページが無かったので本文だけ訳してみました。参照や外部リンクは元のページからたどってください。


スヴェトラーナ・ザハロワ

スヴェトラーナ・ザハロワ(1979年6月10日生)は、ボリショイ・バレエおよびスカラ座のプリマ・バレリーナである。

ザハロワは、ソヴィエト連邦におけるウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国のルーツィクで、1979年6月10日に生まれた。6歳の時、スヴェトラーナは母に地元のスタジオで民族舞踊を習うために連れて行かれた。10歳の時、キエフ舞踊学校のオーディションを受け入学を許された。しかしたった4ヶ月後に、父の陸軍での東ドイツへの配置転換がスヴェトラーナの中途退学を強いた。その6ヶ月後、彼女の家族はウクライナへ戻り、スヴェトラーナはふたたびキエフ舞踊学校のオーディションを受けた。彼女は再入学を許され、ただちに教師ヴァレリア・スレジーナのもと第二クラスに加わった。

1996年から1997年に、彼女はマリインスキー・バレエにおいて、ロスティスラフ・ザハロフの『バフチサライの泉』内ルーベン・ボボフニコフの相手のマリア役で出演しデビューした。2003年から2004年に、彼女は長年にわたるボリショイの公開オファーを受け入れたが、これはマリインスキーへの不満が原因と言われる。

現在、ザハロワは世界中の大バレエ団にゲストとして招かれ旅をしている。彼女は同時代における最も優れたバレリーナのひとりであると考えられており、技術力、優美な脚さばき、並外れて高い伸長性、同様に音楽性においても、高く評価されている。「古典的」基準に適合しないため、すべての批評家が彼女の極端なポジションに審美的な喜びを見出すわけではない。

イタリアでは、彼女は、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』また『ラ・バヤデール』のような作品を、ロベルト・ボッレをパートナーにしてスカラ座で踊った。

ザハロワは2005年にブノワ賞を、2006年にはロシア連邦賞を受賞した。

彼女はロシアのヴァイオリニスト、ヴァディム・レーピンと結婚している。夫婦はひとりの子を儲けているが、娘アンナであり、彼女は2011年2月17日に生まれた。ザハロワは2010年夏のボリショイツアーのロンドン公演を腰の怪我を理由に辞退したのだが、事実彼女はその時妊娠していたのである。ザハロワは、ソヴィエトのバレリーナであるガリーナ・ウラノワを記念する特別公演に2011年5月15日ロンドンで出演して、舞踊に復帰した。


参照
(省略)


外部リンク
(省略)

(Translated from the article "Svetlana Zakharova (dancer)" on Wikipedia)

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 ザハロワ主演の『ジゼル』(スカラ座)のDVD観た。
 たとえ相手に婚約者がいようが、我が身が亡びようが、自分に恋していた森番が踊り殺されようが(亡霊の女王に死ぬまで踊らされる)、ジゼルはどこまでも貴族男性を想い続けるのだが、彼女がひとりの人間としての貴族男性を愛したのかそれとも彼の身分を愛したのかで、かなり解釈が分かれるかもしれない。後者だと、玉の輿いのち以上というか、激しい話になる。
 嫉妬した森番が、貴族男性にすでに婚約者がいることをジゼルの目の前に当人を呼んで暴露し、そのためジゼルは錯乱ひいては死んでしまう(!?)のだが、いつも冷静なザハロワがどうやって「錯乱」するのかとやや期待して注目したのだけど、悲愴に混乱し頭を抱えるといった感じの演技だった。ザハロワに気が触れた演技は似合わないしあれでよかったのだと思う。
 カーテンコールで少しブーイングしてる人がいたかも。彼らはどこが気に食わなかったのだろう。

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 二条城の西側には中学校がふたつ高校がひとつ面していて、付近を朝夕に通ったりすると子供たちだらけなのだが、今夕遭遇した下校途中の学生服の群れの中から、「愛されない」と誰かが無機質な声を発するのが耳に入った。見ると、中学生にしても高校生にしても小柄なひとりの少年がそのように口走ったようだった。
 たとえば、セント・バレンタインデーの今日に、目当ての女の子からチョコレートをもらえなかったために憮然とそのように慨嘆したのか、あるいは、もらえなかった者の地位についてただ一般論として横の友達とでも話した言葉の切れ端にすぎなかったのか。しかし、聞きようによっては、たんに異性から愛されないのではなく誰からも愛されないと主張しているようにも取れ、私は何となく動揺して、群れを横切りながら、怪訝にその少年のメガネの向こうの表情を推し量った。むろんそこまで深刻な感じではないような気はしたのだが、腑に落ちるわけでもなかった。少年がふたたび「愛されない」と繰り返したが、私は彼らの群れを通りすぎてしまった。

