自己評価や自尊感情の高すぎる人も、本来ありのままの自分を再発見・再評価すべきなのだが、自己愛性人格などはベトナム戦争に行っても最もストレス耐性が強い群だったりするほどなので(マリー・イルゴイエンヌからの孫引き)、周りに迷惑をかけることは頻繁でも、生命力が強くネガティヴな心的状況になりにくいとされると思う。ただ本人として悩む場合はそれなりにあるらしい。
彼らは、自分が思うとてもすばらしい自分を世間が認めないので、多かれ少なかれ肯定されることを過剰に希求するのであり、メランコリー親和型のパーソナリティーのようなごく低位からなされる存在の肯定の希求などとはまったく別の性質を持っている。
ただ、自己愛性人格も一筋縄ではなく、ふたつのサブカテゴリに分ける考え方がある。ひとつは無自覚型であり、これはほとんど非現実的に誉めそやされて育ってしまったように見える場合で、無意識的な自己陶酔をしている。ふたつめは過剰警戒型で、そうは現実から褒めてもらえなかったので逃避的に自らを称揚する習慣を身に付けてしまった場合であって、やや奥まった意識的な自己陶酔と言っていいかもしれない。ただ、これらは自己愛性人格内のふたつの極として理念的に捉えたほうがいいような気がする。完全なる無自覚型はもはや人格障害の域を超えてると思われる??
無自覚型 | 過剰警戒型 |
他人のリアクションを気にしない | 他人のリアクションを非常に気にする |
傲慢で攻撃的 | 内気で恥ずかしがり屋、あるいは控えめ |
自己陶酔 | 自分よりも他人に注意が向いている |
注目の的になりたい | 注目の的になることを避けたい |
送り手ではあるが受け手ではない | 見解や批判の証言として他人に注意深く耳を傾ける |
他人によって傷つけたれたという感覚が見かけ上鈍い | たやすく傷つき、羞恥や屈辱を感じやすい |
いずれにせよ、自己に対する評価が偏っているので、何か普通でない方法で現実との折り合いを付けなければならないわけだが、中には、自分が思う自分として世間に評価されるために非常に真面目にがんばる人もあるらしく、ただただ傲慢でいやな人ばかりというわけでもないようだ。とは言え、追い求めているものは究極には全能感に近いものなので、仮にそれなりに社会的に成功できたとしても、根本に空虚を抱えたままであるとされるようだ。
※1 Glen O. Gabbard 『Psychodynamic Psychiatry in Clinical Practice Fourth Edition』2005 p487
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