英文拙訳のブログ記事

 自閉症の側から世界がどう見えているかはなかなか推察し難いものがあるわけだが、強力な手がかりとなるかもしれない有名な実験の記事("Sally-Anne test")を、英語版Wikipediaで発見したので拙和訳してみた。
 他者のなさ、あるいは他者性のなさみたいなものが彼らの特徴だと思うのだが、この実験では、寸劇の登場人物と自己の区別をつけられない彼らの意識の有り様がかなり露骨に示される。


サリー・アン課題

サリー・アン課題は心理学におけるテストであり、誤信念を他者に帰する社会的認知能力を計るため、発達心理学において使われる。サリー・アン課題の主要な実装は、サイモン・バロンコーヘン、アラン・M・レスリー及びユタ・フリスによって1985年になされ、1988年にはレスリーとフライスが、お人形ではなく、人間の俳優によってこの実験を繰り返し、同様の結果を得た。


1 課題の説明
2 結果
3 批判
4 他のヒト科の動物
5 参照


課題の説明
効果的な課題に発展させるために、バロンコーヘンらはウィンマーとパーナーによるパペット・プレイの枠組み(1983)を修正した。この中で、パペットは、純粋な作り話での仮定によるキャラクターというよりも、あるストーリーにおける実体的なキャラクターとして描かれている。バロンコーヘン、・レスリー、およびフリスによるこの自閉症の「心の理論」研究では、従来の診断基準によって自閉症と診断された20人、ダウン症である14人および臨床的に健常であると確定された27人の、計61人の子どもたちがサリーとアンによってテストされた。

この課題の手順としては、お人形の紹介のあと、子どもたちはそれらの名前を思い出す対照質問(名称質問)をされる。それで以下のような寸劇が上演される。サリーがおはじきを取って彼女のバスケットの中に隠します。そうして彼女は部屋を去って散歩にでかけます。彼女がいない間、アンはサリーのバスケットからおはじきを取り出して自分の箱に入れます。そこでサリーが再び紹介され、子どもたちは以下の質問を受けます。信念質問:「サリーは彼女のおはじきをどこに探す?」。


結果
課題をパスするためには、この信念質問に対し、サリーが自分のバスケットにおはじきがあると信じていることを示唆して、正しく答えねばならない。この答えは、サリーの視点よって連続的なものなのであり、参加者自身の視点によらない。もし参加者が代理的視点を採り得なければ、サリーが参加者と同じようにおはじきが移動していると信じる要因になってしまう。この課題をパスすることは、サリーが、現実と食い違っているとしても、彼女自身の信念を持っていると、参加者が理解していることの明示だとみなされる。そしてこれは「心の理論」の核心的要件である。

バロンコーヘンらの研究では、臨床的に健常である子供の27人の内23人(85%)が、そしてダウン症の子供14人の内12人(86%)がこの信念質問に正しく答えた。しかしながら、自閉症の子供は20人の内4人しか正しく答えられなかった。全体的には、四歳以下の子供が、自閉症のたいていの子供(年齢は上)とともに、サリーが彼女のおはじきが動かされているのを知らないことに表面上気づけず、信念問題に対して『アンの箱』と答えた。

この課題は決して完全に最終的なものではない。しかしながら、その応用は自閉症における社会的な発達傾向を伝えている。


批判
バロンコーヘンらのデータは自閉症児における「心の理論」の欠如を示していると主張されると同時に、彼等に影響を与える他の見込まれる要因が存在する。例えば、自閉症の個体は認知的により簡単な想起タスクにパスしうるが、自閉症の子供と聴覚障害者対照の両方がもつ言葉の問題が結果を混乱させる傾向にある。

ラフマン、ガーンハムおよびリドー(2001)は、社会的伝達機能としての視線に関して、サリー・アン課題と自閉症の間のリンクをより深く調査した。彼らはおはじきの第三のありうべき場所を追加した(調査者のポケット)。自閉症児と中程度の学習障害児がこのフォーマットでテストを受けた時、どちらのグループも信念質問に同等によく答えた。しかしながら、中程度の学習障害児の参加者は確実に正しい場所を見たが、質問に正しく答えた参加者ですら、自閉症児はそうではなかった。これらの結果は自閉症に関連する社会性欠如の表れかもしれない。

タガー・フラスバーグ(2007)は、サリー・アン課題の実証的事実にもかかわらず、基礎をなしている自閉症における「心の理論」仮説の重要性に関して、学者の中で不透明感が拡大していると述べている。成し遂げられたすべての研究の中で、多少の自閉症児はサリー・アン課題のような誤信念タスクにパスした。


他のヒト科の動物
チンパンジー、ボノボおよびオランウータンの視標追跡は、3種すべてがキングコングの着ぐるみ対象の誤信念を期待し、サリー・アン課題をパスしたことを示した。


参照
(省略)

(Translated from the article "Sally-Anne test"on Wikipedia)

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 Wikipedia英語版Isolation (psychology)の項目の本文だけの和訳です。現在読んでいる本に出てきた(スプリッティングとかかわっている)のと、日本語版の項目がなかったのでぼんやり訳してみました。参照は省略で元ページからたどってください。


隔離

隔離(独:Isolierung)は、ジグムント・フロイトによって最初に提案された精神分析理論での防衛機制の一つである。この概念は、抑圧に関連しているが、いくつかのやり方で区別される。これは、不快なあるいは脅威となる認知と、他の思念や感情との間における、ギャップの生成に関連する心的プロセスとして特徴づけられる。他の思念との連想的結合を最小化することにより、脅威となる認知が、より少ない頻度で思い出されて、自尊心や自己概念にあまり影響を与えないようになる。フロイトはこの概念を、一連の思考を始めてから続けて別の主題を考えようとする前に少し間を置く人物の例によって説明した。彼の理論では、インターバルを挟むことによってその人は、『他の思念への連想的接触につながる印象や行動についての彼の思念が彼に許容しがたいことを象徴的に理解されるようにして』いる、と説明した。有害な思念に対する防衛として、隔離は、再発して自己概念を損なう可能性のあるこれらの認知を許容することを自己に避けさせる。


証拠
広範な研究が、人々は心理的に隔離することにより脅威に対して彼ら自身を防衛する、という結論を支持している。抑圧者が、性急な浅いあるいは最小限の仕方で情報を加工することが示されてきた。ネガティヴな情報が提示されるとき、彼らはその衝撃を極小化するために自発的な幸福な思考や感覚をしばしば生成する。抑鬱的な人々は、善かれ悪しかれ、さらに徹底的に情報を加工する。この高次の加工は類似の情報への強い連想的つながりを作り出す。ある抑鬱者が有害な認知を避けようとする場合、しばしば、悪影響を与える何か他の思考をする。隔離が、社会的脅威に対する敏感さを促進し、社会的つながりの更新を刺激することは、人間および動物の研究による証拠が示すところである。

