2009年7月アーカイブ

 岩波文庫でカントの『実践理性批判』を読んでいたらあまりにも何を言っているのか分からない箇所があったので、ネット上にある英訳テキストと比較した。本来原語のドイツ語で比較するのがいいに決まってるのだが、私はドイツ語が得意でないので、次善の策として英訳で。一例として、以下に波多野・宮本・篠田訳による岩波文庫『実践理性批判』第一部第一篇第三章の冒頭付近の一文(p152)を挙げる。

「もし意志規定が、道徳法則に適っていても、それが感情を介してだけ――その感情がどのようなものであるにせよ、――行われるならば、従って〔道徳的〕法則のために行われるのではないとすれば、その行為はなるほど適法性(Legalität)をもちはするだろうが、しかし道徳性(Moralität)をもちはしないだろう、――尤も道徳法則が、意志を〔客観的に〕規定する十分な根拠となるためには、やはり媒介者としての感情が前提されなければならないのである。」(岩波文庫)
 これを初めて読んで何を言わんとしているのか即座に分かる人はかなり変わった人だと思うのだが、グーテンベルク内の英訳E-textの当該部分がこれ。
"If the determination of the will takes place in conformity indeed to the moral law, but only by means of a feeling, no matter of what kind, which has to be presupposed in order that the law may be sufficient to determine the will, and therefore not for the sake of the law, then the action will possess legality, but not morality."(英訳文)
 で、この英文に基づく私の拙訳を以下に。
「もし意志の決定が道徳規範に実際に適合して起こるとしても、それがどんな種類であるかに拘わらず、感情によってのみなされ、つまりは規範が意志を決定するのに十分なものでありうるために感情が前提とされる必要があるなら(それゆえ規範のためのものではないなら)、その時は行動は合法性を持つが道徳性は持たないだろう。」(私訳)
 しかしこうしてしまうと、表現の分かり易さという次元を超えて、意味そのものが岩波文庫訳とは違ってきてしまう。端的に言えば、文庫訳ではより十全な道徳法則のために結局は感情が必要であるとなっているように思うが、英訳文を元に"If"から"then"の直前までを一体的な条件節とする私の訳の理解だと感情の寄与はない方がいいものとなる。岩波文庫版訳者の波多野精一は「西田幾多郎とならぶ京都学派の立役者」だそうで、こちらとしてはネットの英訳(と言ってもE-textの英訳者もそれなりに著名な学者であるようだが)を和訳してみただけでは未だ心許なく、どっちつかずのままで欲求不満が募った。で、今日の午前借りていた視聴覚資料を図書館に返すついでに、カント全集第七巻の坂部・伊古田訳の実践理性批判を閲覧し気になる当該部分の訳をメモしてきた。それが以下。
「意志決定がたとえ道徳法則に適ってなされるとしても、それがどのような種類のものにせよ感情を媒介としてのみなされ、道徳法則が意志の十分な決定根拠となるために感情が前提されなければならないとなると、意志決定が法則のためになされるのではないということになるが、この場合には、行為は適法性を含むとしても、道徳性を含むことにはならないだろう。」(カント全集)
 どうやら坂部・伊古田訳は私の理解とそんなに遠くない。とりわけ「感情」の取り扱いについてほぼ同じと言って良いように思う。ただ、無論、これでもやもやが完全に収まったわけではない。本来ドイツ語原文で読まねば最終的に腑に落ちようはずがないのだ。訳をあちこち見て回る必要もドイツ語が流暢に読めれば初めからないわけで、まあこれは不徳の致すところとしか言いようがない。しかしドイツ語と英語の親和性からいって(英語の片方の親はゲルマン祖語である)、独文英訳は和訳に比すと格段に簡単な作業であるはずなのであり(翻訳そのものの歴史も長い)、訳を読むしかないのなら英訳の方が信用がおけるかもしれない。
 あと、僭越ながら岩波文庫の功罪ということを思わないでもなかった。今回取り上げたことは、岩波文庫の一般的な読者にとって起こりうる夥しい同様事例の内のほんの一例に過ぎないと強く思われる。岩波文庫が長きに亘り古今東西の古典の和訳を日本の人々に安く提供してきたことは紛れもない功の部分ではあるのだが、誤訳(本件がまだ誤訳と判明したわけではないとしても、他のケースに関しての指摘は多々あるようだ)や不必要に晦渋な表現をまるで標準的なものとして広く流通せしめてきたことは罪の部分かもしれない。無論罪より功の比率の方が大きいに決まっているけれど、日本語として破綻しているだけの訳文を何か難解な真理が表現されているに違いないとして、無知なる読者から時間と労力を奪い続けてきたことはそれなりに忌むべきことかもしれない。