 京都の中年以降の女性には、他人が邪魔でどいてほしい時や近寄ってほしくない時に空咳をする人がいる。いつか書いたバス停に居住するあのお婆さんもそうだった(彼女は今ではもう見かけなくなっている)。もちろん、どいて欲しい時に「すみません」とか「あの」とか普通に言葉で表現するちゃんとした人もたくさんいるのだが、いい大人の女性が咳で人を散らそうとするケースが京都では時々ある。
 本当に京都だけに顕著な習慣なのかどうかむろん断定はできないのだけれど、たぶん15くらいの都道府県には(単に通り過ぎただけではなく)行ったことがあると思うが、私は少なくともこのような習慣を京都以外で目撃したことはない。よく京都人はいけずとかお高くとまっている(?)などと言われたりするが、多くの場合ただ野蛮に映るだけかもしれない。
 自分の進行方向を塞ぐ人に向かってわざとらしく空咳をしながらにじり寄っていく「京おばさん」がいたらわりと要注意である。

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  ミラノ・スカラ座バレエ団がザハロワを迎えた『白鳥の湖』のDVDを流しながら書いている。このところ少し抑鬱になりがちだったのだが、いい舞台で、なんだか取り直してきたかも。ただ『白鳥の湖』はこのあとバッドエンドになるはずではあるが...。ザハロワ出演作は『ドンキホーテ』もあったので借りる予定。私がいつか観たザハロワ出演の最初の作品は、日本の新国立劇場バレエ団が彼女を呼んだ『ライモンダ』だったのかもしれない。あんまり自信ないが、ひとりの男性客がうるさく叫んでいたらそれだが。
 鑑賞するのは別にザハロワ作品じゃなくてもいいのだけど、乗りかかった船というか。

 私はあんまり躁鬱の幅がないというか、あってもそんなに「効かない」変な体質のはずなのだが、どういうわけか昨今「解凍」してきたらしく、このところやや気分が沈みがちになったりした。抑鬱から脱出する内的手順は、
①人は不完全な存在だから、厳密な意味での絶望が許されないことを思い出す。
②何か認めたくない現実があるはずなので、それを特定し認める。
という感じであろうか。①は抑鬱に潜む行き過ぎた断念に対する批判を糸口にして、希望の前駆体というかその兆しを復元するというもの。とは言え、気分が沈むにはそれなりの現実的で妥当な理由があったりするのであり、その現実が覆るわけではないのだが、反駁の余地をごく控えめに確保するだけでもずいぶん違う。無知蒙昧なる人間に厳密な次元での断念は許されないのである。②は認めるべき認めがたいことを特定し認めてしまうということで、自己の内的な再構成を行うということである。以前紹介したバーンズの著作もそうだが、②は鬱病関連の本にたいてい書いてあるような心的操作で特に珍しくはない。

 『白鳥の湖』観終わったけど、なんかハッピーエンドになっていた。そういう演出にしたのでしょう。

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 うっすら積もっていた雪を朝の雨が解かしている。今が一年で一番寒い時期と言っていいのかな。

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 日本のバレエ団がスヴェトラーナ・ザハロワをプリンシパルに呼んだなにかの舞台のDVDで、ザハロワ以外のバレリーナは全員日本人だったのだが、観るのが途中で辛くなったことがあった。彼らはほとんど別の生き物だった。ザハロワの周りで手脚の短い別の生き物が終始じたばたしているような感じだった。
 また、ザハロワの熱烈なファンなのか、観客のひとりの男性が、彼女が見せ場でポーズやターンを決めるたびに、異様な熱意をもってブラボーを叫ぶのもきつかった。単に彼の声量が突出していたというだけでなく、一貫して非常に個人的に興奮されていた。
 それ以外の観客はおとなしかったのだけれど、むしろほとんど緊張しているというか取って付けたような反応。
 それで「日本人にはバレエは合わない」などと誰だかに軽はずみに断言した記憶がある。やや言い過ぎだったと今では思うが(いちおう日本人でも国際的に活躍している人はいるようなので)、しかしある絶対的な限界を示している気がしたことは確かだった。

 今月1日に行われたローザンヌ国際バレエコンクールで日本の高校生が1位と2位を独占した直後なのにあれだが、ニュースを見て少し複雑な気持ちになったので。

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