ある研究によると、人々がよくないフィードバックに直面しても、彼らがそのフィードバックをパフォーマンスの標準から隔離しておきうる限り、自身のパフォーマンスに対し依然として満足したままだったことが示された。研究者たちは、パフォーマンスの前および後(フィードバックの前でも、パフォーマンスおよびフィードバックの後でもない)に標準を提示した。早く標準を知らされた人々は他と同様にそれを思い出したが、単純にそれを無視した。彼らは、自尊心への脅威を最小化するため、なんとかして自身のフィードバックを標準から隔離した。標準を後から知らされた人々は、基準と比較して不成功を避けることができなかったため、自身のパフォーマンスにより満足しなかった。この形の隔離は矮小化と呼ばれてきた。

他の顕著な隔離の型は『時間的括弧化』と呼ばれ、これは、現在の自己へのインパクトを効果的に取り除くため、失敗や欠点がその過去の中に埋もれ去っていると知覚する。このタイプの過去に対する隔離は、宗教的転換や、『再生』体験、ある種の薬物依存矯正プログラム、また法システム内で違反者記録を廃棄することなどの中に見られうる。これらの社会的に受け入れられた行為は、少なくともある程度の事例においては、隔離を社会的に許容されたものにしている。またそれらの行為は過去の出来事から来るストレスを和らげるようだ。自尊心の低い人々は、過去の失敗を述べるとき、しばしば時間的括弧化を使う。認知に運ばれて来ようとするあらゆる悪事を自身から隔離することによって、彼らはそれが自らの現在の状態や人間関係とは関係がないと強く主張する。


影響
習慣的な抑圧者はそうでない人々に比べて不幸な記憶をより少なく持っているように見られてきたが、この違いは二次的連想の中にある。抑圧者に対する調査によると、彼らは悪い記憶に対して同じように強いネガティヴ反応を持っているが、それらの記憶は、非抑圧者と同じ程度には、他のネガティヴな感情を呼び起こさないのだ。「より複雑でない情緒構造」というフレーズが、この現象を叙述するために作られた。抑圧者は他の人と同じように悪い記憶を持っているが、それらは記憶の中で比較的隔離されているので、それらによってあまり困らせられたりしないのだ。最近の研究では、隔離は、苦痛を伴う認知に対するより効果的で重要な防衛機制の一つであるとの合意がなされている。これは、現実への欺きを必要としない対処メカニズムであり、いくつかの代替物(否認、昇華、投影、等)よりも妥当な役割を果たす。隔離の説明のため、完全に具体的なものとして捉えられるよう、さらなる研究が求められる。


参照
(省略)

(Translated from the article "Isolation (psychology)"on Wikipedia)

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 コフートを読んでいて核心部分で出てきたので、ちょっとだけ単語の辞書的な意味を訳。
 コフートが'aim-inhibition'を使っていたのは、思春期の攻撃性を持ち始めた子供に対して、反撃(or攻撃)を自己抑制する扶養者の健全な反応を叙述する際で、下記項目の文脈とは多少トーンが異なるかもしれない。
 いわゆる毒親などは'aim-inhibition'が弱いと思われる。連れ子を攻撃してしまう義父とかね。

 改めてフロイトの現象摘出の嗅覚みたいなものに感銘を受ける。フロイトが与えた解釈は今となってはほとんど死んだかもしれないが、彼が解釈の対象とした現象は時代を超えて単位として残り続ける。 

 祖父の家の玄関にウィリアム・テルのタペストリーが張ってあったのを思い出したりした。
 あるいはペットの甘噛み的な行動も類推させる。

aim-inhibition

In psychoanalysis, the quality of an instinct (3) that fails to achieve its direct mode of satisfaction or instinctual aim but that obtains partial satisfaction from remote approximations of the behaviour or activity that would satisfy it. Sigmund Freud (1856-1939) introduced the concept in 1921 in his book Group Psychology and the Analysis of the Ego (Standard Edition, XVIII, pp. 69-143, at pp. 138-9) to explain the origin of sociable feelings of affection, the assumption being that if friendships and affection between relatives were not subject to aim-inhibition, then they would be overtly sexual. aim-inhibited adj.


目的抑止

 精神分析における。直接的な満足や本能の目的は達成できないが、それを満足させる振る舞いや行動に対する遠巻きの接近によって部分的な満足を得るところの、衝動特性。このコンセプトは、ジグムント・フロイト(1856-1939)が1921年にその著書『集団心理学と自我分析』(Standard Edition, XVIII, pp. 69-143, at pp. 138-9)の中で、愛着におけるうちとけた感覚の起源の説明のために導入した。もし友情や愛情関係が目的抑止に支配されていなければ、それらはあからさまに性的なものになるだろう。目的抑止的な(形容詞)。

(Translated from the article "aim-inhibition" on Oxford Reference)

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 英語版WikipediaのSvetlana Zakharova (dancer)の項目の和訳です。日本語版に該当ページが無かったので本文だけ訳してみました。参照や外部リンクは元のページからたどってください。


スヴェトラーナ・ザハロワ

スヴェトラーナ・ザハロワ(1979年6月10日生)は、ボリショイ・バレエおよびスカラ座のプリマ・バレリーナである。

ザハロワは、ソヴィエト連邦におけるウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国のルーツィクで、1979年6月10日に生まれた。6歳の時、スヴェトラーナは母に地元のスタジオで民族舞踊を習うために連れて行かれた。10歳の時、キエフ舞踊学校のオーディションを受け入学を許された。しかしたった4ヶ月後に、父の陸軍での東ドイツへの配置転換がスヴェトラーナの中途退学を強いた。その6ヶ月後、彼女の家族はウクライナへ戻り、スヴェトラーナはふたたびキエフ舞踊学校のオーディションを受けた。彼女は再入学を許され、ただちに教師ヴァレリア・スレジーナのもと第二クラスに加わった。

1996年から1997年に、彼女はマリインスキー・バレエにおいて、ロスティスラフ・ザハロフの『バフチサライの泉』内ルーベン・ボボフニコフの相手のマリア役で出演しデビューした。2003年から2004年に、彼女は長年にわたるボリショイの公開オファーを受け入れたが、これはマリインスキーへの不満が原因と言われる。

現在、ザハロワは世界中の大バレエ団にゲストとして招かれ旅をしている。彼女は同時代における最も優れたバレリーナのひとりであると考えられており、技術力、優美な脚さばき、並外れて高い伸長性、同様に音楽性においても、高く評価されている。「古典的」基準に適合しないため、すべての批評家が彼女の極端なポジションに審美的な喜びを見出すわけではない。

イタリアでは、彼女は、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』また『ラ・バヤデール』のような作品を、ロベルト・ボッレをパートナーにしてスカラ座で踊った。

ザハロワは2005年にブノワ賞を、2006年にはロシア連邦賞を受賞した。

彼女はロシアのヴァイオリニスト、ヴァディム・レーピンと結婚している。夫婦はひとりの子を儲けているが、娘アンナであり、彼女は2011年2月17日に生まれた。ザハロワは2010年夏のボリショイツアーのロンドン公演を腰の怪我を理由に辞退したのだが、事実彼女はその時妊娠していたのである。ザハロワは、ソヴィエトのバレリーナであるガリーナ・ウラノワを記念する特別公演に2011年5月15日ロンドンで出演して、舞踊に復帰した。