以下参考としてグーテンベルクのドイツ語原文

"Geschieht die Willensbestimmung zwar gemäß dem moralischen Gesetze, aber nur vermittelst eines Gefühls, welcher Art es auch sei, das vorausgesetzt werden muß, damit jenes ein hinreichender Bestimmungsgrund des Willens werde, mithin nicht um des Gesetzes willen; so wird die Handlung zwar Legalität, aber nicht Moralität enthalten. "(原文)

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・『精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構』 エリオット S.ヴァレンスタイン (著), 功刀 浩 (監修), 中塚 公子 (翻訳)

 本書は生化学的・薬学的な側面から見た現代精神医学の限界と問題点を述べた作品なのだが、原著は1998年に出版されており今となっては情報としてやや古くなっている部分もあるようだ。邦訳の出版年は2008年であり、故意に翻訳を遅らせているとは思いたくないが、ちょっと不自然なくらい時間が掛かっているような気もする。SSRIの副作用に関して『抗うつ薬の功罪―SSRI論争と訴訟』が有名だがこちらは2004年と2005年で一年程度しかタイムラグがない。
 鬱病におけるセロトニン仮説および統合失調症におけるドーパミン仮説の無根拠性、大手製薬会社と学会や学術誌や患者支援グループ等との癒着構造、その他について興味深い話が多く書かれている。この数十年に亘って躁鬱病に対し広く一般的に使われているリチウム剤(リーマス等)だが、これがなぜ効くのか科学的にはまだ分かってないらしい。
 以下、印象的だった箇所を少し引用。

「脳の活動に変化を与えうる化学物質は100以上あり、セロトニンはその一つにすぎないが、この物質がこれほど多くの特質の調整役であると考えるのが合理的なことか考えてみるべきであろう。それが正しいなら、脳の中に存在する他のすべての化学物質は何のためにあるのか。多くの人々がセロトニンのみが決定的な役割を担うという主張を確立したものと受け止めたいと願っているのは、複雑な問題に対して簡単な答えを人々が強く欲していることの証左である。」(p136)

「たとえば、統合失調症患者はドーパミン系の活性が過剰であるとか、うつ病患者はセロトニン濃度が低いといったたぐいの主張ならいくらでもある。このどちらの主張も、厳しい検証に耐えることができない。」(p290)

 やや専門的な内容だけれど十分に面白く、一定以上の予備知識のある人にはかなりお薦めという感じ。また、仮に予備知識が殆どなくても通読が困難というほどでもないかもしれない。

 監訳者の功刀浩氏のあとがきが巻末にあるのだが、菩薩や如来と監訳者が対話する小話が挿入されていてその内容にややぎょっとした。たとえば仏教の教義に関することとか教典の一部を引用とかではないのだ、この監訳者なる人物は創作とはいえ、菩薩や如来の名を借りて自己の医療態度の説明や原著への感想を語らせている(対話小話を書いているのは監訳者なのだから要はどちらもすべて当人の主張だ)。正直"Grandiose Self"という言葉も思い浮かばないではなく、非常に奇異だった。またこの監訳者は精神療法を殆どしないタイプの医師だと告白していて、このように生化学的な治療法の限界と問題点を縷々述べた書籍の後書きとしては唐突な感じがした。あるいは理論武装のために早くに「敵の主張」を取り入れようとしていただけなのではないかという疑念が、長すぎる翻訳のタイムラグのこともあり、湧いてこないでもなかった。いくつかの精神療法は医師の患者に対する真摯な共感を必要とする場合がある。日本の人格的に貧しい受験エリートの一部は、思春期以降の自他の区別の基盤を多様性の認識ではなく学歴等による差別意識によって発展させているケースが多くあることが想像され、精神療法患者への共感がその差別意識の浮上してくる地点で困難になることがあるかもしれない。その場合、その医師は精神療法をしないのではなくできないということになる。

