因果関係ってものは難しい。今の人間に把握できる直接的な因果から外れれば無意味・無関係と言えるわけではないかもしれない。
「前後即因果の誤謬」というのがあるんだけど、こういうのは既知の因果関係から外れるものを全て排除するような傾向があると思う(そうなりがちだと思う)。
何を因果とするかは簡単な事じゃない。
他人にアドバイスするって(改めて思うのだが)多少なりともこわいことだ。アドバイスする側はある意味全存在が試されている、かも。
俎上にのぼっている物事に関する知識は当然のことだけど、教える相手の人物把握もなければならないし、ひいては自分がどういう人物であるのかも試される。間接的な条件や周辺状況ももちろん。それら様々なことが本質において整合しなければ現実的かつ積極的な効果をもたらさない。二十歳を超えたようないい大人が軽率にドグマを他人に押し付けている光景は相当間抜けかもしれない。いや、単に間抜けだけでは済まない、暴力の根源となっているような局面も往々にしてあるかも。
最近『カラマーゾフの兄弟』の私生児スメルジャコフのイメージが何故か脳裏を横切る。特に「ぼくのお金...」とスメルジャコフが縋るようなシーン。あれは作中どこのシーンだったのだろう。スメルジャコフは、兄弟たちの父親が街で有名な白痴の女性を酔っ払って強姦して生まれてしまった腹違いの子。
読み返したい気持ちがふつふつ湧いているが、今は無理かなぁ。
ちょっと風邪引いていたが、鼻風邪みたいだった。
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