参照
(省略)


外部リンク
(省略)

(Translated from the article "Svetlana Zakharova (dancer)"on Wikipedia)

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 「サポート・共感・真実」などと大仰な言葉を耳にすると、どこかあやしげな新興宗教じみて聞こえてしまうかもしれませんが(私も最初『あれ、買う本を間違えたかな?』と思った記憶)、このSETシステムというのは、むしろ、そういう神秘やオカルトとはまったく逆のことを主張していると言っていいと思います。なにしろSETにとっての真実とは、ただの現実のことであり、さまざまな非現実的逸脱の誘惑を振り払うことで見出されるものなのですから。
 SETが目指しているのは、要するに周りの家族や恋人や友人や治療者が、日々のBPDの破滅的な言動をできるだけ健全で妥当な範囲に鎮めながら、彼らの弱い自我や自尊感情や現実検討能力がより強化されるための補助をすることだと思います。SET自体はあくまで対処法であって治療ではないので、それで劇的な改善が見込めるわけではないでしょうが、私はこれに触れて、合理主義的な清潔さに、少なからず感動しました。さきの先入観からの落差ということもあったでしょうけれど(むしろその落差をこそねらってる面がある?)。
 また、個人的に、のちのカーンバーグの『現実検討能力』の理解の助けにもなったと思います。
 ただ私の印象として、BPDを含む家庭等は、たいてい予め何らかの問題を抱えている場合が多いと思われ、往々にしてこのSETを理想的に実行できる環境ではないかもしれません。まあ、だからこそシステムとして意識する必要があるということでしょうけれど。


SETコミュニケーション

img183.jpg 『SET』―Support(サポート) Empathy(共感) Truth(真実)―は、三つのパートからなるコミュニケーションのシステムである。破壊的なふるまいや、重要な決定をするセッション、あるいは他のクライシスに対峙するあいだ、ボーダーラインとの相互関係は、これら三つすべての要素を浮かび上がらせるはずである。
 このシステムの『S』ステージである『Support』(サポート)は、個人的な気遣いの言葉を呼び起こす。「私はあなたがどう感じているのか心から気にしています」はサポートの言葉の一例である。力点は話し手自身の感情に置かれるが、本質的には助けになろうとする個人的な誓約にある。
 『Empathy』(共感)の部では、人はボーダーラインのカオス的な感情を認識しようと試みる。たとえば、「あなたはどんなにか怖かったに違いない...」。共感と同情(「あなたを気の毒だと思います...」)を混同しないことは重要で、後者は恩着せがましいととられて怒りを誘ってしまう可能性がある。また、共感は、話し手自身の感情への言及を最小限にした、中立的なやりかたで表現されるべきものである。ここでの力点は、ボーダーラインの痛みの経験にあり、話し手のそれにはない。「あなたの苦しみが私にはすべて分かります」のような発言は、実際あなたは分かっていないとか対立を悪化させるだけの、冷笑的な応答を招く。
img184.jpg 『Truth』(真実)や現実を表している『T』ステートメントは、ボーダーラインが彼自身の人生に対する最終的な責任を負っているのであり、他者の助けようとする試みがこの第一の責任を先取りすることはできないということに、力点を置く。Support(サポート) とEmpathy(共感) が当人がどう感じているかを認識しようとする主観的なステートメントである一方で、Truth(真実)のステートメントは、ある問題が存在しているという認識を示し、それを解決するために何がなされうるのかという実際問題に注意を向ける。「それで、それについてあなたはどうするつもりなの?」はひとつの本質的なTruth(真実)の反応である。その他の特徴的なTruth(真実)表現は、話し手がボーダーラインの振る舞いに対する責任を負うことを強いられていると感じた行動に対し言及するが、これは事実問題の中で中立的な方法によって表現されるべきである(「起ったことはここにある...、いくつかの帰結...、これが私ができることの精いっぱい...、あなたはどうするつもりなの?」)。しかし、それらは、責め立てたりサディスティックに懲らしめるのを避けるようにして話されるべきである(「これはあなたが巻き込んだ大混乱ですよ!」「あなたの自業自得ってもの!」)。『SET』システムの『Truth』(真実)部は最も重要であり、彼の世界の大半が現実的な結末を排除したり拒絶したりするので、、ボーダーラインにとって受け入れるのが最も難しい。
 ボーダーラインとのコミュニケーションでは、三部すべてのメッセージが含まれているようにすべきである。しかしながら、三つすべてのパートが述べられても、ボーダーラインはそれらすべてを統合しないかもしれない。これらの段階のひとつがきちんと述べられないとか『聞いて』ない場合に、おきまりの反応に終わる。
 たとえば、このシステムの『Support』(サポート)ステージが回避された場合、ボーダーラインは、彼に気を掛けなかったり関わりたがらない他者を、特徴的に非難する。その場合、他者が彼を気遣わなかったり危害をもたらしたがりさえするかもしれないということに基づいて、それ以上のやりとりを放棄する傾向にある。ボーダーラインからの非難である、「かまってくれない!」は通常『Support』(サポート)ステートメントが組み込まれていないことを示唆している。
 メッセージのEmpathy(共感)部の伝達がうまくいかないのは、他者がボーダーラインが受けている試練を理解していないという感覚を導き出す。(「私の気も知らないで」)。こうなると、ボーダーラインは、彼が誤解されていると言って、コミュニケーションの拒否を正当化するだろう。他者が痛みを正しく評価しえないので、彼の反応は低く評価されうる。Support(サポート) とEmpathy(共感) いずれかの申し出がボーダーラインによって受け入れられなかった場合、さらなるコミュニケーションが聞かれることはない。
img185.jpg 『Truth』(真実)要素がはっきり表現されない場合、さらに危険な状況が到来する。ボーダーラインは、彼の欲求に対してもっとも満足がいくと彼が思っているやり方への他者による黙従を、他者が本当に彼に責任を持ってくれているとか、彼の認識が全体的にシェアされサポートされているているという、確証として通常は解釈する。ボーダーラインのこれらの他者とのもろい融合は、結局は、その関係が彼の非現実的な期待の重みに耐えられなくなるときに崩壊する。明言された『Truth』(真実)および対決がないと、ボーダーラインは他者に過剰に深入りし続ける。彼の欲求が満たされたなら、ボーダーラインは、すべてがよくなったとか、少なくとも、状況がましになっていると主張するだろう。実際、このからみつきの兆候は、しばしば顕著な、一時的な対立の停止であって、たとえばボーダーラインは敵意や怒りをあまり表さなくなるだろう。しかし、彼の非現実的な期待がついに破綻するとき、怒りと失望の大火災のなかで関係は崩壊する。

(Translated from 『I Hate You, Don't Leave Me』p100-p102 Jerold J. Kreisman)