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 『意志と表象としての世界』において、ショーペンハウアーは「(生きようとする)意志の否定」ということを自滅したキリストや禁欲・苦行を旨とする仏教あるいはインド哲学を賛美しながら主張している。外的な意志(=神の意志)と内的な意志(=自己の意志)の二項対立を隠然と維持しながら、彼は「確かにこれが自己の自由意志である」と言えるものを探しているように見える(*1)。自他の区別を取り払えなどの主張も、一切を外部としてひとまとめにして目覚めた自己のみを聖域化しようとする退行的意識でしかないだろう。身体を含めた外的な刺激の反応としてわき出てくる世俗的意欲を次々にそぎ落として行った末、最後に残る、自己にのみ帰属する純粋な意志が「意志否定の意志」だとしているのだと思う。この意志否定のプロセス(利他や禁欲や苦行のような)の極致において、外的な意志と純化された内的な意志が完全に一致し、神との合一感覚が得られるのだとされる。(だからよく言われるペシミズムの思想という評価とはかなり違う面があり、一般的な意味での自殺も明確に否定している)
 しかし私に言わせればそのような宗教的恍惚はまやかしである。外部と内的意志は予め一致しているというか地続きなのであり、それを認識するには特に何らの恍惚も事前手続きも信仰すら必要としない。無論、認識を持つことと証明を得ることは同義ではないが、恍惚となることで証明が達成されるわけでもまたない。証明を向こう岸とする先の海は誰にも渡り得ず、そこは単に「無知の知」のようなものだ。
 結局ショーペンハウアーのこのつまらない立論は、外的意志と内的意志が相互排除的な二項であるとする始点から演繹されたためにこうならざるを得なかったのだと思う。超越論的自我以外のものを不純物としてそぎ落とさなければ神と同質化しないため、こんな下らない作業が発生してしまうのだ。仏陀は愚かしい自己陶酔を避ける等のために苦行を否定しているのに、ショーペンハウアーはそこを全く理解していない。自己の意志を否定する意志が特別で純粋で神に近い「意志の聖域」だと思い込むからこそ、このような勘違いが出てくる。否定の意志など何ら特権的なものでも超越的なものでもない。

*1
「意志が自分の本質自体の認識に到達して、この認識の中からかの鎮静剤を獲得し、まさにそのことによってさまざまな動因の影響から脱却するようになったときにはじめて、意志の自由が出現するにいたるからである。」(第七十節より)
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長刀鉾.jpg凾谷鉾.jpg
 今日、新町御池の交差点で祇園祭の山鉾巡行を15分程度見物した。なかなかターン(辻廻し)できなかった先頭の長刀鉾(左の写真)を見送って、幾つか山を過ごし、凾谷鉾(右の写真)が来るまで見ていた。空は薄曇りで微妙にぽつぽつ来ており、そのためか人出がさほどではなかったような気がするのだが、毎年見ているわけではないので正確には分からない。
 山鉾は、前輪・後輪とも車輪と車軸が固定的に一体となっていて操舵機能がなく、台車の構造にも似てそのままではうまく曲がることができない。そこで、割った竹を地面に敷きその上に水を撒いて滑らせるように方向転換させる。つまりは力ずくで無理矢理回転させるのであって、その様子がある種の見せ場ともなっているのだが、メカニズムとして劣後していると言えば言える。白人の見物客もわりといるのだが微妙な反応であるような気もする。私も最初に辻廻しを見た時はなんでわざわざこんな不効率なことをやっているのかと思ったものだが、それ自体に歴史的価値を認めてのことなのだろうと一応今は納得している。
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 Wikipedia英語版の"Sadism and masochism as medical terms"の拙訳です。Wikipedia英語版にはサディズムとマゾヒズムに関してまとまった説明をしたページが複数あるのですが、今回訳したのは医学的観点からの説明の記事です。翻訳対象ページのlanguageを見ると「日本語」の表示があるので、そのまま対応する日本語版のページがあるように思えますが、クリックして表示されるのはなぜかSM (性風俗)のページですので恐らくリンクミスだと思われます。
 文中に出てくる「日本人自体にマゾヒスティックな傾向がある」と主張しているらしいNakakukiという人物が印象的です。中久喜雅文博士のことだろうと思います。
 サドマゾの発達上の原因を知りたくて訳してみたんですが、どうもフロイト系の原因理解は既に古くなっていて、むしろ原因を問わなくなってきているようです。恐らく厳密にはよく分からないからだと思います。あるいは、よく分からないことが分かってきたのだと思います。
 「医学用語としての~」と銘打っているわりにはさほど専門的でもないので気軽に読めます。
 フロイトのマゾヒスト分類のところで「女性的~」と「道徳的~」の2つだけが列挙されていますが、実際には分類項目としてもう一つ「性源的~」があります。


医学用語としてのサディズムとマゾヒズム

サディズムとマゾヒズムは、その意味において、苦痛を負わせるか自身の上に苦痛を負わしめる場合の性的快楽や満足の感覚により特徴付けられる精神障害を表わしている。サドマゾヒズムは、使用される理論によって、一人の人に別の障害として起こるサディズムとマゾヒズムの共起性か、両方の用語の言い換えを表現するために、精神医学で使われる。医学におけるサディズムとマゾヒズムのの定義は、19世紀に精神科医リヒャルト・フォン・クラフト=エビングによって紹介されてから、幾度も修正されなおしてきた。

この記事は医学用語としてのサディズムとマゾヒズムの発達に焦点を当てており、精神疾患の分類と診断の手引(DSM)における性的倒錯理論の現代的定義につながっている。性愛的な実践、サドマゾのサブカルチャーや他の合意に基づくサディズムとマゾヒズムに関連する事柄については範囲としていない。しかしながら、この記事はそれらの用語の歴史に触れているので、BDSMへの言及がある。

1.早期の記述

サディスティックまたはマゾヒスティックな行動はクラフト=エビング以前から知られていた。1498年にイタリアの哲学者ピコ・デラ・ミランドラがセックスの前に鞭打たれることを欲する人物を記述している(Farin 1990)。1639年にはドイツの医師ヨハン・ハインリッヒ・マイボームはマゾヒズムに関する最初の理論を発表した(Meibom [1639] 1718)が、同時代の解剖学の知識に立脚するもので、背中を打ち据えることは腎臓内の精液を温めると仮定して、睾丸までそれが届くと性的興奮を引き起こすとした。クリスチャン・フランツ・パウリーニは1698年にこれを修正し、精液ではなく温まった血液が腎臓から下ってとしたが、基本的な理論はクラフト=エビングまで揺るぎのないままだった。1788年にはフランコイス・アメディー・ドッペットにより、女性器に対して同じ効果を仮定することで女性を含め、これは展開された。

性愛的な実践としてのサドマゾヒズムはマルキ・ド・サド以前にも文学ではよく知られていた。おおよそ紀元4世紀のカーマ・スートラは合意に基づく性愛的な平手打ちを記述している。1749年に出版された小説ファニー・ヒルにおいて、その英国人の著者であるジョン・クレランドは娼家の若い男性を鞭打つ主人公を登場させている。フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、彼の自伝の告白によれば、彼のマゾヒスティックな幻想の不幸について述べている。

同性愛や動物性愛のような予め分類された性的倒錯の他の実践と違って、サドマゾ的行動は聖書ではっきりした禁制がない。

2.クラフト=エビングと性的精神病理

クラフト=エビングは、異様な性的事例の歴史や性犯罪を集めた『性的精神病理』の最初の版を1886年に出版した。「サディズム」および「マゾヒズム」という言葉は後の版で発表された。「サディズム」はクラフト=エビングがマルキ・ド・サド(『ソドムの120日』のよな、サドの仕事の重要な部分は後まで出版されなかった)の人生と作品について知っていることから受け継がれた。サドは1814年に死んだ。「マゾヒズム」に対してクラフト=エビングは、オーストリアの作家であるレオパルド・フォン・ザッハー=マゾッホという、同時代の人の名前を選んだ。「サディズム」および「マゾヒズム」は、しかしながら、サドやザッハー=マゾッホの作品が表わすように性的嗜好と好色性に関するまったく違った論理に起因している(ジル・ドゥルーズはザッハー=マゾッホに関する発表でこの点を暴露した)。