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 日本語版Wikipediaに『自己愛憤怒』のページはあるのですが、やや物足りなかったので当該英語版を訳してみました。特に、自己愛憤怒は基本的にコフートの用語なのに、なぜかまったくそのことに触れていない...。
 今回は分量は少ないのですが、日本語にのらないセンテンスが多く、いつも以上に拙訳です。
 『自己愛損傷』およびそのエピゴーネンの訳名はだいたいで捉えてください。
 あとフロイトのところはおとぎ話みたいなもので特に読まなくてもいいかも。フロイトは現代でもなお再解釈の対象としての価値を持っているとしても、彼の解釈を今でもそのまま適用している治療者はほぼ存在しないのではないかと思われます。しかも再解釈はかなり高度な作業で素人が手を出す分野ではない?
 『自己愛憤怒』の概念は、人類が日々生み出している暴力における、ひとつの起源を提示している可能性があります。


自己愛憤怒と自己愛損傷

自己愛憤怒とは自己愛損傷へのリアクションのことであるが、自己愛損傷とはナルシシストの自尊感情あるいは自己価値に対する、感受された脅威のことである。自己愛損傷(or自己愛傷痕)はジクムント・フロイトによって1920年に使われたフレーズで、自己愛創傷および自己愛打撃は程度がそれ以上であって、相互にほぼ代替可能な用語である。自己愛憤怒はハインツ・コフートによって1972年に新作された。
自己愛憤怒は、超然としている場合や苛立ちや困惑の表出から、暴力的攻撃を含む深刻な感情爆発までの連なりの上に立ち起こる。自己愛憤怒反応は、人格障害に限らず、カタトニーや偏執性妄想および鬱病のエピソードの中にも見られる可能性がある。これはナルシシストが二層の憤怒を持っていることを示してもいる。憤怒の第一層は(ほかの誰かに対する)持続的な怒りとして考えられ、そして自己を標的とする怒りである第二層を伴う。

1フロイトと自己愛打撃
2さらなる精神分析的展開
3コフートと自己心理学
4完全主義
5セラピー
6批判
7文化的関連
8関連項目
9参照
10参考文献
11外部リンク

フロイトと自己愛打撃
1914年の『狼男』の症例研究でフロイトは、後期の大人になってからの神経症の原因を、『彼は、彼の淋病の感染が彼の身体の深刻な傷になると考えることを強いられた。彼のナルシシズムに対するこの打撃が彼にとって過大なものであり、彼はバラバラになった。』時点であると識別した。数年後、「快感原則の彼岸」においてフロイトは、幼児性欲への不可避的な退行から判断して、「愛の喪失やしくじりがそれらの背後に自愛に対する恒常的な損傷を自己愛傷痕の形で残す、...彼が『嘲笑』されたところの最大限の反映によって」と主張した。1923年に彼が付け加えたのは、「吸った後の母親の乳房が失われる経験から、また大便の日常的な引渡しからの、身体的喪失を通すことによって自己愛損傷の着想を獲得する」―喪失はその後「この喪失の着想が男性器に結びついた」時に去勢コンプレックスに流れ込む。一方で1925年には彼はよく知られているように、「女性が彼女のナルシシズムへの傷に気付いたのちに、彼女は傷痕のように劣等感を発展させる」とするペニス羨望に関して付け加えた。

さらなる精神分析的展開
フロイトが彼の最晩年の著書で『自己に対する早期の損傷(自己愛に対する損傷)』と呼んだものは結果的に幅広い様々な精神分析家によって拡大された。カール・アブラハムは大人の抑鬱のキーが、自己愛備給の喪失を経由したナルシシズムに対する打撃の幼児体験にあるとみなした。オットー・フェニシェルは抑鬱における自己愛損傷の重要性を確認し、境界性人格を包含するためにその分析を拡大した。
エドムンド・バーグラーは、ナルシシズムにおける幼児的全能感の重要性と、自己愛的全能感への何らかの打撃のあとにくる憤怒を強調した。また一方で、ラカン派は、自己愛創傷におけるフロイトを自己愛的鏡像段階におけるラカンに結びつけた。

コフートと自己心理学
コフートはその独創性のある論文『自己愛と自己愛憤怒に関する考察』(1972)の中で広範囲の見聞を調査した。彼は、自己愛憤怒が、成熟した攻撃性を伴うそれとは対照的な多くの形式の中のひとつの主要な形式であると考えた。まさに自己の構造それ自体がナルシシストの中では弱められているので、彼らの憤怒は現実的な自己主張には結びつかないのであり、自己愛憤怒をもたらす感知されるか想像されるかした自己愛損傷に対して、過敏になる傾向が彼らには残されるのだ。
コフートにとって自己愛憤怒は、情況に対するナルシシストの全面的なコントロールの欲求に結びついているが、「復讐、過ちの是正、あらゆる方法による苦痛の取り消し、への欲求」を含み込んでいる。これは、受動的な犠牲化の感覚を他者に痛みを与える能動的役割に替えるための、ナルシシストによる試みであり、同時に自身の(本当はいつわりである)自己価値の感覚を再建する試みである。これは自己防衛・保存をも包含しうるが、ナルシシストを脅かすものを破壊することでもたらされる安寧と力の感覚の、再生に寄与する憤怒を伴う。
あるいは、コフートによると、憤怒は失敗に直面したときの羞恥の結果とみなしうる。自己愛憤怒は、ナルシシストの自尊感情や自己価値への脅かしである自己愛損傷によってもたらされるところの、制御不能で予想外の怒りなのである。憤怒はいろいろな形で起こるが、すべてにひとつの重要な事項の「復讐」がつきものである。自己愛憤怒は、恐怖に基礎を置くが、脅威が去ったあとも持続するだろう。
ナルシシストにとって憤怒は、彼らを侮辱したと感じる人物に向けて方向付けられるが、他者にとっては憤怒はつじつまの合わない不当なものである。この憤怒は彼らの認知を損ない、それゆえ彼らの判断を損なう。怒っている間、彼らは叫び、事実を歪曲し、根拠のない批判をする傾向がある。著書『自己の分析』で、コフートは、思うようにいかないことの感覚を原因とする表現が憤怒に発展するのだが、ナルシシストは痛みや苦しみを和らげる方法を見つけるため、対立を捜し求めさえするだろう、と説明している。

完全主義
ナルシシストはしばしば見せかけの完全主義者であり、注目の的であることを求める。彼らは注意が向けられるシチュエーションを作り出す。完全であろうとする彼あるいは彼女の試みは、ナルシシストの誇大な自己イメージに結合している。もし認知される完全状態が達成されなければ、それは罪悪感や羞恥、怒りや不安を導きうる。なぜなら、もし彼あるいは彼女が完全でないなら、彼あるいは彼女は、他者からの賞賛と愛を失うだろうと信じているからである。
このような完全主義の背後に、自己心理学は誇大自己へつながる早期におけるトラウマティックな傷を見るだろう。

セラピー
アダム・フィリップスは セラピー治療は、常識による期待とは反対に、基礎的な『人生の現実』によって惹き起こされる全能感喪失の進行と折り合いをつけ、またそれを学びなおすために、患者が「自己愛の恐ろしい傷(その子供が持つ両親からの排斥の経験)」を再体験するよう仕向けられることを伴うのだ、と主張した。