クラフト=エビングの基本仮説は、出産に直接関連しない性行為のすべての形式は性的倒錯だというものだ。彼はベネディクト・モレルによって出版された退廃の理論の観点からサディズムとマゾヒズムを記述している。これは性的倒錯のような特徴は遺伝しうると述べている(Morel 1957)。言い換えれば、非道徳的で不利益な性行為-自慰のような-と考えられたことに手を染めた人々は、これらの傾向を彼らの子供に伝えて、人間の遺伝子プールの着実な劣化を引き起こす。

クラフト=エビングは、男性の中に基本的で生得的な性的サディズム傾向を、女性の中に生得的な性的マゾヒズムの傾向を見ていて、この見方は精神分析家によって拡大された。

他の同時代の研究者達はクラフト=エビングの発見を疑うか、修正を示唆するかした。イギリスの医師ハヴロック・エリスは苦痛を楽しむことは性愛の文脈に限られていると記した (Ellis [1939] 1967)。1892年には、アルバート・フォン・シュレンク=ノッツィングがアルゴラグニアなる語を記述の代替形式として提案した(Schrenck-Notzing 1892)。しかしながら、クラフト=エビングの理論はジグムント・フロイトによって採用され精神分析の欠くことの出来ない一部となり、それらの優位は確固たるものとなった。

3.フロイトと精神分析

フロイトはマゾヒズムと(より少ない程度で)サディズムを精神分析の核心部分とした。『性道徳に関する3つの論文』で、彼は性行為の間に苦痛を与えたり受けたりする傾向を「あらゆる性倒錯の中で最も一般的で最も重要だ」と判断した(Freud [1905] 1996)。彼はまた一般に両方の傾向が同一人物の内に起こると指摘した。

フロイトはサディズムとマゾヒズムの起源に関する理論を繰り返し変更したが、当初マゾヒズムは自己に対するサディズムの形式としてのみ起こると言っていた。彼は後に、「一次的」及び「二次的」マゾヒズムと「女性的」及び「道徳的」マゾヒズムのような下位形式の概念を提唱した。彼はまた罪を重要なファクターと見なし、彼の性心理学的発達理論の内に双方の傾向を統合した。簡単に言えば、それらは子供の中の不完全あるいは不正常な性的発達のしるしであると仮定されている。

カール・ユングやヴィルヘルム・ライヒやテーオドール・ライクのようなフロイトの追随者達は、その過程において新用語や概念を作りながら、彼の着想を拡大・修正した。エルスワース・ベイカーはマゾヒスト的性格の起源を親の不一致に帰した。ヘレーネ・ドイチュはすべての女性は生得的にマゾヒスティックであると主張し(Deutsch 1930)、クラフト=エビングとフロイトの見解を補強した。何人かの理論家は、日本のように国全体の人々が精神分析的な意味でマゾヒスティックだと考えられるはずだと主張する(Nakakuki 1994)。これらの修正のため、「マゾヒスト」のような最も基本的な単語ですら精神分析において非常に多くの違った意味を獲得したため、用語は精神分析者自身を混乱させ、部外者に理解しがたいようなものになった(Maleson 1984)。

サドマゾヒズムに対するフロイトの理論とサドの哲学はジル・ドゥルーズやシモーヌ・ド・ボーヴォワールのような理論家を魅了した。彼らの作品は、正式の研究に基づかないし時に現実の生活のサドマゾヒズムから遠く離れていたけれど、20世紀中盤における大衆のこの主題に対する見解に強い影響を与えた。

4.実証研究

精神分析の外部において、サドマゾヒズムへの見方は20世紀後半に現実生活のサドマゾヒストの実際の振る舞いに対する研究とともに変わり始めた。両性内のサドマゾ的傾向はアルフレッド・キンゼーによって彼の報告書の一部として書き留められた。サドマゾ的サブカルチャーの存在を最初に記述したのは1972年のロバート・リットマンだ(Litman 1972)。

サドマゾヒズムに関する最初の大規模の実証研究は、1977年にアンドレアス・スペングラーによって指揮された。スペングラーはドイツの医師で、基礎データを集めるためにアンケートを使った(Spengler 1977)。彼の成果は殆どの早期の仕事(特に精神分析家のもの)と食い違っていて、彼は先行の研究は「偏見と無知の重荷を負って」いると結論を下すこととなった(Spengler 1979)。ノーマン・ブレスロウがこれを発展させた時、彼はスペングラーのものも含めてすべての科学的文献の中でたった5つだけ先行実証研究を見付けた(Breslow 1985)。ブレスロウはまた売春婦ではない女性達がサドマゾ的サブカルチャーの重要な部分を構成していることを最初に示した(Beslow 1985)。実証研究は、クラフト=エビング以来広く言われ続けてきた、サドマゾヒストにおける暴力犯罪へのつながりや社会病理学的行動への傾向増加の証拠を見付けてはいない。

以前主張されたより遙かに多くの人々がサドマゾヒズムを実践していて、サドマゾヒストがサブカルチャーを形成するという理解は、医学の外部からの研究者の流入を導いた。人類学者のポール・ゲバードは文化的文脈でサディズムとマゾヒズムを記述した(Gebhard 1969)。再びドイツで、トーマス・ウエッツシュタインは社会学的な観点から地方のサブカルチャーの大規模な研究を実施し、スペングラーの成果とそれの発展を確認した(Wetzstein 1993)。これらの研究の影響による1つの主要な変化は、女性がマゾヒスティックな役割に自身を限定しないという理解だった。最近の研究の多くでは、サディスティックまたマゾヒスティックな衝動の原因が何かを考えることは、それらのメカニズムや諸特性を記述することに比べて少ない。

5.研究と主流文化

実証研究の成果と性的マイノリティーへの寛容な態度の増大は、例えば1971年のユーレンスピーゲル結社のように、ますますサドマゾヒスト達を公的なグループを形成するように導いた。これはドイツやノルウェイのように合意した成人間のサドマゾヒズムが合法である国々においてはとりわけ当てはまる。結果として、サドマゾヒズムは更に一層西洋と日本の文化の主流として存在するようになった。更に、サドマゾヒスト自身が本やメディアを通して自身の考えを表現しだしたのだ。これの実例は、デンマークのマリア・マーカス(Marcus 1974)、米国のパット・カリフィア(Califia 1980)、フランスのベネッサ・デューリー(Duries 1993)、そしてドイツのキャスリン・パシッヒ (Passig 2000)である。

6.サディズムとマゾヒズムの今日

より新しい研究の成果は、病気の分類としてのサディズムとマゾヒズムの廃止への要求を導く結果となり、本当に病的な形式は他の診断により適切にカバーされるものと論じられている。BDSMサブカルチャーは、差別とその潜在性の主張を強調することにより、また精神障害のリストから同性愛を取り除く前例を参照することにより、この衝動に別の次元を加えた。

それに応じて、米国精神医学界は、合意に基づくサドマゾ的行為はそれだけでは最早性的障害とは考えないとするために、1994年の精神疾患の分類と診断の手引(DSM IV)においてサディズムとマゾヒズムの診断基準を見直した。2000年に出版されたDSM-IV TRでは、サドマゾ的行為は、もし患者が「合意を持たない人に対してこれらの衝動に基づき行動する」か「衝動、性的幻想、あるいは行動が際だった苦悩や人間関係の問題の原因になった」場合に障害として診断されうる。結果として、合意に基づくサドマゾヒズムは、患者の人生に深刻な困難を引き起こさない限り、もはや障害として考慮され得ない。

1995年にデンマークはサドマゾヒズムを障害の分類から完全に除去した最初の国になった。

(Translated from the article "Sadism and masochism as medical terms" on Wikipedia)

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