批判
コフートのコンセプトの広い普及は、時にその陳腐化につながるかもしれない。ネビル・サイミントンは「あなたは人々がこんな風に言うのを聞くだろう。『ああ、私はとてもナルシシスティック』あるいは『私の自己愛に傷がついた』。このようなコメントは、たいして意味のない台詞であり、本来の状態に対する正しい認識ではない。現に自分の中の自己愛を認識するということは、深い苦悩を強いるものなのだ」と指摘した。

文化的関連
市民ケーンの主人公は自己愛憤怒を表出していると考えられている。

関連項目
(省略)

参照
(省略)

参考文献
(省略)

外部リンク
(省略)

(Translated from the article "Narcissistic rage and narcissistic injury" on Wikipedia)

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 英語版Wikipediaの"Sadistic personality disorder"項目の拙和訳です。前回、一応これとの対になっている自己敗北性(マゾヒスティック)人格障害を訳したので補完的に訳してみました。サディスティックな傾向は、反社会性人格障害などの既存の概念にかなり明示的に含みこまれているので、必ずしも独立した項目として扱う要請は強くはないのではないかというような気もします。
 ミロンの各サブタイプの邦名については目安程度で、おもに意味を汲んでくださいませ。
 脚注、関連項目、参照、外部リンク等は省略しています。 


サディスティック人格障害

サッディスティック人格障害は、アメリカ精神医学会による「精神障害の診断と統計の手引き」修正第3エディション(DSM-III-R)の付録にのみ現れる、サディズムに関する人格障害の診断のことである。DSMの現在のバージョン(DSM-IV)はこれを含んでおらず、したがってもはや有効な診断カテゴリだとは考えられていない。代わりに「特定不能の人格障害」の診断が用いられうる。しかしながら、この障害はいまなお研究目的のために調査されている。
サディズムは、他者に対して表出する冷淡で獰猛で操作的で下劣な行動によって特徴付けられる、行動障害である。今日に至るまで、サディズムの正確な原因ははっきり分かってはいない。しかしながら、個別的なサディスティック人格発達の潜在的原因を説明する多くの理論が存在する。

1.サディズムの定義
2.他の人格障害との並存
3.家族的傾向/幼児体験とサディスティック人格障害
4.サディスティック人格障害に対するDSM-III-Rの診断基準
5.DSMからの除外
6.ミロンのサブタイプ
 6.1激発型サディスト
 6.2暴君型サディスト
 6.3強要型サディスト
 6.4惰弱型サディスト
7.関連項目
8.参照
9.外部リンク

サディズムの定義
サディズムは、苦痛や不快をこうむる他者を見ることで快楽を得ることを意味する。相反過程理論では、誇示するだけでなくサディスティックな振る舞いの実行を楽しむことの様態も説明している。サディスティック人格障害を持つ人々は再発性の残酷行為と攻撃を示す。サディズムは、感情的残酷さの行使、恐怖の活用を通しての他人に対する意図的な操作、暴力への没頭、をも意味しうる。
ある種のサディスティックな人々が痛みや苦しみを他者に与えることで快楽を得るのではあるのだが、サディズムというものは必ずしも肉体的な攻撃や暴力の行使を必要としない。よりしばしば、サディスティックな人々は攻撃的な社会的振る舞いを示し、他者に優越しているという感覚を成就させるために公衆の面前で彼らに恥をかかせるのを楽しむ。


他の人格障害との並存
サディスティック人格障害は、他の人格障害と調和した形で現れているのをしばしば発見される。事実、諸研究は、サディスティック人格障害が他のタイプの精神病理学的障害と最高次の並存性を持つ人格障害であることを発見している。また一方、サディズムは他の精神病理学的障害を示さない患者の中に見受けられることもある。たびたびサディスティック人格障害と平行して起こる人格障害は行為障害である。加えて、反社会性と自己愛性人格障害がサディスティック人格障害と診断された人々の中に時々見受けられる。サディスティック人格障害とともに存在することがしばしば見い出される他の障害には、双極性障害、パニック障害、鬱病、境界性人格障害、演技性人格障害、強迫性障害、自己敗北性人格障害、受動的攻撃行動が含まれる。諸研究は、サディスティック人格障害と高確率の並存をもつ、アルコール依存症のような、他のタイプの疾病を発見している。
他の障害との高レベルの並存によって、研究者は、サディスティック人格障害と他の形式の人格障害の区別にある程度の困難性を抱えている。サディスティック人格障害はそれ自体もはやDSMには含まれていないけれど、性的サディズムのような、サディズムを含む他のタイプの障害はいまなおDSMの中に見い出される。


家族的傾向/幼児体験とサディスティック人格障害
これらの理論の多くは、サディズムが主に個別のしつけに依拠しているという事実を共通して指摘する。生物学的、環境的側面がこの行動障害に寄与すると知られてもいるのだが、遺伝パターンや遺伝子的要因についての証拠はあまり得られていない。
サディスティック人格障害は女性よりも男性に多く見い出される。加えて、諸研究ではサディスティック人格タイプの現れには家族パターンがあると示唆している。特に、サディスティック人格障害の人々はしばしばある同様の心理タイプの近親者を持つ。
幼少期や性的発達段階早期の好ましくない経験が、サディスティック人格の個別における発展のメジャーな要因のひとつであると信じられている。サディズムやサディスティック人格は個別的な条件付けを通して発展しうるとも観察されてきた。たとえば、性的喜びに伴うある特定の刺激や、幸福に伴う他者の苦痛の、持続的な連結がサディズムやサド・マゾキズムの原因になりうる。


サディスティック人格障害に対するDSM-III-Rの診断基準
A)成人早期までに始まる、しみついた残酷で下劣で攻撃的な振る舞いであり、下記のうち少なくとも四つの反復的発生が必要とされる。
1.人間関係の中で優勢を築く目的のための、身体的残酷さや暴力性を持つ(誰かから物を盗むために彼あるいは彼女を殴るような、単に何らかの非相互的な目的を達成するためではない)。
2.ほかの人がいる前で誰かに恥をかかせたり品位を貶める
3.彼あるいは彼女のコントロールのもとに、誰かを異常に厳しく扱ったりしつけたりする(例:子供、生徒、囚人、あるいは患者)。
4.他者(動物を含む)の心理的または身体的苦悶を、面白がったり楽しんだりする。
5.他者を阻害し痛みを与える目的で嘘をつく(単に別の目的を達成するためではなく)。
6.誰かをおびえさせることによって(脅迫や恐怖をすら通して)、彼らに彼あるいは彼女の望むことをやらせる。
7.彼あるいは彼女と近しい間柄の誰かの自律性を制限する(例:配偶者をひとりで外出させようとしなかったり、10代の娘が社交の催しに出席するのを許さない)。
8.暴力、武器、格闘技、怪我、あるいは拷問に魅了される。

B)Aに列挙された振る舞いは、ただひとりの人に向けられたものではなく(例:配偶者、ひとりの子供)、もっぱら性的興奮(性的サディズムのような)を目的とするものでもない。


DSMからの除外
多くの理論家や治療者が1987年のDSMに対してサディスティック人格障害を提出し、更なるシステマティックな臨床研究や調査を促進するためにDSM-III-Rの中に置かれた。彼らの被害者が自己敗北性人格障害としてラベルを付けられているのにもかかわらず、サディスティック人格の特徴を持つ大人たちがラベル付けされていないので、追加するよう提案されたのだ。臨床業務に対してどの診断が承認されるのかまたされないのかをめぐる混乱への多くの懸念があった。SPDは、治療を求める人が多くなくごくわずかの研究しかなかったので、 DSM-IVからは除外された。大体において、SPDは性犯罪者やシリアルキラーのような人々の特定グループの中に見出されるのだが、これが利用価値のある診断であるとは考えられないのだ。テオドール・ミロンのような理論家たちは、SPDに関する更なる研究を生起させたかったのでDSM-IV人格障害ワークグループにこれを提案したが、これは拒絶された。これがDSM-IVに含まれなかったことにより、サディズムの次元モデルがSPDよりも適正なものになった可能性があると言われている。
『社会的、職業的、その他重要な領域の職務に関する、臨床的に有意な苦悩や障害を原因とした』性的サディズムはいまなおDSM-IVの中にある。


ミロンのサブタイプ
テオドール・ミロンはサディストの4つのサブタイプを識別した。個別のサディストは誰も以下の中でゼロ、一個あるいは一個以上を顕示する可能性がある。

激発型サディスト
このタイプのサディスティック人格は、彼らが人生上において失望や不満を感じることからくる、突発的な暴力性によって知られている。彼らが屈辱や絶望を感じるとき、彼らはコントロールを失い彼らが蒙ったと感じた虐待や非難に対する復讐を求める。これらの暴力的振る舞いは、かんしゃくや、他者(特に家族)への恐怖を与えるような攻撃、そして抑えの利かない怒りを通じてあらわになる。一般に激発型サディストはある種の状況において危機を感じ、急変を伴って他人にショックを与える。激発型サディストは『不機嫌で好戦的な物腰の中で変化』しないので、彼らがいつどのようにカッとなるかを知ることは不可能なのである。解放された攻撃性は常に誰かに向かうのだが、それは主に感情的解放として、また彼らが彼ら自身の内部に抱いている感情を追い出す方法として機能する。

暴君型サディスト
サディスティック人格のこの変種は、サブタイプの中でもよりゾッとする残酷なもののひとつである。なぜならこれらのサディストは、他人を脅し残忍に扱う行動を味わうように見えるのである。つまり、彼らの犠牲者を萎縮させ服従させることが特殊な満足の感覚を与えているように見えるのだ。SPDのこのサブタイプはある程度激発型サディストに似ているけれど、暴君型サディストは彼らの行動においてより整然としているのである。これらのサディストは激発型サディストのように感情的利得のためにそのフラストレーションを解放しようとしたりはしないのだが、代わりに彼らは恐怖や脅迫を呼び起こす意図的な活用手段として暴力を用いようとする。それ以外の激発型サディストと暴君型サディストの違いとしては、暴君型サディストは彼らの選んだ人物が攻撃されたときに反撃しようとしないことを非常に注意深く確認して犠牲者を選ぶ。暴君型サディストは一般的に、死に物狂いで世界から隠そうとしている、低い自尊感情と内的不安定性を持っていて、だから彼らは他者を打ちのめすことによって周囲の人々より優越している気になることがありうる。

強要型サディスト
このカテゴリのサディストは、軍曹、大学の学部長、刑務所の監視人、警官、また他の権威的な職務に時々見い出しうる。なぜなら彼らが、ルールや規則や法を破った人々をコントロールし罰を与える人物であるべきと感じるポジションにいるからである。彼らは共通の利益のために行動していると信じているのだけれど、ただそれだけ以上の深い動機を持っている。これらのサディストは一般に、彼らの権威の領分でのルール破りたちを探し出し、その個別のケースに割り当てうるもっとも厳しい罰を行使する。もし強要型サディストが社会から、たとえば警官や刑務所員として雇われたなら、彼らの行動は不公正だと認識されないし、思うがままに他者を支配し犠牲にし破壊する広範囲の自由を彼らは持つ。彼らは公正に行動するだろうが、彼らのパーソナリティは、サディスティックに邪悪な振る舞いを駆り立てる彼らの感情に対する抑えが利かない。これらのサディストが他者を支配し処罰すればするほど、彼らはより満足し力がみなぎる。公正さの自己認識は強化され、エゴは増長する。強要型サディストが他者を処罰することによって獲得する満足は、自身の振る舞いを止められずまたそれらの状況下での現実認識を失ったような、中毒状態に到達しうる。彼らは日常においてまるきり普通に権力を行使したり振舞うことになるような合法的な権威によって行動しているので、ほとんどのケースにおいて、これが否定的な注意を引くことはない。

惰弱型サディスト
この種のサディストは、芯から心細く臆病者のように行動するので、他の三つのタイプの正反対である。彼らは彼らの敵視のファンタジーを投影することで現実の危険を先取りし、話し合いは後回しで敵を未然に防ぐことを希望して先制攻撃をする。これらのサディストは多くの物事におびえているが、彼らがパニックを経験する場合、彼らは彼らが恐れることを実行することによって彼らの敵に対抗する。惰弱型サディズムは彼らがびくついたりおびえたりしていないということを他者に伝えるために攻撃的な敵対行為を使う。これは彼らに、彼らの内的感情をコントロールし、実際にどのように感じているかの正確な反対を顕示するのを促すことを可能にする。彼らの振る舞いは対抗恐怖として記述しうるが、これは彼らの個人的な恐怖を征服することを可能にするのであり、偽の自信や落ち着きによって公衆に対し注意をそらしたり印象付けることに寄与する。惰弱型サディストは集中攻撃するためのスケープゴートを求めるのであるが、これは彼らの否定したい彼ら自身の中に存在する事柄そのものを攻撃することを可能にする。


関連項目
(省略)


参照
(省略)


外部リンク
(省略)

(Translated from the article "Sadistic personality disorder" on Wikipedia)

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 英語版Wikipediaの"Self-defeating personality disorder"項目の拙和訳です。日本語版Wikipediaへの該当リンクが(性的)マゾヒズムのページになっていたので訳してみました。
 脚注、関連項目、参照、外部リンク等は省略しています。


自己敗北性人格障害

自己敗北性人格障害(マゾヒスティック人格障害としても知られる)はひとつの提案されている人格障害である。それは、1987年に改訂されたマニュアルの第三篇 (DSM-III-R) の付録において議論されたのだが、『精神障害の診断と統計の手引き』(DSM)への公式の追加は許されなかった。代案として、「特定不能の人格障害」の診断が代わりに使われる可能性がある。いくらかの研究者や理論家は、この基準を使い続けている。公式のコード番号「301.90」を持っている。

1診断
 1.1DSM III-R案
 1.2DSM-IV からの除外
 1.3ミロンのサブタイプ
2関連項目
3参照
4外部リンク

診断

DSM III-R案
自己敗北性人格障害とは、

A)成人早期までに始まり多様な背景において存在する、しみついた自滅的言動のパターンである。この種の人物はしばしば、快楽的な経験を避けまたは台無しにしたりし、彼あるいは彼女が苦しむであろう刺激や関係に惹きつけられ、他者が彼(ら)を助けようとするのを妨げようとし、下記のうち少なくとも5個に対する一致を必要とする。

1.よりよい選択肢が明らかに利用できる時ですら、失望、失敗、過誤を導く人や状況を選んでしまう。
2.彼あるいは彼女を助けようとする他者の試みを拒絶するか無効化する。
3.肯定的な個人的出来事(例:新しい達成)のあとに、抑鬱や罪悪感、痛みを作り出すふるまい(例:事故)で反応する。
4.他者から怒りや拒絶の反応を誘発し、そしてそれによって傷つき打ち負かされ恥辱を受けたと感じる(例:配偶者を公の場でからかい、怒りの逆襲を招いて、そうして打ちのめされる)。
5.(充分な社交術や楽しむ能力があるにもかかわらず)享楽の機会を拒絶するか、楽しんでいるということを認めたがらない。
6.実証された能力があるにもかかわらず、個人的な目標のための重要な仕事を達成することに失敗する(例:学友のレポートを手助けするのに、自分のレポートは書けない)。
7.彼あるいは彼女を一貫して大事にしてくれる人に関心を示さないか拒絶する(例:思いやりのある性的パートナーに魅力を感じない)。
8.目的となる受け手によって頼まれてもいない、過剰な自己犠牲に従事する。

B)Aに列挙された振る舞いは、もっぱら肉体的・性的・心理的な虐待への反応または予測において起きるものではない。

C)Aに列挙された振る舞いは、その人が抑鬱になっているときだけに起きるものではない。


DSM-IV からの除外
歴史的に、マゾヒズムは女性的服従に関連付けられてきた。たいていは男性を原因とすると考えられる家庭内暴力に関連付けられるとき、この障害は政治的に賛否両論を呼ぶものとなった。しかしながら多くの研究がこの障害が珍しいものではないと指摘している。1994年のDSM-IV から除外されたにもかかわらず、人間の行動の非常に多くの側面を説明するひとつの構成概念として、治療者間で広範囲の流通を謳歌し続けている。
『社会的、職業的、その他重要な領域の職務に関する、臨床的に有意な苦悩や障害を原因とした』性的マゾヒズムについては依然DSM-IVの中に存在する。


ミロンのサブタイプ
テオドール・ミロンはマゾヒストの四つのサブタイプを識別した。個別のマゾヒストは誰も以下の中でゼロあるいはひとつを顕示する可能性がある。

サブタイプ 種類 人格的特徴
高潔型演技的性質等誇り高き無私の、自己否定の、そして自己犠牲的な;苦行的な;高貴で高潔で聖なるものと判断される重荷;他人が忠誠や忠実を認めるに違いない;感謝や好意は利他や自制に対して期待される。
独占型反抗的性質等用心深く、過剰防衛的で、不可欠的になることで魅了し誘惑する;罠にかけ、コントロールし、征服し、隷属させ、またある過ちの犠牲になることで他人を支配する。
滅私型回避的性質等『成功による破綻』;『敗北を通しての勝利』を経験する;個人的な不幸、失敗、屈辱、試練によって満足を得る;最善の利益を避ける;犠牲化され壊滅され不名誉を受けることを選ぶ。
被虐型抑鬱的性質等真正の悲惨、絶望、苦難、苦悩、苦痛、病気を経験する;嘆きは他人の中にもっぱら罪悪感を作り出す;責任や、重荷を負わせる『迫害者』から免れることよって噴き出す怒り。


関連項目
(省略)


参照
(省略)


外部リンク
(省略)

(Translated from the article "Self-defeating personality disorder" on Wikipedia)

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 どこか政治的提灯記事みたいな感じもする、なんだか奇妙な風体の昨日のNYTの社説であるが、多少興味を持ったので拙和訳してみた。根拠を提示しない感情的な主張は、普通は新聞読者をよく説得しないかもしれないが、戦勝国側の読者内ではどのように受け止めるものなのか。そんなに鵜呑みにしないような気もするけれど。

追記(2013年1月17日):
 昨日の1月16日、ニコ生と文化放送の共同番組である「田原総一朗オフレコ​!スペシャル」に、ニューヨーク・タイムズ東京支局長であるマー​ティン・ファクラー氏がゲストとして呼ばれていた。番組冒頭で早速、この社説について彼に水が向けられたわけだが、ファクラー氏の短い説明としては『あの社説は我々記者が書いたものではなく、全然違う部門が書いたのであり、どうしてそういう社説を書いたのか正直分かりません』ということだった。


日本の歴史を否定する新たな試み

アジアの安定において、日韓関係ほど重要なものはめったにない。しかしながら、日本の新首相である安倍晋三は、韓国との対立を燃え上がらせ協調を難しくするような、重大な失策によって彼の職務を始めようとしているように思える。彼は、朝鮮人その他の女性を性奴隷として利用したことに対するものを含む、第二次世界大戦での侵略に対する謝罪を、修正するよう求める可能性があることを示唆している。

1993年に、日本はようやく、アジアおよびヨーロッパの数千の女性を軍の売春施設において強姦し奴隷化したことを認め、彼らの残虐行為に対する初めてのまともな謝罪を申し出た。1995年に村山富市首相によってなされたより幅の広い謝罪では、「植民地支配と侵略を通し」日本が「多くの国の人々、特にアジア諸国の人々に対し、甚大な損害と苦痛」をもたらしたことを懸念した。

安倍氏は、右翼政治家であるのだが、産経新聞のインタヴューにおいて、彼が1995年の謝罪を詳細不明の「前向きな談話」に変更したいと言っているとして、月曜のロイターに引用された。彼は、2006年から2007年にかけての彼の前の内閣が、戦時中の日本軍に対し性奴隷として従事した女性が、現実に、強制された証拠を発見できなかった、のだと述べた。先週の記者会見で、菅義偉内閣官房長官は、安倍氏は1995年の謝罪を維持すると述べたのだが、1993年の談話については修正するかもしれないとほのめかしていた。

日本の自由民主党総裁である安倍氏が、どのように謝罪を修正するかは不透明だが、彼は以前から彼の国の戦時の歴史を書き直す欲求を隠してこなかった。犯罪を否定したり謝罪を希釈化したりするどのような試みも、日本の残忍な戦時支配の下で苦しんだ中国やフィリピンと同様に、韓国を激怒させるだろう。

安倍氏の恥にまみれた衝動は、この地域のきわめて重要な協調を、北朝鮮の核兵器計画のようにおびやかすかもしれない。このような修正主義は、過去をごまかすことではなく、長く停滞している経済を上向かせることに焦点を当てるべき国の、恥辱となる。

※この社説のひとつのバージョンは、2013年1月3日ニューヨーク・エディションのA24ページに『日本の歴史を否定する新たな試み』という見出しで出版された。

(Translated from the article "Another Attempt to Deny Japan's History" on nytimes.com)

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 英語版Wikipediaの"Depersonalization"項目の拙和訳です。離人症に関する日本語ソースはネット上にわりとあるのですが、Wikipediaの日本語版には独立したページが存在せず、気になったので英語版を訳してみました。
 離人症は最もポピュラーな心理的症状のひとつで、離人感とでも言うべきか、一過性でごく軽いものなら誰でも経験があるようなものなのですが、その割にあまり一般に知られていないかもしれません。
 離人症自体には解離性健忘は症状として含まれないはずですが、訳文中に微妙な記述があるので注意してください。ただ、併発するケースのことを指しているのかもしれません。


離人症

離人症は、異変をきたした自己認識のことである。自身を見つめる感覚により成り立っていて、状況に対するコントロールは行わない。対象者は彼らが変化し、世界が曖昧で、夢に似た、現実性が薄まった、あるいは意味を欠いたものになったと感じる。実際、多くが「夢」の中で生きていると感じるため、不穏な経験となる可能性がある。慢性的な離人症は離人症性障害に当てはまり、これはDSM-IVで解離性障害のひとつとして分類されている。ある程度の離人症と現実感喪失は、一時的な不安やストレスに支配された誰にでも起こりうるのだけれど、慢性的な離人症は激しいトラウマや長期の不安やストレスを経験している諸個人により深く結びついている。離人症-現実感喪失は、解離性同一性障害や特定不能の解離性障害(DD-NOS)を含む解離性障害の領域の中で、単一で最も重要な症状である。不安障害、臨床的抑鬱、双極性障害、境界性人格障害、強迫性障害、偏頭痛、睡眠遮断、のような他の幾つかの非解離性障害でも顕著な症状となる。例えば享楽ドラッグの使用等においても、思わしいと考えられ得る。

社会心理学および特定の自己カテゴリー化理論では、"depersonalization"という語は別の意味を持っており、「ある特徴的な社会的カテゴリーの一例としての自己に対するステレオタイプ化された認識」に相当する。

1 解説
2 広まり
3 薬理学的・環境的原因
4 治療
5 研究
6 関連項目
7 参照


解説

離人症を経験する人々は、当の人物またはアイデンティティーに帰属しないものとして、彼らの身体感覚、気分、感情、ふるまい、を察知してしまうので、自身の個人的な身体性から切り離されていると感じている。離人症を経験した人はしばしば物事が非現実的でぼんやりしていると主張する。また、自己に対する認識が壊れている(それゆえの名称)。離人症は非常に高いレベルの不安をもたらす可能性があり、それはさらにこれらの知覚を増大させる。離人症の人々は、彼らが見たり経験したりしたことを第三者のもののように、しばしばほとんど思い出すことができない。

離人症がその人の自己意識の中における非現実感の主観的体験であるのに対し、現実感喪失は外界の非現実感なのである。ほとんどの著述者は現在、離人症(自己)と現実感喪失(状況)を独立した構造体とみなしているが、多くが離人症から現実感喪失を切り離したがらない。

広まり

離人症は、不安感情と抑鬱感情に次ぐ、第三の最も一般的な心理的症状である。離人症はパニック障害のような不安障害の症状である。また、これは睡眠遮断(しばしば時差ぼけに苦しむとき起こる)、偏頭痛、てんかん(特に側頭葉てんかん)、強迫性障害、ストレス、および不安に付随して起こる。内受容暴露(interoceptive exposure)は離人症を惹き起こす非薬理学的方法である。

学部大学生に関する研究で、解離経験尺度(Dissociative Experiences Scale)の離人症・現実感喪失に対する下位尺度において高い値を示した個人は、よりはっきりしたコルチゾール反応を表した。

薬理学的・環境的原因

離人症はいくらかの人々により、特に気分を変容する享楽ドラッグの影響下でそれを経験した人々により、望むべき境地として述べられてきた。カフェイン、アルコール、大麻、そしてミノサイクリンのありうる副作用であるのと同じく、解離症状や幻覚剤の作用である。多くの薬物に対する古典的な禁断症状である。

ベンゾジアゼピン依存症(これはベンゾチアゼピンの長期使用により起こりうる)は、慢性的な離人症状と知覚障害を一部の人々(特に安定して毎日服用している人々)に惹き起こし、これはまたベンゾジアゼピン離脱症候群の長引く表徴にもなりうる。

デイヴ・グロスマン中佐は、彼の著書"On Killing"において、軍事訓練が、同情心を抑圧し他の人間を殺害しやすくするよう、兵士たちのうちに人工的に離人症を作り上げることを、示唆した。

治療

治療は、起源において器質的であるか心理的であるかによるところの、根本原因に依存する。もし、離人症が神経疾患の症状であるなら、その特定の病気の診断と治療が最初のアプローチとなる。離人症は、筋萎縮性側索硬化症、アルツハイマー、多発性硬化症(MS)、神経ボレリア症(ライム病)、あるいはその他脳に罹患する神経学的疾病、のような病気の認知的症状でありうる。偏頭痛を伴う離人症に苦しむ人々には三環系抗鬱薬がしばしば処方される。

もし、離人症が発達上のトラウマのような心理的原因による症状であるなら、治療はその診断に依拠する。極端な発達上のトラウマが、単一に結合するアイデンティティーの形成を妨害するものである、解離性同一性障害や発達障害としてのDD-NOSのケースでは、治療は適切な精神療法を、また摂食障害のような付加的(合併症的)な障害のケースでは、そのような個人を扱う専門家のチームを、必要とする。境界性人格障害の症状である場合もあり、これは適切な精神療法と精神薬理により長期にわたって治療されることがある。

慢性的な離人症の治療については離人症性障害の中で考える。

ニューヨーク市のコロンビア大学で最近完成した研究では、離人症性障害の治療に対して経頭蓋磁気刺激(TMS)から有益な効果が見出された。現在、しかしながら、FDA(食品医薬品局)は離人症治療に対するTMSを承認していない。

最近のロシアの研究では、オピオイド・ドラッグの中毒効果を無効化するナロキソンが、離人症性障害をうまく治療する場合があることを示した。この研究によると、「14名の患者のうち3名において、離人症状がまったく消え、7名で目立った改善が見られた。ナロキソンの治療上の効果は、離人症の発症をめぐる内因性オピオイド系の役割に対する証拠を提供する。」としている。

研究

ロンドンにある精神医学研究所の離人症研究組織が離人症性障害研究の世界的リーダーである。ここの研究者たちは、この障害に対し、簡略化されたラベルとして頭文字のDPAFU(Depersonalisation and Feelings of Unreality)を使っている。

関連項目

(省略)

参照

(省略)

(Translated from the article "Depersonalization" on Wikipedia)

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